絶望と希望
あっ、ここって乙女ゲームの世界じゃん。
それに気がついたのは、朝起きて鏡に映る自分の顔がゲームで見たキャラクターにそっくりだったからだ。
なぜ俺が「乙女ゲーム」をやったことがあるかって?
その理由は数年前にさかのぼる。
◇◇◇
当時、新卒だった俺は地獄のような就活で心を病みながらも何とかそこそこの企業に就職することにした。
家が貧乏で大学も奨学金だったので、留年しようにも後がなかったからだ。
「オラ、馬車馬のように働けッ!!」
「お前らの代わり何ていくらでもいるんだ……っ!!」
しかし、そこは昭和のサラリーマンもびっくりの絵に描いたような超絶ブラック企業だった。パワハラ・モラハラ何でもありの地獄みてぇな環境だ。
しかし、それでも俺は幸せだった。
ようやく借金を返すメドが立ったんだ。
それが終わればやっと普通の生活を送れるだろう。
だがそう考えていた俺の夢は無惨にも一瞬で砕け散った。会社はその後すぐに経営者の不祥事で倒産し、あえなく俺は就職と同時期に無職のニートになったのだ。
できるだけ大きな企業に入れとか、安定や福利厚生なんてお前は気にしている余裕はないからブラックでも気にせずに入れとか、会社への就職を強くすすめてきた親や親戚たちはその頃にはどこかへ姿を消していた。
誰にも助けてもらえずに俺は人材派遣会社に登録し、そこから紹介された中古ゲーム屋のバイトをはじめた。賃金は安く、もちろん借金は返せなかった。
雇われの三〇代の店長はことあるごとに「政府に感謝しろ」と俺に向けて説教を垂れてきた。奴いわく、俺のような無職の若者が何とか職にありつけるのは政府が派遣労働者を増やす政策をしたからだという。
聞かされるたびに「そもそも政府の政策が上手くいっていれば最初から俺は就職に困ることも失業することもなかったのではないか」とか「それを俺に言ってどうする?」とか「俺の他に言う相手がいないのか?」とか様々な疑問が俺の頭の中を駆け巡った。
しかし言い返すことはできず、俺は「そうですね」とあいづちを打つだけの機械になりきり、そのまま数年間をやり過ごした。
売れなくなった中古のゲームソフトを持ち帰るようになったのはそんな最中だった。
俺は次第に生きている理由が分からなくなり、一時でも現実から逃避できる時間を欲していた。家族だってその頃にはもうロクに連絡すら取れなくなっていたのだ。
中でもとりわけ俺がハマったのが乙女ゲームだった。ゲームが下手クソな俺でも操作が簡単で、かつ店の近くに売っている店があったので中古品を売りにくる客が多く手に入りやすかったためだ。
数年間でたくさんのゲームをプレイした俺だったが、その中でも一本のとあるゲームは俺の心に強く残った。
『君と結んだ赤い約束』。
そいつはパソコンゲームが最盛期だったころに作られた古い型のゲームで、新しいOSに互換性がなく古い機種のものでしか起動することができなかった。
けれど俺の使っていた店のパソコンは型落ちのボロいクソPCだったため、問題なく動かすことができた。
そのゲームの主役は貧乏な生まれで途中まで苦労して育ってきたが、あるとき急に大富豪の家に引き取られることになり、薔薇色の生活を送り始める。
お金持ちが通う学校に入り、イケメンの先輩や同級生と恋に落ち、やがて結ばれてハッピーエンドを迎える。
しかし俺が一番好きになったキャラクターは主人公ではなく、悪役令嬢の「如月桜」だった。
学園に通うイジワルなお嬢様キャラである彼女は主人公がイケメンキャラと恋をするのに不満を抱き、主人公の好きな相手をわざと誘惑したりして主人公の恋路を邪魔するようになる。しかし最終的には主人公とその恋の相手に断罪され、責任を負わされて学校を退学処分になってストーリーからも退場する。
何故そんな奴を好きなのかと言えば、桜は大金持ちのクセにちっとも幸せな人生を送っていなかったからだ。
俺からすれば借金がないだけでも桜の人生は薔薇色に見えるのに、彼女は根っからのお嬢様なのでそのことに全く気がつかない。手に入りそうもない恋に命をかけ、自ら破滅の道を選ぶ。
だが俺は思った。
その気持ち、
俺にも分からなくはないぜ、と。
人は手に入らない夢とか希望とか、
そういったものがあるからこそ生きていけるのだ。
俺は夢のために自我を貫き通して破滅していった桜を何だか嫌いになれなかった。
一体なにが桜をそこまで恋に駆り立てたのだろうか。もし仮に俺が「如月桜」だったとしたら、その時はきっと決して間違えることなく、幸せな人生を送ってみせるというのに。そう思って俺は眠りについた。
そして、それが俺としての最後の記憶だった。
◇◇◇
これは俺の見ている幻覚なのだろうか。俺は辛い生活から逃れるためについにこんな夢まで見るようになってしまったのか。
そんな疑いは家の食堂を見て吹き飛んだ。
二階と三階をぶちぬく吹き抜けの天井。
壁に沿うように張り巡らされた螺旋階段。
めいっぱい朝日を取り込むハメ殺しの天窓。
こんなものを俺は想像すらできるはずがない。
まぎれもなく金持ちの発想、現実だ。