青天の霹靂
「ラウルさん?」
……あぁ、こんなに…………
自分の心配をしているのだろうか。
ラウルは、覗き込むその頬に触れようと手を伸ばし、意識を失った。
遡ること二時間ほど前。
ラウルは、王都を出る前に先日弁当を持たせてくれたアイオライトへのお礼にと、土産に買ってきていた。
マカロという、クッキーより少し柔らかい生地の間に甘いクリームが挟んである菓子で、最近王都で流行っているらしい人気の菓子だ。
美味いと思ったが、幾つも食べると流石に甘い。
しかし、アイオライトは乾燥させたオレンジに茶色い何か甘いものをかけて食べるぐらいだから、甘いものが好きなのだろうと試食してすぐに決めた。
今日は火の日で金の林檎亭は休み。
所詮自分は友達でもない、ただのちょっと仲がいい程度の常連。
常連認定はされている、が、仲がいいと言うのは自称である。
休みの日に来てもいいとは言われはしたが、自重すべき。
ラウルはそんな理由から、明日店に行った時にでも渡そうと思っていたが、宿に向かう途中でアイオライトが『虹の花束』に入るのを丁度見かけた。
今回は一緒にイシスに共に戻ったリチャードが言う。
「土産を渡したいなら、一旦荷物を宿に置いてからにしろよ」
「え? 今日休みだけどいいのかな」
「別にいいんじゃないか?服屋にいなければ、明日食事に行くときに渡せば」
「そ、そうだよな。」
リチャードは主人の顔がパッと晴れたのを確認し、宿に歩みを進めた。
「アーニャ、来たよ」
「いらっしゃい。今日は絶対ぎゃふんと言わせてやるわ」
一方アイオライトは、虹の花束に入ったと同時に、にやりと笑ったアーニャに宣戦布告されていた。
「今回は絶対絶対自信あるの!」
「毎回おんなじこといってない?」
いつも通りのやり取りだが、今日のアーニャは何故か物凄い自信をみなぎらせているように見える。
「でもまずはお茶でも飲んでよ」
夏が近いので、結構暑い。喉も乾いていたので正直ありがたかった。
「そういえば、この間のバーベキュー大盛況だったじゃない。あれ、またやるんでしょう?」
「うん。常連さん達も凄く楽しみにしてくれてるみたいで、結構店でも聞かれてるんだよね。夏の半ばぐらいにはもう一回やろうと思ってるよ。」
しばらく客が入ってこないので、さらに二人で雑談をしながらお茶を飲む。
「そう言えばさ、最近王都で美味しい焼き菓子があるって旅人の人に聞いたんだよね。アオのお菓子とどっちがおいしいかな~」
プリンやクッキーは店で出すこともあるが、焼き菓子のパウンドケーキやマドレーヌなどは、たまに趣味で作って友達などに配るだけでお店では出していない。
金の林檎亭は店員が自分しかいないので、甘味を始めた場合、ちゃんと客を捌ききれる自信がないからだ。
「いや~。本職の人が作ったお菓子の方が美味しいに決まってるじゃん」
「そう? マドレーヌなんか持ち帰りで売ってたら、おじさん達は家のお土産に買って帰るんじゃない?」
「お店で出すと大変かなって思ってたけど、持ち帰りのお土産だけならいいかなぁ」
日持ちはあまりしないので、少し涼しい場所に置いて二日以内に食べてくれとお願いするか、注意書きを一緒につけるようにすればいい。
手間はかかるが、安全第一である。
「さて~、汗もひいたでしょ? 試着を開始するわよー!」
手の指を滑らかに動かしながら、招くようにアイオライトを呼ぶアーニャ。
「試着室にはいくつかおいてあるけど、順番が書いてあるからその順番に着て」
「なんで?」
「なんでもよっ」
なぜ順番なのかは分からないが、まずは一と書かれたカゴの中に入った服を着る。
「これいいじゃん!」
アイオライトの好きなタイプの服だ。
青い服より少し深い青のオーバーオールに生成りのTシャツ。
「どう? どう?」
アイオライトがテンションが上がってすぐに試着室を出る。
「ふんっ! なかなか似合うじゃない」
オーバーオールはやはり作業着のイメージが強いのか、今までデザインしてもアーニャが作ってくれた事はなかった。
「今回はどう言った風の吹き回し? オーバーオールなんて作ってくれた事なかったのに」
少しびくりとした様に見えたが、気のせいか、すぐに次の試着を薦める。
「似合うと思ったからよ! 次」
う~ん。なんか納得がいく様ないかない様な顔で訝しがっていると、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ。あ、ラウルさん。と?」
アーニャはラウルのことは知っていたが、その後ろから入ってきたリチャードとは初対面である。
「初めまして。ラウルの友人でリチャードと申します」
「こちらこそ、初めまして。虹の花束へようこそいらっしゃいました。」
優雅に挨拶をするリチャードに負けじとアーニャも挨拶を返す。
「私はラウルの友人ですので、あまり身構えずに話しかけていただけると嬉しいです」
リチャードが言うや否や、
「そう? じゃぁ、そうするわ! ねぇ、ラウルさんもリチャードさんもうちに何か用? 買い物?」
びっくりするほどの変わり身に、リチャードもラウルもキョトンとした顔をしている。
アイオライトだけは肩を揺らして笑っているが。
「いや、アイオライトが中にいるのが見えたから、これを渡そうと思ってさ」
ラウルが紙袋を渡す。中には弁当箱が入っている。
「本当においしかったよ。みんなで行きの馬車の中ですぐ食べちゃった」
「あはは、それは良かったです!」
「あとは、弁当のお礼に、これ」
土産の菓子を渡し、ほんわかとした会話が繰り広げられそうになるが、アーニャは試着の続きをしたいので、ぴしゃりと言い放つ。
「ラウルさんとリチャードさん。今は新しくアオに作った洋服の試着をしてるの。用事なら試着が終わってからにしてくれる?」
ぶれないアーニャ。
「アーニャさんがデザインしたのかな? ファッションショーのようだね。見ていてもいいのだろうか」
リチャードの《ファッションショー》と言う響きに、アーニャが機嫌を良くしたのが分かる。
「構わないわ。さぁ、次の服!」
アイオライトはこのオーバーオールだけでも良かったのだが、試着室の籠はあと二つある。
青い服以外の服にはそこまでこだわりがないが、今回はアーニャの気合の入れようがいつもと違うので、残りも着てみることにする。
順番に、と言われた次の服を広げた瞬間、嫌いではないが、さすがにヒュッと喉が鳴る。
『これ、ゴスロリ風の軍服?』
アイオライトの髪の色と同じ色の生地、胸元はシャボタイ、襟や袖の切り返しには金の豪華な刺繍。膝上五センチほどのワンピースのような作りで、裾から見えるか見えないかの黒のショートパンツ付き。
アーニャは転生者ではないはずだ。この世界にゴスロリファッションはない。
しかし、この世界の貴族にはこういった感じの軍服を着る人も確かにいるようだし、そこから発想を受けたのかもしれない、と一旦不穏な考えをひっこめた。
「ちょっと、アオ。どう?」
「着れたよ。でもこれさ~」
裾を少し持ち上げて試着室を出た瞬間、ラウルの目が真ん丸に開いているのが見えた。
「これとちょっと中のショートパンツ短すぎない?」
アイオライトは普段は青い服で仕事をしているので、こう足が結構出ている服は珍しい。
「いや、あの、あれだよ。そう、小さな王子様みたいでカッコイイよ…」
ラウルが声をかけるが、声が裏返っている……。そしてその裾から出る細く白い足に目が釘付けになっている。
リチャードは、これは面白い場面に出くわしそうだと、内心ワクワクが止まらないのを表に出さない様にと、いつもより無表情である。
「やばい! これいいよ!」
アーニャが興奮気味に声を上げて、ようやくラウルは瞬きすることが出来た。
リチャードは表情を崩さない。
「ラウルも小さい時、こんな感じの服を着てたよな」
「でも、ズボンは膝ぐらいまであったよ」
コソコソとラウルとリチャードが何かを話しているが、アイオライトとアーニャには聞こえない。
「じゃぁ、次行ってみよう!」
「うん。じゃぁ着替えるよ」
え?もう?という顔をするラウル。それを見て苦笑いを浮かべるリチャード。
試着室に戻って三の籠を見る。
アーニャじゃない。アーニャが考えたものではない。
広げた服は、アイオライトが通っていた高校の制服にそっくりだからだ。
紺色のセーラーカラーに二本の白い線。
同じ色の胸当てには校章に似たエンブレム。
見頃は白。
袖の切り替えしはセーラーカラーと同じ色。
アイオライトがスカートをあまり履かないことを知っている為だろう。下は同じ色の膝上キュロットスカートにしてある。
とりあえず着替えて、アーニャを問いただそうとアイオライトは試着室を出た。
「に、似合う!」
アーニャが凄い勢いで突進進してきたので、アイオライトはひらりと避けた、つもりだったがバランスを崩して倒れそうになってしまう。
「ふぁ!?」
「危ない!」
見ていたラウルが、アイオライトに手を伸ばす。
腹の下に腕を入れて、転ばないように抱きかかえたラウルは、アイオライトのその柔らかさに驚愕した。
まて、まて。おかしい。この柔らかさはおかしい。自分の感覚がおかしくなったのかもしれないとラウルは取り乱しもしたが、さらに追い打ちをかけるものが目の前にあった。
「ありがとうございます。すみません。自分重かったでしょう?」
向き直って少し頭を下げ、前屈みになって礼を述べるアイオライトの服の胸当てが外れて、白いほっそりとした首の先に、鎖骨が見えた。
さらに、肩から細い紐の先に、慎ましやかだが、ふわりと柔らかそうなその膨らみがラウルの目に飛び込んできた。
「ごっ、ごめっ」
猛烈な勢いで飛び退くラウルだったが、下にキャミソールのようなシャツを着ていたし見えていないと思ったアイオライトは、何事もなかったように胸当てのボタンを留めている。
「馬鹿ね。アオ。あんた女の子なんだからもっと恥じらいなさいよ」
「そんなこと言ったって、みんな自分のこと女の子扱いなんかしないじゃないか」
「そうなんですか?やはりみんな家族みたいなものだからでしょうか」
なんでもないように会話をしているが、リチャードは知っていたのだろうか。
アイオライトが、自分を見上げている。
いままでの事が、思い出される。
何という事だ。
「アイオライト、君は、その、女の子なの?」
「はい。自分、こう見えて一応女子です」
ラウルは、アイオライトが放った言葉に、落雷のような衝撃を受けながらも《彼女》をみる。
なんだろう?と自分を覗き込むその仕草に、思わずくらりとしてよろめく。
「ラウルさん?」
目の前にいるのに、アイオライトの声が遠い。
もう一度彼女ををしっかり見る。
何故、自分は彼女を青年だと思っていたのだろう。
「あぁ、こんなに……」
可愛い女の子なのに、という言葉は声にはならず、ラウルはそのまま意識を失った。