3-08 カムゥナ・アレイル
喧騒と悲鳴の中、少年は無表情にナイフを弄んでいる。銀色に輝くその表面に、どんな感情も窺えない少年の瞳が、一瞬だけ煌いて映った。それまできょとんとしていた少女はそれを見ると急に憑き物が落ちたように表情を落ち着け、諦めでも投げやりでもない調子で少年に質問した。
「・・・私を殺す気?」
「違う」
それはショルベナーン地域の『否定』を意味する言葉だ。しかもその言葉の使用を許されているのは、〝神に仕える者〟か、〝生き神〟だけである。
少年は少女の腕を取って上半身を起こすと、ナイフをくるりと回して柄の部分を少女に握らせた。上掛けを脱ぐと背中を向けて左の肩甲骨辺りを示す。少女の指を無理やりとって背中を這わせると、違和感のある部分を示した。
「ここだ。刺してくれ」
「刺す?」
「ここに発信機がついている。それを取ってくれ」
少年は振り返った。
「君はさっき、マリードを殺そうとしただろう?それを報告されたくなかったら発信機を取るんだ」
「あなた・・・あの男の・・・」
「奴隷だ」
「奴隷・・・?」
少女は数秒沈黙し、そして指先で固い〝しこり〟を撫でた。決心したように顔付きを変えると、少年に片腕を噛むように示す。少年は頷いた。
一拍の躊躇いの間のあとで、悶絶するような痛みが背中に走った。苦曇った呻き声をあげたが、幸いと銃弾戦に紛れて少女以外の誰かに聞かれた様子はない。テーブルのふちを必死に握り締めている片手がかすかに痙攣していた。
紅潮した少年の顔が細いため息を吐くと、少女は血の付いたナイフを床に抛る。その側に落ちている小さな機器が発信機だ。少女は酒の入ったグラスを取って、テーブルクロスに染みこませた。それを傷口に当てる。
「応急処置よ」
少年は顔を顰めながら、「ありがとう」と小声で言った。傷口が意思を持って鼓動しているようだったが、痛みに耽っている暇はない。上着を着直すと少女へと向き直った。
「ありがとう。僕はアレイル」
「わたしはテトラよ」
少年の表情が僅かに変化した。一瞬細めた目を、今度は上目使いで少女に向ける。
「本当に・・・?」
水色の瞳に警戒と敵意が浮かぶ。
「・・・どういう意味?」
「四十年前の爆発事件の資料に、君の顔があった」
少女は目を見開いた。あれは社内でも極秘扱いの筈だ。それを見たということは、やはりこの少年はあの男が信用を置いている存在なのか――?
少年は艶かしいとも言える大人びた口調で、少女の予想を貫いた。
「僕は君を知っているよ。――いや。君も僕を知っている筈だ。メロカリーアの末裔。暁の女神の祝福を受けたがごとく、燃える髪色を持った少女。そして〝物事の初め〟を受け継ぐ我が愛し子よ・・・」
少女は不敵とも言える少年の瞳に魅入られた。
「・・・・・・・・・・・・・・・〝アレイル〟?」
「いかにも」
「いいえ、そんな筈ないわ。だって・・・あなた・・・〝アレイル〟という名は嘘ね?」
「嘘ではない。わたしは〝二人目のアレイル〟だ」
少女は認めがたい現実に対面した。鼓動が高まり、寒気が脊髄から後頭部に走る。そして畏れと動揺と確信を込め、小ぶりな口が開いた。
「クローン・・・」
少年は瞳を細め、黒く汚れた少女の片頬を撫でた。その指には人間らしい体温があり、その声は、慈愛と不動の意志に満ちている。
「我が同族の末裔よ・・・共に逃げ、一族を再建しようぞ・・・」
少女の声は上擦り、震えている。
「いいえ、わたしは・・・わたしは行かなければ。わたしは一族の復讐を果たす義務があるのです・・・あなたは・・・どうかお逃げ下さい。今ならまだ民間に紛れることもできましょう・・・縁があればまた、何処かで・・・いえ。必ずお会いしとう存じます」
少年は少し名残惜しげに、しかし圧倒的優位な立場から発言した。
「ああ・・・いずれまた、何処かで・・・」




