5-05 箱の中に残された最期の希望
――リジェネ?蘇る・・・スピラー?精神・・・霊魂?
――そうだとすると、黄泉返る、の方か?
――あの世から再生してきた者?
「・・・・・・死にたければ勝手に死ねばいい。弾ならそこらじゅうに転がっている」
「僕は通常のロボットやアンドロイドと同じに、【三原則】に縛られている。僕に特別に用意された【第四条】も、わずかな心残りを作ってしまった今の僕には、使用できないんだ・・・今の僕の意思では、自ら死ぬことが出来ない・・・」
「・・・」
アレクは数秒沈黙し、ため息を吐いた。片足飛びでデスクまで移動すると、開きかけの金庫に気付く。まだ機能が生きている。きっと『証拠』はこの中だろう。
「メイン・コンピューターが無くなったから、暗号の直接入力しか方法はないよ」
アレクはセージに横目をやった。
「お前は暗号を知っているのか?」
「いいや。――でも、開けたら僕を殺してくれる?」
「考えてやってもいい」
セージは絵画と表裏一体になっているドアを見つめた。二匹の蛇が二重螺旋を描いて巻かれているスティックの頭に、翼の飾りがついている。
「カドケウスの杖・・・おとぎ話か・・・」
「何?」
「カドケウス社の名の由来。ゼーウスの息子ヘルメイスが持つ、知識・仕事・生命・健康――あらゆる『善き』もののシンボルとされる杖だ。ヘルメイスは、雄弁や商業・父の意思を伝える神・・・トーマス=シューゼンの遺志を保管するには、最高にブッラクユーモアのきいた場所だ・・・」
セージは絵画の中で宝石箱を持っている美女を見た。鍵と箱は関係がないのか?金庫。秘密を隠す場所。他人には見られたくない、影の部分をしまう場所。闇。負。
「これは本当に、宝石箱なのかな・・・?」
「・・・違うと?」
「きっとこれは、鍵と関連するおとぎ話の世界を描いた絵なんだ・・・秘密を閉まった箱を持つ、人形のような美女。ゼーウスが作った、人間のまがいもの。パンドラ・・・ノイス=シューゼンはこの箱の中に、自分が持つ一切の『悪』を詰め込んだ。そしてそれが他人の手によって開かれる時、その『悪』は表へと暴露される・・・きっと、そういうことだと思う・・」
セージは金庫のボタンを押した。
「【エピメテウスが急いで蓋を閉めたので、箱の底には、希望が残った】・・・」
《パンドラ・ボックス》
ディスプレイに赤い文字が浮かび上がった。
《認証》
分厚い金庫の蓋が開いた。小さなケースに入った髪の毛束の切れ端が、何かのサンプルのように几帳面に並んでいる。殺人快楽者の中には、遺体の一部や持物をコレクションする者がいると言う。おそらくノイス=シューゼンもその類の趣味があったのだろう。
「・・・これだけか?」
四角い空間の中に、書類以外の他の物質は見当たらない。被害者達のDNAと照合さえれればこの髪も証拠物とはなるだろうが、それはあくまでも支社長が犯罪者だ、という証拠である。これを世間に流しても、カドケウス社が事件に関係しているという証拠にはならない。
「おかしいな・・・」
セージはケースを片手に抱え、金庫の中をもう片方の手で探ってみた。無機質な壁を指先で撫でると、天井部分に違和感がある。指紋認識用のプレートだ。支社長の情報を脳内から引き出し、金庫内部と通信。模造された現実を相手に幻視させる。混乱した相手からの無言の【認証】を受け取り、ヒューマノイド・・・いや。リジェネ・スピラーは僅かに微笑した。
「〝希望〟は、箱の底に――」
静かに箱の底が競りあがってくる。中からは一本の豪華な棒が――いや。万年筆が現れた。アレクはそれを手に取り、すぐに眉間を寄せた。キャップが開かない。風の神の名を持つ青年は、平均よりやや機械類との相性が悪い。もたもたと弄っている間に、蓋がカチリと回転した。