はじまり
国境の長いトンネルを抜けると、
乙女ゲームの世界であった。
何を言っているのか分からないと思うが
私にも分からん。
たしか私は出向先の地方の支社へ出向いたはずではなかっただろうか。あいまいな記憶を取り戻すため、私はおぼろげな昨晩の記憶を思い返した。
◇◇◇
夜行バスは九時過ぎに国道沿いのホテル前を出発し、明日から働くことになる出向先の支社の元へと向かっていた。
オレンジ色のライトの灯るトンネルを幾重も抜けるたび、これまでの本社での思い出が頭をよぎった。
ゲーム好きが高じてゲームの会社に就職し、入社以来営業としてのキャリアを築き上げ、やっとこさ任された大仕事。
「これからの時代は女性向けだよ。女性向け。我々もその流れに乗らないで何とする!」
会社の重役の鶴の一声で決まったプロジェクト。我が社初となる女性向け恋愛ゲームの開発事業であった。ノウハウのない開発チームは苦境に苦境を重ね、それでもなんとか完成まで漕ぎつけた。
しかし、問題となったのは営業である。初となる女性向けゲームの販促など誰もやったことがない。
そしてそんな会社の将来の方向性を左右する重要な仕事に抜擢されたのが私であった。
何度も卸しや店舗に掛けあい、商品を売ってくれるよう頼みこみ、来る日もくる日も頭を下げた。
営業たる私も中身を知っておかねばと慣れない女性向けゲームをプレイし、何度となく失敗してバッドエンドルートの苦い味わいを知った。
それでも少しずつ商品を置いてくれる店が増え、取引先との関係も良好になってきた。
ーーあれは、そんな矢先の出来事であった。
「地方支社への移動を命じます」
晴天の霹靂。
上司から告げられた事実上の左遷命令には、全くもって心当たりが見当たらなかった。奇しくも支社で働きはじめる日は世間でのゲームの発売日と重なっていた。
バスの中で私はスマホのネットニュースを見ていた。発売初日のユーザーからのゲームの評価をチェックするためだ。
一般受けを重視し、流行りのイラストレーターと人気の声優を起用したゲームは人件費がかさみ、予算の面で開発部は幾度となく財務部ともめた。
今時スマホ以外のゲーム機での恋愛ゲームなど売れないのではないかと会議の議題にもかけられた。
けれど開発の彼らは「レトロを追求する」と言って譲らなかった。時代に合わせるばかりではこれまでスマホ以外のゲーム業界でつちかってきた自分たちの良さまで潰してしまう。それならあえてレトロな路線を追求して昨今では珍しい「オーソドックスな恋愛ゲーム」を目指そうと言うのだ。
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「今のところ、とてもいい」
「イラストやギミックが豪華」
「ストーリーも申し分ない」
「声優の演技が素晴らしい」
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彼らの努力が功を奏したのか、ユーザーからの反応は予想以上のものであった。この令和の世の中にSNSで「恋愛シュミレーションゲーム」がトレンド入りするとは思わなかった。営業の私としても誇らしい気分だ。
しかし、私はもう彼らとは関係がない。
共に栄光を味わうことは叶わなかったのだ。そして一番辛いことは何だったかと言えば、結局私がいなくとも会社は問題なく回るということだ。
本社では今ごろ代わりの人間が営業を務めていることだろう。身を粉にして尽くしても、得られたものは特にない。私の価値とは何だったのか。
会社員なら誰もがぶつかる疑問に私は改めてつまづいていた。もう今日は考えるのをやめよう。明日からまた新しい場所で働き始めなくてはならないのだ。
余裕ができたら考えよう。
きっとその頃にはとうに過去のことになっているさ。
そう思って目を閉じたのが最後の記憶だった。
◇◇◇