6-04 微笑み
アレーシス・ファレガ・オルシム=ヴィヴィレックは、風に靡く赤い髪を掻き上げた。
「あの時のウエイターは・・・」
〝宣伝塔〟にノイスの声が流れる、数時間前の早朝のこと。
気まぐれに逃げ隠れを繰り返している途中、二人は安全な場所で休憩をとっていた。
「ん?何か言った?」
「いいえ・・・これから何処に行ったらいいのかしら?」
「そうだなぁ・・・」隣にいたセージは、削れた片手を見た。「機械屋にでも――あ。今の時代も〝機械屋〟って言う?」
「ええ。変ってないわ」
二人は笑いあった。
「まっとうな店には行けないな。全身機械だってバレたらあとが面倒くさい」
「それなら、闇の機械屋は?お店に出ている頃、聞いたことがあるわ。法外な値段で一流の技術を提供してくれるって。ここからだと・・・三日ぐらいかかるかしら?」
「じゃあ、その間にお金を作らないとね。どこかにハッキングしようか?」
「大丈夫よ。ある程度なら出せるから」
セージはファレガを見た。水色の目が細くなる。
「言ったでしょう?ナンバー・ワン、だったって」
「【ドールズ】で?」
「そう。あのお店が一番楽しかったわ。もう、十年ぐらい前の話しだけど・・・」
「そう・・・」
死んでいる間に想い人が娼館にいた話を聞いて、複雑な心境にならない者はいない。
セージはふと、遠くの空へと視線を向けた。
「暁の女神が闇夜を追い出すよ」
紺色と水色とオレンジ色に、赤・・・薄っすらと残る星々も、闇を呼ぶ愚かな人間に憤るファレガの片目に、もうすぐ消え去ることだろう。
もう片方の慈愛の瞳は、この世の不浄を洗い流すかのように溜まった塩辛い海と呼ばれる水で、生命を作り出していく。水底に沈む片目が潤み、瞬きをする度にその水は満ち引きを繰り返し、やがて暁の女神は父である太陽の神に空を任せて眠りにつく。昼間の間大地神と戦いを繰り返すアオマニムスは、夜になると一転、その姿を美しい女へと変え、ザンを優しく包み込む月神となる。アオマニムスはザンを愛し、また憎んでいるのだ。
故に、世界は表裏一体である。
故郷を出て天体地図と海の干満の仕組みを知ったファレガだが、それでも暁の上る様子には、言い知れぬ感動と畏れを感じるのだった。
「・・・相変わらず、そういう言い回しは変らないのね」
「四年じゃそんなに変らないよ」
「そうね・・・」
微笑するファレガにとっては、四十年も前の懐かしい口調だった・・・。
悪を斬る正義の剣と、弱者を守る楯を持ち、全ての者を解放する翼を広げた石像。暁を背負うようにして海上に立っている巨大な『自由の神』の頭上で、ファレガはセージの片手を借りて立ち上がった。
アレクは深呼吸をした。
久々に、眠れそうな気がする。
とろりと意識が落ちていくと、ゆっくりと目を瞑る。
永遠の眠り――。
その可能性を秘めて・・・。
「機械はより人間らしくなり、人間は機械と獣に化してゆく・・・」
「誰の言葉?」
セージは微笑した。
「僕」
ファレガも微笑する。
二人の赤い服が風になびいている。
セージは遠くの方へと視線を移した。
彼の視線の先には、刻々と姿を変える早朝の空がある。
「僕達の娘は、まだ生きてるかな?」
ファレガは視線を上げると、少し困ったように微笑した。
「風のうわさで子供を産んだと聞いたわ」
「えっ?」
セージは勢いよくファレガに振り向いた。
頭の中では分っているものの、彼の体内感覚では、せいぜい四才の幼子が赤子を産むとゆう奇妙な現象が起こっている。
ぽかんとした顔のまま静止しているセージを見て、ファレガは苦笑した。
「私達の孫が、この世界のどこかにいるのよ」
「・・・」
セージの顔が、数秒をかけてゆっくりと、真剣な顔へと変ってゆく・・・。
溜息。日常の感覚を取り戻すには、まだ少し時間が足りないようだ。
再び水平線へと視線を移すと、彼は眩しそうに目を細めた。
「いつか・・・会えるだろうか・・・」
赤い髪に見え隠れする水色の瞳を細めながら、半世紀を生きた少女は花が綻ぶように微笑った。
「ええ。いつか、きっとね・・・」




