3-09 ベルガ博士の死
セージはすでに黒煙を抜け、部屋の隅へと避難していた。ゴホゴホと咳をしている博士に気付き、博士を壁側に、自分の背中を敵側に向けた。
「ドクター。ドクターッ、血がっ」
博士は血を吐いた。いつの間にか、腹に銃弾を受けている。流れ弾だろう。博士はセージの腕を力強く掴み、握り締めた。咳をする度に、口に添えた指の隙間から血が漏れる。
「行きなさい、セージっ・・・」
「何を言っているんですかっ?」
「行きなさいっ。逃げるんだっ」
「博士を置いてなんてっ」
「今ならまだ間に合うっ」
博士はセージを見上げた。アイスグラスの反射の関係で、一瞬だけ博士の黒目がセージに見えた。彼の目は、真剣だ。
「君の人生を歩みなさいっ。行くんだっ。わたしはもう助からない」
「博士っ?」
「行くんだっ。行けっ。わたしは間違っていたっ・・・君を蘇らせて、恐ろしくなった。不死の恐怖、そして愛している者に拒絶される恐怖っ。君に拒絶されるだけで、わたしの精神はこんなにもダメージを受けているというのにっ・・・死なない体に蘇った時、彼に――クリフに君のように拒絶されたら、わたしはっ・・・わたしはっ・・・」
ゴホォッ、とベルガ博士は大量の血を吐いた。セージのスーツに飛沫が飛ぶ。
「博士っ」
「行くんだっ・・・」
博士は弱弱しい力でセージを押した。
「わたしが死ねば、君の存在を守るものは誰もいなくなってしまう。君は半永久に生きながら、実験体として扱われるかもしれないんだ。そうなる前にっ・・・早くっっ」
「博士っ、僕にはっ・・・僕にはどこにも居場所なんてっ」
「見つけるんだっ。自分の力でっ。君ならできるっ。君なら――」
博士は前かがみになった。自分で自分の体を支えられなくなったのだ。セージは博士の名を呼びながら、その体を抱き起こした。ベルガは浅い息をしながら、今までに聞いたことのない優しい声で言った。
「君がわたしと同じように、ひとりの人間を愛していることは理解している・・・気が狂う程に。自分を犠牲にしても、運命や神の意思に逆らってでも、手に入れたい存在なのだとっ・・・・・・君の恋人が実験体の中にいたことは、おおよそ見当がついている・・・セージ、諦めてはいけない・・・あの事故のあと、実験体のうちの数人が行方不明になっている・・・組織が残らないほど焼滅してしまったか、あるいは・・・あるいは――」
「彼女は生きているかもしれないと?この、この現代にっ?」
博士の言葉には喘息が混じり、呼吸が過剰になっていく。
「そう、そうだ・・・そしてきっと、その姿はっ――・・・ああ、セージ、許してくれ。わたしは何と残酷なことをっ・・・自分が死ぬ間際まで、気付かなかったとは・・・セージお願いだ。実験のデータを、全て消去してくれっ・・・」
「何を――」
「お願いだセージ・・・もう二度と・・・」
ベルガは何かを言いかけ、そしてゆっくりと項垂れた。
「ドクター・・・?ドクターっ、ドクターっっ?」
セージは博士の肩を揺さぶった。背中越しに乾いた音が鳴ると、オレンジ色の髪が数本宙に舞った。壁には弾丸の傷跡が残っているが、セージは博士しか見ていない。ベルガ博士の心肺運動数値の低下を確認・・・周りの騒音が戻ってくる。セージはゆっくりと博士の体を解放した。立ち上がると、ぐったりと座っている博士を見下ろす。
「博士・・・どうして僕に、涙腺を作ってくれなかったんですか・・・あなたのために泣くことも、未来を思って泣くことも・・・僕にはできないっ・・・」
セージはうしろへと振り返り、戦場と化しているパーティー会場を見渡した。
世界の本質は、四十年前と何も変わっていない。




