悪魔のカレーパン
夕食の準備をしている厨房で、申し訳ないと思いつつも隅の方にある小さな一角を借り、アイオライトは調理の準備をする。
今回はこの場にいる六人と、アシュールとユクタを含めた八人分のカレーライスを作る。
カレーライスのメインの肉は、リチャードのリクエストに応え葡萄牛。
料理長に鶏肉や豚肉も使っていいと言われたので、念のため提案してみたが、断固として葡萄牛だと譲らないリチャードのその姿勢は、とにかく清々しい限りであった。
厨房で料理長が出してくれた葡萄牛の部位は、肩ロースのブロック。
カレーに使っていいのか戸惑うレベルの高級牛肩ロース肉を、一口大にカットしてもらう。
肩ロースはそのまま煮込むと硬くなりやすいので、高級肉だが念のため少しだけ叩き、グルトーネに漬けておく。
グレイビーに、グルトーネに漬け込んでいた牛肩ロースを投入すると、さらにいい香りが厨房を包む。
しかしさらさらとしたカレーを見て、三人に若干の落胆が見える。
「アオ、これは、どっちかって言うと本格? みたいな?」
「別に本格ってわけではないけど、スパイスカレーだよ。少し分量見ながら小麦粉とか入れてみよっか。おうちカレーにしたいんでしょ?」
「やった! やっぱりおうちカレー食べたい、よね」
「なんだ。そのおうちカレーとは、いつものカレーライスとは違うのか?」
前世、地域によってはスープカレーもあったが、四人が住んでいた地域はとろみのついたカレーが主流であった。
金の林檎亭で出しているのはスパイスカレーなので、リチャードはさらさらのカレーしか食べたことがないのである。
そのリチャードがいつも食べているカレーとは違う、リコとカリン、レノワールすら絶対食べたいと言ってはばからないなら、カレーライスを愛してやまないリチャードが口にしたいというのも分からなくもない。
その眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせてアイオライトに迫ってくる。
「うわっ!」
びっくりして後ろに倒れそうになったところをラウルが支えてくれており、リチャードをけん制してくれているのだが……。
眼光が鋭すぎる!
リチャードのカレーに対する愛が強い!
「あ、の、リチャードさんがお店で食べたりしているものよりも、何というかとろみがあります」
「そうそう! そのとろみがご飯と合うのよ」
「いつものカレーよりも米に合うと言うのか!?」
「人によると思いますけど……」
そう言ってご飯を炊こうとするとアイオライトを制止して三人とも好き放題言い出した。
「でも、ナンも、あったらいい」
「ナンも絶対合うはず」
「作ってくれるわよね?」
「ナンとは、なんだ! リコ嬢!」
「リチャード氏、必死過ぎ」
「パンの一種よ。それを付けてカレーを食べるのよ」
「カレーに……。アイオライト、ナンも作ってくれるのだろうな?」
「……ナンも作るから、誰か、ご飯研いで……」
結局四人の圧に押されて、アイオライトはナンも作ることにする。
ご飯はじゃんけんの末、何故かリチャードが研ぐこととなってしまったが、本人は気にしていないようだ。
寧ろカレーの為に全力を注ぐ勢いである。
「すみません。リチャードさん」
「カレーライスの為ならばお安い御用です」
「お前、ほんとカレー好きだな」
「ラウルは嫌いか?」
「アオの作る料理は何でも好き」
「……、料理人としてはありがたいことです」
何でもおいしく食べてくれるラウルの事も大好きですよ!
と、いつもなら返せていたのだが、最近は即答できなくなっていることにアイオライトは気がついた。
さらに、この間からファンサービスが過ぎることが多々あるので注意したいところだが、ラウルが笑いかけてくれると、どうにも胸のあたりがザワザワと落ち着かなくなり、結局しどろもどろになって何も言えずに終わってしまう。
アイオライトもそのザワザワの感情がうまく説明できなくて困っているのだが、なかなか誰かに相談できずにいる。
今夜あたりカリンかレノワールに話せると良いのだが……。
そう考えながら、小麦粉とパンの発酵のためにあったドライイーストを分けてもらいアイオライトはナンを作り始める。
ロジャーがエプロンも持ってきてくれたので、店のエプロンをしてアイオライトも気合を入れなおし、うろ覚えだがナンを作ることにした。
失敗してもパンのようなものが出来るはずなので美味しいはずだ。
小麦粉とドライイーストを砂糖と塩、溶かしバターを加えて混ぜる。
少し生地がまとまってきたので、生地をボウルに折りたたんだり叩きつけるようしていると、後ろでラウルが面白そうに見ていた。
「やってみますか? 強めにボウルに叩きつけるだけなんで、簡単ですよ」
「ほんと? ちょっと楽しそうだったから嬉しい」
「手をちゃんと洗ってからお願いしますね」
「うん」
鼻歌を歌いながら手を洗って、得意げにボウルの前に立つ姿はなんとも可愛らしい。
推しは本当にいつも眩しくて目の保養になる。
そして今はザワザワ……していないようだ。
「ちょっと粉が多いのでエプロンしましょうか」
「でもエプロンないよね」
「うちの店を手伝ってくれていた時のエプロン、ロジャーさんが持ってきてくれてますよ」
「なら、一回手を洗った方が良いかな?」
店のトレードマークでもある金の林檎の刺繍されている生成りのハーフエプロン。
身長の高いラウルにも似合っていて、店を手伝ってくれた時に初めてその姿を見た時、アイオライトはまたもや倒れるかと思うほどの美しさと格好良さを感じた。
自分も同じエプロンを付けているのに、素材が違うとしか言いようがない……。
「いえ、一旦手を止めてこっち向いてください。はい、では、ちょっと失礼しますねー」
アイオライトはそう言って、エプロンを付けるために前からラウルの腰に手をまわす。
ラウルは痩せて見えるのだが、やはり男の人と言うべきか腰回りというか、がっしりしっかりしている。
ギリギリ手が届いたがずいぶん密着してしまい、申し訳ないが手が汚れているなら仕方ない。
「なかなか人にエプロンするのは難しいですね。」
「えっと、ありがとう」
「どういたしまして!」
エプロンを付け終わってラウルを仰ぎ見ると、一瞬困ったような表情を浮かべた後、すぐに満面の笑顔でお礼を言われた。
推しが満面の笑みでさらに幸せそうで、アイオライトもついつい笑顔になってしまう。
ラウルとアイオライトが、照れ笑いをしながら二人で見つめ合っている風景に何とも我慢が出来なかったのか。レノワールのツッコミが入る。
「アオ、あんたそう言うところやで?」
「ん? 亜希子、なんで急に関西弁?」
「亜希子ちゃうわ、レノワールや!」
「あはは、なんでやねんっ!」
エセ関西弁で漫才をする二人をよそに、ご満悦な顔でナンの生地を折りたたみ、たたきつけを繰り返しているラウルはなんとも楽しそうだ。
厨房にいる料理人達も、ラウルが自ら作るナンに興味津々である。
「アオ、これぐらいでいい?」
「良い感じです!」
そう聞くラウルの鼻の頭に、生地の粉が付いている。
アイオライトは何気なく手を伸ばして、粉を払う。
「ん? なにか付いてた?」
「鼻の頭に粉が付いてましたよ」
「あ、ありがとう……」
「えへへ、楽しくなっちゃいますよね」
「うん」
「なんだよ。もうお前ら付き合っちゃえよ!」
「できるなら、そうしたいよ」
ラウルの粉を払うアイオライトを見ていたリコが、渋い顔で言うと、耳の赤いラウルからそんな答えが返ってきた。
案の定、その会話を聞いていないアイオライトはナンの生地を一度練り直した後、休めるために綺麗に丸めてキッチン横に置いている。
「聞いてないね……」
「タイミングは悪くないんだけれどね」
「ん? 何か悪いことでもありましたか? ナンの生地は三十分ほど休ませてからフライパンで焼きます」
「休ませる?」
「はい。なんで休ませるっていうのかわからないんですけれど何もしないでそっとしておいてあげるんです」
「そうなんだ」
「そうすると生地も伸びやすくなって、焼き上がりが柔らかく仕上がるはずなんです。とはいっても、美味しく出来るかは分からないんですけれどね」
ミックス粉で作った事はあったが、一から作るのは初めてで、レシピもうろ覚えなのでアイオライト自身もあまり自信がないが、そこまで失敗はしないだろうとも思う。
と、アイオライトが考えていると、台所の奥に朝食の残りであろう食パンを見つけた。
「パンか〜。もらえるなら揚げちゃうかな〜」
「揚げる? パンを?」
ぽそりとつぶやいたつもりだったが、何故かそばにいたラウルにそのつぶやきを拾われた。
「中にカレーを入れて、油で揚げるんですよ。好きな人は好きだと」
「……」
「見てる、リチャードすっごい見てる」
カレー大好きリチャード。
カレーパンにもハマるのだろうか……。
「食べますか?」
リチャードの無言の圧力に耐えきれずアイオライトは提案すると、幸せそうな笑みだけで返事をされた。
「リチャードさんって、そんな可愛い顔で笑うこともあるんですね」
「リチャードに惚れちゃう? だめだよ。アオには俺がいるでしょう?」
「ぉっ!」
『ふぉーっ!!』
今度はラウルの正面からの微笑みに貫かれ、変な声が口から洩れ、さらに心の中で叫びながら、息も絶え絶えになっていると、視線の向こうでリコが鼻血を出して倒れている。
アイオライトは走り寄って声をかける。
「リコ?」
「我が人生に、一片の、悔いなし……」
「うん」
「リチャード氏、しばらく普通だっだが、あれはいかんぜ……。殺されるかと思った。がくり」
「死ぬなー!」
「ちょっと妙な寸劇してないで、カレーパン揚げて欲しいわー」
「本当よ。リコは鼻血出して寝てればいいわ」
リコとアイオライトの微妙な寸劇に、カリンとレノワールが苦言を申し立てつつもカレーパンを所望してくる。
「お嬢さん方、夕飯前なのにいいのかい?」
「若いから、平気よ……」
「アイツはカロリーモンスターだぜ?」
「なによ! 美少年的ないい声で言ったってダメよ、アオ! 食べたいものは食べたいの!」
とにかく懐かしい味に触れたい一心で懇願してくる。
流石にカレーは食べる機会もなかっただろうし、仕方ないな、とアイオライトはニカリと笑い、悪魔の言葉を唱える。
「チーズは、入れるかい?」
「「ぎゃー! アオ! 抱いてー!」」
「どんな返事だよ」
後で聞いた話だが、その瞬間のカリンとレノワールの歓喜の声は、厨房にいたラウルやリチャード、そのほかの料理人もかなりびっくりしたそうだ。
ちなみにリコは鼻血を垂らしながらも、アイオライトに這い寄り縋りつきそうなのをラウルがずっと阻止している。
「すみません。チーズと食パン貰ってもいいですか? あとパン粉と卵もあれば嬉しいんですけど。油で少し揚げますがいいですか?」
「いいよ。これ使ってくれ」
料理長自ら分けてくれたパン粉も使い、ナンを休ませている間にカレーパンを作る。
パンの耳を切り落とし、三角になるように切る。中には少しとろみのあるカレーを作って入れる。さらにその中にチーズも入れる。
それをパンにはさんで、フォークで端を押しつぶすようにくっつけ、卵、パン粉を付ける。
「油はこれぐらいかな」
油に入れるとジュワジュワといいを立てて、香りが広がりカレーパンが揚がっていく。
「これが悪魔の……食べ物……」
ごくり、と喉を鳴らしラウルが隣でその揚がり具合を見守りながら呟いた一言が面白くて、ついアイオライトは笑ってしまう。
「はい。揚がりました。ラウル、食べますか?」
「いただきましょう。悪魔の食べ物ですから、騎士である私が一番初めに確認した方がよろしいかと存じます」
「言い方が変ですけど……。中が熱くなってますから舌のやけどには気を付けてくださいね」
「かしこまりました」
仰々しく、口に含みやはり熱いのか口を少しだけ開けて冷ましているようだ。
目は細まり、ラウルは恍惚とした表情を浮かべて口を動かし続けている。
「旨いのか?」
「まさに悪魔の食べ物……。旨い……。何というかこれを作ったアオは天才だと思う」
「その感想では旨いのかどうかわからんな。アイオライト早く私の分も揚げて欲しい」
「自分が天才とかじゃないんですけれど……。じゃぁ、揚げていきますね。夕飯が入らなくなると困るので、一人一個だけですよ」
早く早くと急かすカリンとレノワール、さらには好奇心の塊と化したリチャード、その後ろにようやく鼻血が止まったリコに順番に渡していく。
「お母さんが作ってくれる簡単カレーパン。美味しい」
「ほんと! 懐かしい味する」
「ちょっと泣けてきた……」
美味しそうに食べてくれる顔が見れればそれでアイオライトは満足なのだ。
目尻が少しだけ涙で光る三人の近くに寄り、一緒にカレーパンを頬張りながら笑う。
ただリチャードとラウルの感想はと言うと……。
「これは……、カレーをパンに挟み、揚げるだけでこのようなけしからん旨さになるとは……」
「何? けしからん旨さって! でもさ、城の騎士団の食堂とかでこれあったら凄くよくない?」
「それはそうだが、カレー自体金の林檎亭でしか食べられないのだぞ?」
「そっか……。じゃぁさ、アオに城下町でカレー屋兼カレーパン屋を開いてもらうのはどう?」
「それはいいアイディアだとは思うが、イシスの店はどうする。アイオライトがカレー屋兼カレーパン屋になってしまったら、ラウルの好きなオムライスやらナポリタンやらはもう食べることが出来ないのだぞ」
「はっ!! それはダメだ!!!!!!!」
「でも、結婚でもすれば作ってもらえるだろ?」
ちらりとラウルはアイオライトを見るが、四人とカレーパンを頬張っていてこちらには気が付いていない。
カレーパンを口いっぱいに入れているのだろう、ラウルには頬が膨らんでいて可愛い姿を認めることしかできなかった。
「その時アオは『はい』と言ってくれるかな……」
「どうだろうな」
「そこはさ、言ってくれるって言えよ」
「舞踏会で、婚約を申し込むのか?」
「感極まってキスしたり、好きだとも伝えたけれど、なんか伝わり切ってない気がしてさ。ヴィンスとジョゼットには事前に話をした上で、今度はちゃんと申し込もうと思っている」
一瞬リチャードは、ラウルがキスをしたと聞いて、そんな面白そうな現場に自分がいなかった事が悔しくて仕方なかったが、なんとか話は続けることが出来た。
「こんなに大事そうに守られていても、伝わっていないかもしれないとは残念だな。それがアイオライトなのかもしれないが……。そうだな、舞踏会、頑張れ」
「おう」
舞踏会では色々な国の色々な人がやってくる。
式典用の服も、舞踏会ようなドレスも、あれだけラウル一色であれば変な輩もよっては来ないとは思うが……。
アイオライトも着飾ればあれだけ目立つのだ。当日化粧でもしたらさらに化けるだろう。
目を離さないように、なるべくリチャードもアイオライトの傍にいることにしよう。
そして今度こそ、面白そうなその現場に居合わせてみせる、と心に誓い、この後のカレーにさらに思いをはせるリチャードであった。




