2-16 AAA室
「天国製の傀儡、機械人形は特別製・・・召し使いは僕の隣。僕の心は地獄の淵で、HEY、長く悲しみ・・・分かってるよ、彼女はもういない・・・闇の海、彼女は魅力的・・・夜空に明け星は見えず、ここには魔王すらいない・・・」
AAA室の三日月型テーブルで報告書を読んでいたベルガ博士は、車椅子の位置を球体コントローラーで変えると、ソファに蹲っているセージに向って、「こちらに来ないか」と言った。セージは小声で歌うのを止め、虚ろな瞳で博士を見た。
「その服を見せてくれ」
これは命令ではなく要求だったが、セージは渋々テーブルの側まで歩いてきた。上着のハイネックにはファッションベルト。白いズボンと靴。帽子を目深に被っている。全体的な雰囲気は歴史書の〝看護士″か〝スキーヤー″だ。
博士はセージの姿をしみじみと見つめた。
「衣服を着ていない状態に羞恥し、自発的に衣服をまとう・・・【初めの人は、己が裸であることに気付いた】・・・君はロボットではない。ロボットは、自分がロボットである現実にコンプレックスを感じるような、繊細な精神など備わっていないのだからね」
「僕が気にしているのは〝ロボットである〟とゆうことではなく、〝人間ではない〟とゆう状態です・・・」
博士は困惑を露にした。
数秒の沈黙のあと、微笑――。
「一緒にお茶をしないか」
「お茶?」
「もっとも、わたしは専らこちらだけどね」
そう言って博士は、コーヒーカップをあげて見せた。
セージは笑わない。
「僕に食事や水分補給は必要ありません。それにロボットの体内に機械油以外の液体を流し込む行為は、《第三条》の自己防衛に反します」
「食事は自傷行為ではないよ。確かに通常のロボットには《第三条》が適用するかもしれないが、君は違う。食事で栄養を補給する必要はないが、『食事』という行為を楽しむ事はできる。君の精神にはいいことなのかもしれない」
「食事を楽しむ?僕には舌がないのに・・・」
「君の口内は、食事ができるように設計されている。例えば、このカップに入った液体にカフェインがいくら入っているのか、ミルクと砂糖の割合、温度がどの程度のスピードで変化するのかが計測できる。映像通信を切っていても――いや。目を瞑っていても、それだけの情報と過去の記憶から、この液体がコーヒーであると認識し・・・いいや」
説明を打ち切った博士は、カップからセージへと視線を移した。
「更に発展した能力が、君には備わっている。〝味覚による知覚〟だ。他のロボットにも専用のプログラムを用いれば食物内の栄養源数値を測らせるなど造作もない。しかし、君はその食べ物が『美味しい』か『不味いのか』を、〝自分の意思″で判断できるんだ。盛り付けや香りを楽しみ、肉や野菜の焼ける音を〝美味しそうだ″と思えるのだ。料理の創作だってできる」
「僕は料理をしません・・・」
「まぁ、そう言うな・・・君は紅茶が好きだったね。執事、お茶を」
《了解しました。博士》
〝執事〟という名前の男性型アンドロイドが、白い小皿に乗ったカップをワゴンに乗せて運んできた。人間そっくりの頬に認識番号が刻印された〝執事〟が、恭しく質問する。
《砂糖・ジャム・ミルク・レモンなどがありますが、何かティーに付属させますか?》
「・・・分からない」
「それではダメだ。君が選択しなければ」
セージは困惑気味に博士を見た。
「・・・・・・・・・では、ジャムを」
「ストロベリー、ブラックベリー、ラズベリー、ピーチベリー、ブルーベリー。新種の杏ジャムもあるぞ。さぁ、どれがいい?」
セージは整然と並ぶジャムの入れ物に視線を落とし、ラズベリーに釘付けになった。透明感のある赤、血液をゼリーにしたような色の、とても綺麗な、暁色のジャムだ。それを見つめていると何だか泣きたくなってきた。
「セージ?どうした?」
「・・・もし僕がこれを口にすると、体内ではどう処理されるのですか?」
「液体の場合、一定期間の保存と瞬時の蒸発が可能だ。固形の場合はドライ・パウダー化され、処理後は脇腹に設置された蓋から容器に入ったままで取り出せる」
「そうですか・・・」
セージは方向転換をすると寝室へと向った。
「セージ?」
博士に呼び止められ、白衣の青年ロボットは振り返る。
「僕は、『飲まない』という行為を『選択』をします」




