5-08 戸惑う
セージはぎりぎりの所でビルの端へ足先をかけ、前方に深く体重移動して屋上へと降り立った。走って温室へと向うと、組まれた三角型のガラス、そのへりを掴んだ。そのまま勢いをつけて大きくジャンプ。屋根の上へと立つ。
それと同時に小首を傾げると、耳の横を銃弾が掠った。
そうしたのはほとんど本能的な自動危険回避装置の作動だが、衝動的に少女の腕を掴み銃口を自分の額へと向けさせた理由は、自分でもよく分からない・・・。
大きく見開いた水色の瞳の中に、セージの姿が映っている。
口を開けていた少女はようやく息を飲むと、小刻みに体を奮わせた。
「セー・・・ジッ・・・?」
その声も、その表情も、彼女はファレガだった。もともと童顔だった彼女の姿は、四十五年前から全く〝変化していない〟。髪が伸び、ウェーブがかかっているぐらいだ。十代の頃の彼女は、直毛だった。
「ファレガ・・・なのか?」
自分が見つめ、触れているものが真実なのかどうか、セージには判断できなかった。脳内で何らかの誤作動が起き、敵の姿が〝彼女〟に見ている可能性はないのか。しかし少女は自分の名を呼んだきり、口を開いたまま呆然としている。
《おい、ヒューマノイドッ。早く乗れっ》
イヤホン型の通信機からアレクの声が聞こえる。セージは夢現のまま囁いた。
「僕は乗らない・・・先に行ってくれ・・・」
《・・・いいのかっ?》
「いい。気が向いたら追いかける」
一瞬の躊躇いのあと通信が切れた。ヘリが遠ざかっていくが、地上に残された二人は互いだけを見つめ合っている。やがてヘリの気配が無くなった頃、束ねたオレンジ髪を風にそよがせる青年が口を開いた。
「どうして君が・・・君は・・・本当にファレガなのか?」
「あなたが――あなたは・・・死んだんじゃ・・・」戸惑いの声のあと、少女は何かに弾かれたような顔で捲くし立てた。「あなたも新薬を投与されたのねっ?」
セージは目を見開いた。
彼女はファレガの娘ではない。そもそもあの時の子供ならば、すでに四十歳にはなっている筈だ。脳裏に〝マザー〟からインストールした情報の一部が浮かぶ。
――〝彼らは全く変化しない〟。
「君は・・・新薬実験に割り当てられたんだね?そして、変異した・・・」
「そう。ずっと、あなたと一族の復讐を考えて逃げ延びてきた・・・」
ファレガは自分の腕を掴んでいるセージの腕を見た。スーツの袖の間から、影のかかった生身ではない部分を見つける。ファレガはそっと袖の中に指をいれ、それを確認した。肉の感触からすぐに、そうでない肌触りになる。
つるりとした、温度のない〝何か〟――。
「あなたは・・・・・・誰?」
「セージ=サクト・・・かも、しれない存在・・・」
「かも、しれない?」
「僕は四十年前に死んだ。あの時、君と別れたあとで・・・死んだ筈だった・・・博士が僕の脳を保存し、その記憶を取り出して、アンドロイドの器に『僕』を埋め込んだ。僕はセージ=サクトという人間に、一番近い・・・〝何か〟だ・・・」
「・・・」
ファレガはその話をじっくりと吟味するように、セージの顔を見つめていた。最期にしたようにセージの顔を撫で、髪に触れてみる。その目には戸惑いと期待が入り混じった、溶けかけか、固まりかけの水飴のような感情が見て取れる。
少し甘えたようでいて、強制的な誘導力を持つ質問の仕方でセージを見上げた。
「本物なら・・・あの時みたいに、して?」
「あの時――?」
「あなたが熱を出したあと、わたしに川原でしたことよ」
初めてみる自然の生き物。小魚の魚影。光が揺れる水面のせせらぎ。
陽の光の暖かみ。つつじか椿に似ているシュアザローナの茂み。風向きが変るとその香りがふわりと鼻先を掠め、枯葉の混じった有機的な土の匂いが鮮やかに思い出される。
岩陰に隠れるようにして二人で身を寄せ合って座り、囁き合い、声を殺し笑い、自分が把握している以上に互いの体が接近していることを急に自覚して――・・・。




