2-03 アシモフの三原則
「君がこの世の理から逸脱することに、こんなに拒否反応を示すとは思わなかった。君は無宗教者だろう?それともわたしには秘密で、何か信仰していたのか?」
セージはかぶりを振る。
「神など・・・・・・『悪魔風』以来、信仰者と無神論者とのみぞは深まるばかりだ。サロイディは神のごとく我々を管理し監視し、都合のいいように我々のあらゆる物を搾取してきた・・・サロイディを見返すために科学者という道を選んだけれど、どんなに出世したって僕の心は埋まらなかったっ・・・
母という存在をまともに知らない僕に愛情を与えてくれたのは、僕よりも分析表が好きだった父じゃないっ。父を愛していたあなたでもないっ。僕が選んだ科学の、〝未来のための実験〟が彼女を殺したんだっ。
僕は未来の誰かの為に、僕の価値を全て失ったっ。はじめて生きる実感をくれた彼女を僕は知らずに殺そうとしたんだっ。そんな僕がどうして生きていていいんですかっ。あの時僕は死ぬ筈だったんだっ。そして地獄へ落ちるべきだったっ。それなのにっ・・・」
「〝地獄〟?何を馬鹿げたことを・・・そんなものは幻想――」
「いいえっ。これこそ地獄ですっ。死ぬより辛いっ・・・罪を背負って永遠を生きることほど重い罰は無いっ。僕は罰を受けたんだ・・・」
ベルガ博士は片眉をあげた。
「君はラボに入ってから、外部との接触を極力避けていた筈だ。君が言う〝恋人〟とはどこで出会った?その彼女はいつ死んだ?混乱のために君が作り上げた架空の――」
「架空の幻想が現実を苦しめているなら、現実の苦しみと何が違うというのですかっっ」
セージは再び頭を抱え、机へと顔を伏した。
「君はただのロボットではない・・・」
棘のある、恨みがましい声が返って来た。
「ならば、どうして僕には《三原則》が埋め込まれているんですか・・・」
「それはロボットの製造工程上、仕方のないことなんだ。今のロボットは、《三原則》を埋め込まなければ起動しないように設計されている。万が一にも洗脳されていないロボットが出れば、人間を傷つける可能性があるからだ」
「僕はそれに縛られて、充分傷ついています・・・自らの意思で死を選択できないのに、本当に生きていると言えるのですか?これじゃあ奴隷時代の扱いと変わらない」
博士は数秒の間、押し黙った。
「君は、そんなに死にたいのか・・・」
セージはデスクに伏し、何も答えない。
「君は《三原則》に縛られている・・・しかし、わたしが君に起動先例したのは、わたしが新しく作り足した《四原則》だ」
セージはゆっくりと顔をあげ、ベルガ博士に振り向いた。アイグラスごしの瞳の収縮や呼吸などを、内蔵されたコンピューターで分析する。彼が嘘を言っていない、という結果が出た。
「ひとつ。ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を軽視し、人間に危害を加えてもならない。ふたつ。ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。しかしその命令が、ひとつめに違反する場合は例外である。みっつ。ロボットは①と②に反しない限り、自己を守らなくてはならない・・・」
博士は四本目の指を立てた。
「よっつ。ロボットは自我を所有することによって、①②③の全ての原則に反抗することができる。しかしそれは、《三原則》による戒めに対抗しうる、強い意志を伴う場合にのみ発動する特別プログラムである。また③への反抗、自傷行為や自殺行為を己の意思により要求することはできるが、己で実行することはできない」
博士の指が、ゆっくりと下げられていく。
セージは呟いた。
「自分の意思を表現はできても、認めてはもらえない、ということですか?」
「認めてもらえるなら、その誰かが君を停止――殺してくれるのかもしれない、ということだ。あるいは、制御装置が壊れるほどの意思が発揮されれば、『反抗』も可能になるのかもしれない・・・」
「〝かも、しれない〟・・・?博士にしては随分と曖昧な表現ですね」
「君は『新しい知性』だ。その可能性は、わたしにも完全には把握できていない」
セージは呆然として博士を見た。
「では・・・では、僕は望みます。僕の『消去』を・・・」
博士はアイグラスの中で目を伏せた。光の加減で、一瞬セージにもそれが見える。薄く口を開いた博士は、躊躇った様子でかぶりを振った。
「どういう・・・どういう意味ですか・・・」
「『NO』だ・・・わたしは、君をデリートしない」
「なぜっ?なぜですかっ」
「わたしの手で、君を殺したくない・・・」
セージは我を忘れて立ち上がり、ベルガ博士の白衣の胸倉をつかんだ。
「いまさら何を言っているんですかっ?あなたは自分勝手に僕を蘇らせたんだっ。責任逃れをするつもりですかっっ」
「好きに解釈したまえ」
セージの腕にいっそうの力が篭った。
「わたしは君を、殺すために蘇らせたわけじゃない」
セージが右腕を振り上げた瞬間、内蔵された制御装置が働き、《三原則》の第一条が頭の中をフラッシュ・バックした。セージは腕を振り上げたまま動けなくなる。
数秒後・・・セージは呪縛から解かれた。
虚しさが込み上げ、腕が垂れ下がる。セージは無気力になって博士から手を放すと、後方へよろけた。立ち眩みをおこした時のように片手を頭に添えたが、それすら人工的に再現された幻想であることに気付き、益々虚無感へと飲み込まれてゆく。
「セージ君、わたしは・・・わたしは、君を傷つけようとして蘇らせたわけじゃない。君を一番最初に蘇らせたのは、もっと工業的利益に反した、わたし個人の――・・・」
「博士。今は・・・何も聞きたくありません・・・何も・・・何も・・・」
セージは入り口へと向った。揺れる白衣の影に見える足は、生前とは違って金属にカバーがついた義足めいたものだ。アクセスコードを自動的にドアの小型コンピューターへと送り、【承認】という電子情報を受信した。空気が抜ける音がして入り口が開き、セージは振り返りもせずに出て行った。
ベルガ博士は閉まってゆくドアを無言のまま見つめ、しばらくその場に佇んでいた。




