1-06 セージ=サクト
どこからか、神の信託のように声が聞こえる。
闇の中で、男とも女ともとれない――声ですら無いのかもしれない声が浸透するように響き渡った・・・ノイズとともに、外界の音が聞こえるようになる。頭の芯が温まってきて、覚醒がはじまる。意識が戻ってくる。
白い花?ここは天国か・・・最後の審判が終わったのだろうか?
「さぁ、目を覚ますんだ・・・」
博士。そうだ。これは博士の声だ。
聞き覚えのある声に導かれて、薄らと視界が現われてくる。横たわっている体の上には医療用のライトがついていた。眩しい光が博士の手によってどけられる。
最期に見たのは白い光で、再び最初に見たものも――・・・白い光だった。
セージは自分を覗き込んでいる博士を見つけた。
銀色のスマートゴーグルの表面に、一瞬だが何かが映った。しかし博士の顔が老け込んでいるのに気付き、自分が長い間眠りについていたことを知ると、悟った〝何か〟などすぐに忘れた。
黒ヒゲのベルガ博士は、ペンライトの光をセージにあて、その瞳の動きを確かめた。
「気分はどうだ・・・?」
《良好です》
セージは自分の声に違和感を感じた。長い年月の間に声質が変ったのだろうか。それとも病み上がりだからだろうか。
「君の名前は?」
《今更ですか》
「そうだ。君の名前は?」
《セージ=サクト。種族、真性・スターソイド。性別は肉体と精神、ともに男性。精神年齢二十三歳。出生経過年数は――・・・博士、僕はどれぐらい眠っていたんですか?》
博士はしばらくセージを見つめ、そして口元を押えた。湧き出してくる歓喜の表情を抑えることもなく、老年の博士は目に涙を浮べた。
「やった・・・やったぞっ。成功したっっ。成功したぞ、セージ君っっ」
セージはここが、医療施設ではなく博士の研究室であることに気が付いた。
寝かされていた台から上半身を起こす。博士は今までに見たことがないほど狂喜し、カルテや波形機器やコンピューターを見渡し、そして大きなゼスチャーで両手を天へとかかげた。
「ああ。ああ・・・ついに・・・ついに成功したっっ」
《何が成功したんです?》
「君だっ」
《僕?》
セージは数秒沈黙し、手元を見た。起き上がった時の違和感は、両手が義手になっていたことだと気付く。開いたり閉じたりしてみると、それは己の意思の通りに動いた。
《もしかしてこれは・・・博士が考えていた、神経と機械をつなぐ技術ですか?それが完成したんですねっ?》
セージは嬉しくなって博士に振り返った。
ベルガ博士は苦笑する。
「いいや。セージ。この研究はすでに十年前には成功している」
《十年?僕はそんなに眠っていたってことですかっ?》
セージは思わず自分の顔に触れた。また違和感がある。機械の義手のせいだろう。顔の方にも感覚がないような錯覚をおこしてしまった。
ふと視線を下げると、服を着ていないことに気付く。しかも両足まで機械義足だ。それに見える限り、下腹部や上半身までが生身の状態ではない。
《なんてことだ・・・僕はそんなにひどい状態だったのですねっ?無理も無い。建物中が爆破されて天井が落ちて来たんだ。生きているのが不思議なぐらいだ・・・》
セージは自分の義手をまじまじと見つめた。サイボーグになっているとは思わなかったが、それでも博士の研究に役立てた。
こんなにも大きな比率で機械を埋め込むことに成功したのだ。これは歴史的な第一歩に違いない。
博士が喜ぶのも、それを成功させるのに十年が経過していることも頷けた。
《博士の念願の夢が叶ったんですねっ。これを発表すれば多くのひとが延命できますっ》
「ああ・・・」
ベルガ博士の声が急に沈んだのに気付いて、セージは振り返った。
《どうしたんです?》
「セージ・・・君は・・・ああ、どこから話したらっ。そう。君は・・・ここは君が意識を失ってから四十年後の世界だ」
《よん・・・四十年っ?そんなにっ・・・じゃあ、僕は・・・五十九歳っ?》
セージはもう一度自分の顔に触れた。ほほには生身特有の弾力はなく、そして顔のほうからの触感も何故かなかった。金属のつるつるとして固い感触がかわりに在る。
――赤。瓦礫。悲鳴。警報。手。血。細い足。白い廊下。血。白い光。
突然弾かれたように頭をあげ、セージは博士に向って叫んだ。
《そうだっ。あのあとっ。あのあと事件はどうなったんですっ?どれぐらいの人数が亡くなって・・・新しく入った実験体は無事だったんですかっ?》
「五百人以上が亡くなった・・・そのうちの三分の二が実験体用に調達した者達だ」
《い・・・今でもあのようなことをっ?》
「いいや。あんなに大々的な集団拉致は行われていない。君が眠っている間に、ムーロイディやスタロイディの人権もずいぶんと改善されているよ」
《亡くなった実験体達のデータは残っていますかっ?》
「まぁ、探せば――なくはないだろうが・・・何せデータ自体が大きなダメージを受けているからな。性別や年齢が分からない死体も数多く――」
《データの復旧はしたのですか?》
「一応はした・・・完璧に復旧されたのは当時の社員のものだけだ・・・・・・君はなぜ、実験体の方に興味を示している?」
《四十年もたっているのです。その間のことが知りたいと思うのは当然でしょう?》
「うむ。まぁ、それも一理ある。【ひとは生まれながらにして知ることを欲する】。しかしセージ君。君は五十九歳ではないし、ましてや他の何歳でもない。それに君の精神構造が男性であっても、今の君は物理的な『男性』ではないんだ。それに、どの人種でもなければ、どの生物にも属さない・・・」
セージは眉間を寄せた。正確には、そんな気分になった。
《それは・・・どういう意味です?僕がサイボーグ化したことを指しているのですか?》
「いいや。君は生身を補助されているサイボーグではない。記憶と精神を機械によって補助されている新しい存在なんだ」