1ー01 ライオンの目の許可
一章 光の分影がある 影の分だけ光は差すのか
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汝の瞳に映るのは、
天使の浴びた返り血色か。
それとも純白の悪魔の羽色か。
(マレキリート書十五章七節)
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アレクは、昼間でも人通りがまばらな『裏町』の坂道を下っていた。
ダズロン市はその南側に『裏町』と呼ばれる地区がある。大々的な歓楽街が備わっているこの街で、個人的に商売をしている者は二種類。
フリーの高級娼人か、フリーの低級娼人である。
『低級娼人』とは、定期的に店に出ることが出来ない病持ちだとか、年齢が幼いだとか高齢だとかいう理由で、街角に立っている者達のことである。
そう言う者達の稼ぎは高が知れているので、もちろん安部屋に住むしかない。歓楽街から出てくる酔っ払いを相手にすると割がいいために、そういう者は歓楽街の場末に住宅を求めた。
立地条件などから目的を同じくする者が集結し、やがて低級娼人が多く住む地区ができあがり、いつしか『裏町』と呼ばれる場所が出来上がったのだった。
アレクは今、窓がついていない一軒家を目指している。ゆったりとした坂道の途中、胡麻塩風景に豆腐が一丁沈んでいるようなものがある。隣家がくすんで薄汚れていることを抜きにしても、汚れ一つない真っ白な家だ。
軒先に置いてある青い紫陽花の鉢をちらりと見て、手すりのついた階段を数段降りる。
肉声感知センサーと監視カメラのついたライオンの飾りに向って、「あけろ」と言った。ライオンの片目が緑色になると、ドアが自動で開く。
部屋に入っていきなり、手術台兼作業台が見えた。壁際には電子機器が積まれていて、モンスターの触腕ような配線が垂れている。ネジやボルトが床に落ちているのは日常茶飯事だが、「精密機械に湿気と埃は天敵だ」と言って空調設備は整えてあるので、部屋は意外と清潔だ。
ペンのような機械が金属の部品に当てられ、周りには火花が散っている。手術台で作業をしている男は、遮光ゴーグルをかけていているのでこちらには気付いていない。
アレクは作業服を着た男に近づき、台に銀色のケースを叩きつけた。
男の顔が上がり、作業が中断。編み込みをした頭にゴーグルを上げると、青年は鮮やかなグリーンの右目と、ブルーの左目を見せた。アレクの瞳はライト・ブルーだが、男の片目はディープ・ブルーだ。
「ああ・・・また死に損なったか」
それがこの男の口癖である。
彼の実年齢は不明で、アレクが知っている名前も本名なのかは分からない。
ムーロイディかスターソイド系であるのは見た目で知れるが、二十代半ばか後半の姿のまま、六~七年前から姿が変らない。「自分で自分を整形している」というようなことを前に言っていたから、その効果だろう。
器用もここまでくると奇妙だ。
オリヴァー=ダーナ。裏社会で〝黒豹〟と呼ばれる、今は亡き〝父親かもしれない男〟に連れられ、このツナギ男と知り合ったのが腐れ縁の始まりだった・・・アレクはケースを開き、そこに詰められている札束を見せる。
「前回分、これで足りるか」
「んん・・・まぁ、利子を入れなきゃな」
男はデスクの上に置いてあったハニバッシュ・メロンパンをかじった。
蜂蜜とバターが練りこんである生地にメロンクリームを入れ、表面にこれでもかと粉砂糖をまぶした、病んだ酒飲みと虫歯もちと、ダイエット中の女には世にも恐ろしいはずの食べ物だ。
「作品の具合はどうだ」
彼の言う作品とはこの場合、義足のことだ。
「やっぱりまだ重い。三階から飛び降りた時に負担を感じた」
「三階から飛び降りなきゃ問題はないんだがな」
「仕事に支障がおきる」
男がケースと作業中の部品をどかしたので、アレクは診察台と手術台を兼用している台にあがった。ズボンを膝の上までめくりあげる。黒いカバーのかかった機械の足は、本来の足としての装飾だけではなく、運動機能を優先されて設計されている。