98 公爵令嬢が飛んだ日
エリック・エンファウスト。
レイノルド・ルーファウス。
アリアナ・サウスフィールド。
三人とも9歳。
大きくなってきたとはいえ、まだまだ庭で走り回る年齢だ。
その日も幼馴染み三人は、王宮に居た。
勉強がてら、エリックの侍女が本を読んでくれていた。
4人で床に座り、本を囲む。
「『そして王子様は、ドラゴンと戦いました。』」
「ていやぁー!ドラゴンめ!」
エリックが立ち上がって、小さな木剣を振り回す。
「エリック、大人しくなよ。また、瓶が割れる」
レイノルドが、冷静な声で、エリックを嗜めた。
アリアナは、その真ん中で、本の物語に夢中だった。
それは、よくある子供向けの物語だった。
ドラゴンに見初められ、連れ去られた少女を、王子が助けに行く物語だ。
「俺の部屋に割れるものが置いてあるからいけないんだ。レイこそ、この話、嫌いなんじゃないのか」
エリックの言葉に、レイノルドが少しムッとした。
「なんで」
エリックはレイノルドに向き直ると、ドヤ顔でレイノルドを見下ろした。
「この話、魔術師はただのサポート役だろ。主役は俺みたいな王子と、アリアナみたいな可憐な女の子だ」
レイノルドは、そんなエリックには取り合わず、顔をしかめる。
侍女は、物語を一度中断し、子供達に言って聞かせるしかなかった。
「大切なのは、国の王子だという事ではありませんよ。大切なのは、この少女を助ける為に勇気を出した少年だったということです。王子様というのは、この女の子にとっての王子様ならいいの。つまり、誰だって王子様に成り得るということです」
本を中断され、ぼんやりしていたアリアナが、ふっと我に返った。
「私も王子様になれる?」
侍女は、話が伝わった事で、ぱっと明るい顔をした。
「そうですよ。アリアナ様も、誰かを守れば、その人にとっての“王子様”ですよ」
アリアナが、ニッと嬉しそうに笑った。
そして呟く。
「王子様。“私の王子様”……!」
それから、三人で庭に出て、お茶をした。
悲劇は、その後、庭で遊んでいた時に起こった。
エリックは、相変わらず木剣を振り回していた。
「レイ!ドラゴンになれよ!」
「なんでだよ」
レイノルドは、呆れた声を出した。
「だって、俺が王子なら、アリアナは可憐な少女だし、残ったレイはドラゴンだろ?」
「僕だって、それくらいの剣なら扱えるよ」
「残念だったな。お前は王子じゃないからな」
二人でわちゃわちゃしているすぐ脇の背の高い木に、アリアナは登った。
エリックとレイノルドの身長の倍はあるかと思われる高さの枝の上に、アリアナは仁王立ちになる。
そして、笑顔でこう言ったのだ。
「受け止めて!王子様!!」
すぐ下に居た二人は、アリアナの言う“王子様”というのは、“この国の王子様”の事だと、二人とも疑う事がなかった。
ましてや、今、王子役をやっているのはエリックの方だ。
けれど、アリアナは、間違いなくレイノルドの方へ飛んで行ったのだ。
それは、“私の王子様”という意味だった。
不意をつかれたレイノルドは、受け止める事ができなかった。
そもそも、飛んでくるのがわかっていても、アリアナは受け止められるように飛び込んでいかなかったので、受け止めるのは無理だったかもしれない。
アリアナのブーツの裏は、見事にレイノルドの頭にクリーンヒットした。
重大な怪我にもならず、脳震盪で終わったのは不幸中の幸いだった。
けれどそれは、小さな少女がその小さな胸に育んでいた繊細な恋心を打ちのめすに、十分な出来事だった。
「レイ!レイ!!」
その日、王宮の庭では、何時間もの間、アリアナの泣き声が響いていた。
そんな二人の過去話なのでした。




