2-07 嵐の前の静けさ
◇*◇*◇*
僕は誰なのだろう、とセージは思った。
僕は本当に、『僕』なのだろうか・・・
――もちろん、『僕』としての記憶はある。
人格を形成するにあたり、記憶が重要であることは言うまでも無い。
ただ、『僕』はそれだけで形成されていたのか、と思うと不安になってくる。
僕が今ここで記憶喪失者になれば、僕は自我を持った『何』になるのだろう?
セージ=サクト、という固体名を持つ、別人?
それともただの機械だろうか。
生前の僕と、今の僕は同一人物なのか・・・。
『僕』は僕の脳みそから人格をコピーした存在。肉体的な記憶を持つ者。
死んだ瞬間に消滅したと思っていた意識が、突然蘇って来るのは奇妙な感じだった。
これから、好きな時に電源を入れたり切ったりすることができる。
大抵の宗教には、天国とか地獄とか、そういうものがある、とされている。
それが本当にあったとして、死んだ僕はどちらに行っていたのだろう?
僕は、僕の魂までもコピーした存在なのだろうか・・・
――精神的な記憶は?
僕の器には、僕の魂が戻ってきたのか?
――死んでいた時の記憶はない。
それとも魂が肉体に戻ると、精神的な記憶は消えるようになっているのだろうか?
僕は『僕』で、死んだ僕とは別人で、セージ=サクトは二人いる?
それともあの世に行った僕の魂は、未だにそちらに留まっているのだろうか。
『僕』が死んだら、どこにいくのだろう?
スイッチが切れて、運動が停止して、僕の記憶は消滅して――?
そして・・・僕は天国にも、地獄にさえも行けないのか?
宗教とは、人間のために作られた死の恐怖を緩和するシステムだ。
人間でない僕に、それは適応しないのかもしれない・・・僕は人間じゃないのだから。
セージはため息を吐き、ベッドの中で寝返りを打った。
僕は何者なんだ?
思考は際限なく巡り、
同じ疑問へと突き当たる。
◇*◇*◇*
――数日後の朝。空はまだ、薄墨色。
アレクはネオンの切れかかった看板達を無視し、機械屋へと向った。階段の側には、紫陽花の鉢が一つ置かれている。
根元に、科学液体を蓄えたカナブン型の小型ロボットがいて、室内からのコントロールでカナブンが放尿すると、紫陽花の色が変わるのだ。
現在の花びらの色は赤。メッセジーは【来客中】。
ドアのライオンが許可を出す時は、入っても問題がない患者がいる時。
昨日来た時は黄色だったので訪問を諦めた。
メッセージは【留守中】、もしくは【眠い帰れ】だからだ。
ラボの奥はリビングになっていて、左がファルクの居住空間、右が闇医者フィーの短期入院・治療室になっている。
アレクは部屋を仕切っているカーテンの前で止まった。内側からすねと靴が見える長さだ。
カーテンの内側に手を入れ、壁をノックする。
キゴジュの袖を見つけたフィーは、幼児の腕に繋がっている点滴の様子を見て、腰掛けていたベッドから立ち上がった。
「これが終わったら呼べ」
フィーは、白衣のポケットに手を突っ込んで部屋を出た。リビングで腕を組んでいるアレクを見つける。
アレクはラボとリビングを仕切る壁によりかかっていた。
「調節を頼む。あと、改造を」
作業台の上では、ガチャガチャと部品をいじる音がしている。
ミニマム・ロケットランチャーはないにしても、義足の中に武器を仕込むのは中々いい案だ。金属探知機にかけられても、「電子情報型ナーヴ・メカだ」と言い訳すれば、大抵の場合はクリアできる筈だからだ。
ただし、武器を仕込むことで本来の補助機能に不具合が出ては、元も子もない。精密機械の中に空間を作り、瞬時に取り出せるように造るのはとても難しく、不可能ではないがとても高額な技術だ。
「金はあるのか」
「ない」
「だろうな」
「報酬額の半分を前金としてもらう約束になってる。それが入り次第そちらに回す。それに作戦終了前に俺が死んでも、お前には紹介料が入る」
「そりゃ結構なことだ」
ピストルに似た機器によって、ネジやボルトが高速に埋め込まれていく。
「・・・じゃあ本当に、依頼を受けるんだな?」
「ああ」アレクは訝しそうな顔をした。
「・・・なぜ今回に限ってそんなに渋る?」
「渋る?まさか。しぶってやしない」
「いいや。何か隠しているだろう。そうでなければ、今回の依頼に何か個人的な含みがあるんじゃないのか」
「含み?何も無い」
「あの女か」
「どの女だ」
「この前来てた、整形女だ。今回の依頼に関わっている」
「ラーヴィーが?・・・初耳だ・・・しかし俺はあの女に個人的な含みを感じていない。金意外で支払いをしてもらうことも時々はあるが、それ以上の感情はない」
「どうだか・・・無謀な作戦だ。あの女、死ぬかも知れんぞ」
「だから何だ。せいぜい小兎狩りを楽しめばいい。自分が雑草だと気付くまではな」
アレクは片眉を上げた。
「・・・武器を持っている雑草なら、容易に食われることもないだろう」
「兎を追い立て巣穴燻せば、中から蜂雲、立ち昇る」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
「高嶺の花を手折るために、木の上の蜂の巣を突付きに行くのか?」
「いいや。奴の体を蜂の巣にしてやるさ」
ファルクは顔を上げた。数秒アレクを見つめていたが、肩を竦めて視線を戻した。
「・・・好きにしろ」