2-10 ゲーム
アレクは視線を巡らせる。三つの扉には、【地下】【地上】【迷路】の文字が浮かんでいる。アレクはシャンパンボトルを振り上げた老人を確認すると、それを楯で受けた。ガラスが飛散し、腕にはリアルな衝撃がある。老人の腹に銃弾を見舞った。
リアル・レプリカバージョンでは、弾に限りがある。ゴーグルの端に赤い文字で表示された数字が、一つ分減った・・・床に倒れた老人が、掠れた声で呟く。
《〝聖女が堕天する時、清らかな血の雨が天から降り注ぐ″・・・・・・》
どうやら事切れたようだ。アレクは三つの扉を順番に見て、足元に広がる血溜まりに気付いた。赤黒い液体はみるみるうちに広がり、どこまで現実を模倣すれば気がすむのか、その表面には天井の絵が映っている。
「・・・」
我々の聖者。つまりこいつらは悪魔信仰の信者か、悪魔そのものの設定なのだろう。
ならばなぜ、その本拠地に天使画と天国の門が描かれている・・・?
天井を見上げると、天使画が動いていた。悠然と純白の翼を広げ、空を飛んでいる。雲間に聳えているのは天国の門――それは両開きの、
「扉だ・・・」
アレクは天井を連続して撃ち抜いた。
無数の穴が天使達を貫き、扉の絵が破壊される。老朽化した天井に大きな亀裂が入り、土煙とともに巨大な影が頭上から降り注いでくる。
ゴーグルに仕込まれた多重スピーカーはそれぞれが独立した音を出すので、ずいぶんと迫力があった。
瓦礫を避けながら部屋の端に回避すると、丸みを帯びた黄色い土煙が襲ってくる。思わず顔を逸らすが、前方からの攻撃を警戒して銃を構えるのも忘れない。
煙が止んで、ため息。
天井の穴から天使の羽のように白百合の花が落ちていた。その真ん中に喪服のような白いドレスを着た女が横たわっている。
慎重に近づき、その生死を確認しようと顔を覗きこんだ。
《はぁ・・・》
細い吐息。目を瞬かせると、澄んだ瞳がアレクを見上げた。ゆっくりと体を起こすと、どこか母親に似ている女が口を利いた。
《あなたは、私を助けに来て下さった方ですか?》
《・・・①そうです》
《ありがとう、〝グレイ″・・・助かりました・・・》
アレクは一瞬、名前を〈グレイ〉で登録したことを後悔した。
フラッシュ・バック。
しゃがんでくれた母の微笑み。
幻視する土煙のせいか、胸の辺りが息苦しくなった。冷や汗。動機。
場面変化。
「やるな・・・」
奇妙な形のイスの上でミカナスは呟いた。映像が転送されるゴーグルで、状況は手に取るように分かる。
隣に座っていたムイがゴーグルを外した。
「パレッソッ。彼ハ二時間デ最終ステージヨッ。快挙ネ」
「快挙、っつうより脅威だな・・・異常だ」
ムイはきょとんとした顔で首を傾げた。
「ドユ事?」
「〝普通ではない″という意味だ」
「違ウネ。意味聞イテナイ。ドウシテ〝異常〟?」
「メロカリナが超人的な戦闘能力を誇っていたのは知っていたが・・・〝エドナカリン〟と呼ばれていたのは強ち嘘でもなさそうだな・・・」
後半は殆ど、独り言に近い。それをムイは耳ざとく聞いていた。
「エドナカリン?何カ、ソレハ?」
ミカナスはゴーグルを外した。アレクのステップが四方の壁に反響している。
キゴジュの袖は、敵の視界を遮る効果もある。メロカリナの体術はメレノバスの『奉納の舞』のような激しさと美しさを持っている。その舞を見ているようで、ミカナスは自国の文化の衰退を憂い、ため息混じりに言った。
「――〝神に好かれた者達〟、という意味だ」
「フゥン・・・」
興味があるのか無いのか判断しがたい相槌に、ミカナスはそんなことなど耳にも入っていない様子でアレクを見つめていた。
「ワタシ少シダケ、グレイ見テ、ドゥーバーナ、思イ出シタヨ・・・」
無言の返答。
ムイはミカナスの顔を覗きこむ。
「・・・怒ッテル?」
「いいや・・・・・・」
ミカナスの目が、眩しそうに細くなった。
「俺も思ってたところだ・・・」
「ワタシ、ドゥーバーナ思イ出シタノ二回目ネ。一回目、ミカナスヨ」
「ふんっ。そりゃあ、ありがてぇこった。恐れ多いな」
「本当ダヨ。嘘ジャナイヨっ」
ミカナスは自嘲にも似た苦笑を浮べながらムイの頭を撫でた。電子音がしてアレクの方へと振り向く。金茶髪の青年はこちらに振り返ると、自分のゴーグルを示した。
「外し方が・・・分からない」
「やられたのか?」
「違ウネ」
ムイはグラスをの内側をミカナスに見せた。黒一色となった映像の中に、緑色の電子文字が点滅している。
―|おめでとうございます!《コングラッチレイション》作戦は成功しました。|あなたは初めての勝者です!《ユア・ファースト・チャンピョン》
「・・・この端末で初めて、という意味か?」
「違ウヨ。ゲームノ闇データ、ワタシ知ッテル。改良サレタ実弾ノスピードバージョン、クリアシタ人イナイモン。史上~ハジメテネ」
ミカナスは唖然として視線を移した。
耳の横のボタンを押すと取れるグラスを、アレクは必死に引っ張っていた。先ほどの動きとはかけ離れた間抜けた仕草である。
ミカナスはその姿に、『青年と少年の狭間』、『目には見えぬ剣を操る者』、『気まぐれの方向』の性質を持つ風の神、【グレイリア】を見た気がした。