3-12 ベバロ
寒い。すでに末端器官の感覚は失われている。震えが止まらない。それでも意識を放棄しようとしないのは、希望を抱えた青年が、自分の代わりに高みへと上ろうとしているからだ。ミカナスは痛みに耐えながら、震える声で呟いた。
「デゥーバーナ・・・風の神・・・どうか、エドナカリンの青年に加護を・・・」
◇*◇*◇*◇
「グレイっ」
銃声。振り返ると、リカルトが監視カメラを破壊している所だった。鳥のクチバシのような黒い仮面を目元に付けている。そこから覗くのは紫色の人工の虹彩だ。
「ミカナスは?」
「・・・死んだ」
「・・・そう・・・」
素っ気無さを装った声だった。リカルトは丸めた黒い長衣を投げて寄越した。腰の辺りを帯紐で括るタイプで、別宗派の牧師服だ。ありがたいことに、帽子がついている。
「これを着て。今じゃ映像の証拠はなかなか採用されないけど、疑われないならそれにこしたことはないでしょ」
キゴジュに似ているので、アレクはものの数秒で着替える。
その間も、侵入者を追ってくる空飛ぶ目玉〝サンダルフォン〟を、リカルトは銃で落としてくれていた。試作品の段階であるため、性能には改善余地が残っているようだ。
左手首の鎖はいつの間に無くなっていた。右の手首に金属製の腕輪をはめていると、リカルトが長い布を差し出した。牧師が肩から垂らす布かと思ったが、信仰する象徴や教会紋の刺繍は見当たらなかった。
その布は――・・・べバロだ。
「君の一族、戦う時にはそれを顔とか頭に巻くんでしょう?」
「なぜ・・・それを」
「ミカナスが言ってたんだよ。君は〝エドナカリン〟だって。僕も生粋じゃないけど、蚊が吸い取れる分ぐらいは親戚筋みたいだしね・・・まぁ、それで・・・」
「じゃあお前は――」
リカルトは微笑した。
「父親にそう言われただけで、実際にそうなのかは分からないよ・・・エレベーターまでは僕が援護する。前だけ注意して」
アレクは水色のべバロをマフラーのように顔に巻きながら頷いた。長衣のフードをかぶると、見えるのは目元だけだ。二人はブライアンとミカナスに託された『鍵』を持って、指定されたVIP用のエレベーターへと急いだ。
◇*◇*◇*◇
赤い髪の少女は、六階の廊下を走っていた。通用口から侵入し、迷子を装って警備ロボに助けを求めては、動きを止めた。
――何者かは分からないが、このテロリスト集団が隠れ蓑になってくれるに違いない。
テトラはポシェットの中にある手榴弾を確認した。
「あと・・・四つ」
医療班のサマエリナス=マリード。そして工学班の生き残り、ヘンリー=ベルガ。この二人を見つけ出し、殺さなければならない。研究という名の虐げで、多くの命を犠牲にした罪は重い。
テトラが背負っている重い責任と使命は、二人の死、以外に果たされることはない。
ピロティの天井は、七階まで吹き抜けになっている。すりガラスのはまった回廊の壁には、【 緊急事態 速やかに避難して下さい 】という電子文字が横に流れている。その壁の下から、何発もの銃声と悲鳴、爆発音を聞いた。
爪先立ちでピロティを覗き込むと、想像していたものと違った光景が目に入った。
ダーク何とか、という黒尽くめの奴らは、出席者を誘導して入り口から出している。算段として今日雇われたスタフあたりか・・・彼らは見逃してもらっているようだ。
この様子だと、非常口にも彼らの仲間がいるのだろう。
民間人は巻き込まない主義か。どうやら新しい思想を持った集団らしい。
―――ならば何故、よりにもよって大人数のいる今宵なのか・・・まぁ、そんなことはどうでもいい。こちらに追い風が吹いているようだ・・・・・・長年待った。何も変わらなかった。だから、自分で変えてやる。今宵、全てが終わる。




