197 アルノーの憂鬱
「どうしてもダメだった時はさ、」
ゴンドラから降りる時、アルノーはアリアナの手を取り、笑いかけた。
「俺がパートナーになるから」
「…………」
アリアナは不可思議な表情を浮かべる。
「そうね。その時は、お願いすると思うわ」
にこりと笑う。
アリアナの目には、まだ泣いた後が残っていたけれど、その笑顔はどこか清々しかった。
「焦っても仕方がなかったわ。……すぐに成長できるわけでもないのだから」
それでもやはり、ちゃんとやらなければという思い込みは、拭えないようだった。
アルノーはルーファウス邸に戻ると、レイノルドの部屋のソファに、ひとり腰を下ろした。
ごろりと横になる。
茶色の革張りソファ。
目の前には、落ち着いた深い色の天井が見える。
灯りは緩やかなオレンジ色を暗めにつけていた。
公爵家の中でも装飾の少ないこの部屋は、レイノルドの部屋だという以外は気に入っている場所だ。
レイノルドが戻るまで、一人、そこでゆっくりとする。
レイノルドがアリアナと上手くいったら、俺もお払い箱なんだろうか。
ふと、そんなわけはないと自分に言い聞かせつつも、何度も頭に上る考えを浮かべる。
レイノルドは、王都の魔術教室で、俺を見つけた。
貴族に生まれた俺は、領地を盛り立てる程の何かは、持っていなかった。
剣の才能は無かった。
人を操る腹黒になる事も出来なかった。
ただそんな中、王都に来て、手先が器用な分、魔術の勉強だけは楽しかった。
特別魔術が好きだったわけじゃない。特別、魔術の才能があるわけでもない。
レイノルドのような、すごいアイディアは思いつかない。
けれど、そこそこできる何かがあるのと無いのとでは、世界の見え方はずっと違った。
そんな中、魔術師の中でもかなり上位に居るあのレイノルド・ルーファウスから、俺を弟子にしたいと申し入れがあったのだ。
普段は会う事もない。
この国の中でも有数の魔術師だ。
俺は、魔術師として認められたんだ。
魔術師になれるんだ。
それも師匠は、あのレイノルドだ……!
喜んだのも束の間。
打ちのめされたのは、それからほんの数日後だった。
レイノルドと顔合わせの日。
「よろしく」
「はい、宜しくお願いします」
アルノーはレイノルドの研究室に呼ばれた。
研究室の質素な椅子に座り、レイノルドは笑うでもなく貶すでもない、素っ気ない様子でアルノーと話した。
そして、レイノルドはこう言ったんだ。
「それで……、君は、ジェイリー・アーノルドと仲は良いの?」
「…………え」
ジェイリーは、サウスフィールド公爵家で護衛をしている、親戚であり友人の一人だ。
なんだそうか、と思った。
頭の中が、サッと冷めた。
「はい、幼い頃からの友人の一人です」
このレイノルド・ルーファウスは、俺の実力を認めたんじゃなかった。
サウスフィールド家との繋がりが欲しかっただけなんだ。
所謂、スパイ活動をしてくれる誰かを求めてただけなんだ。
実際に、ルーファウスとサウスフィールドは、仲は良くないとの噂だった。
サウスフィールドを出し抜くつもりで……。
けれど、実際のところはそれより悪かった。
俺がジェイリーから聞き出すべきなのは、公爵令嬢がどうしているか、ただそれのみだった。
実力を、認めてもらえたのかと思ったのに。
しばらく絶望の淵だったのは、言うまでもない。
とはいえ。
ガチャリ、と扉が開いて、レイノルドが戻って来る。
「アルノー」
入って来るなり、ただいまもなしで何の用事なんだか。
「この間の、情報のやり取りの方法で、この陣の……。アルノー?」
アルノーの返事がないとわかると、レイノルドがもう一度名前を呼んだ。
部屋の中央まで来ると、天井をぼんやりとを眺めるアルノーを見つけ、呆れた声を出した。
「なんだ、いるじゃないか」
「そりゃいますよっと」
勢いでソファから起き上がる。
とはいえ、これはこれでいいと、最近は思えるようになった。
魔術でも相談して来るようになった、見た目よりもずっとポンコツなこいつの。
弟子として世話をするのも。
アリアナとの仲を取り持つのも。
俺じゃないと出来なかったはずだ。
「しょ〜がねぇなぁ〜」
なかなか悪くない。
俺は、魔術師の弟子だ。
そんなわけで、アルノーが主役のお話でした!
今ではさっぱりしているアルノーですが、今でもレイノルドに対する心情はなかなか複雑です。