1ー08 不登録
《それ、それは・・・》
「特殊な機器にかけて記憶を取り出し、電子信号として保存し再生し造りかえる。記録の更新ができるアンドロイドはごまんといるが、記憶を持ち自らが思考するロボットなどこの世にはいないっ。君は今、生身の部分を一つも持たない新人類として――」
《生身を持たないっ?》
博士の酔いしれた言葉は、セージの合成音声の叫び声に遮られた。
セージは目を見開きたい気分になった。
脳が無い。
メモリー化された部品が頭部へと埋め込まれ、セージ=サクトという人物を『再現』している。以前と同じように『記憶』もできるし『思考』もできる。しかし充電が可能な限り、ロボットに寿命は無い。人ではなくなったのだ。自分では知らないうちに。
《なんっ・・・なんてことをっ・・・》
言葉に詰まる。胸が苦しい。息ができない。そんなの幻想だ。生体を持たないのなら。
セージは宗教を持っていない。そもそも神という存在を肯定していなかった。しかし自分が『人間ではない何か』になった今、初めて神というものに見放された気がした。
博士は「初めての成功例だ」と言った。ならば自分のような人類は――いや。人類の擬態をしているこの〝何か〟は、現在自分だけしか生息していないのだ。この世の理から、自分ひとりだけが弾かれた。そして踏み込んではいけないボーダーラインを、知らずに超えてしまったのだ。
言い表せない無性の恐怖が、更なる混乱を生んだ。
《なぜっ・・・何を・・・どうして僕がっ?》
ベルガ博士は不思議そうに「どうした?」と聞いた。
彼は亡くなった恋人を『再生』させるためにアイス・メモリーの研究を何十年も続けていた。亡くなった恋人の脳みそは手に入れることができなかったので、自らの記憶に残っている恋人を取り出し、そして新たな肉体を作ることに専念したのだ。
生体の脳にアクセスし、最小限の負担で記憶を取り出す。それが博士の理想とする世界の一端だ。それが『レッド・クロス・リボン』賞をとった人工毛髪や人工皮膚筋肉、そしてアンドロイドというものを作り出すきっかけとなった。
彼にとってこの研究は愛する者を失ってからの全てであり、そしてその研究の手伝いをしていたセージと言う助手が、その研究の成果によって蘇ることを拒絶するなど、夢にも思っていなかったのだろう。
「嬉しくはないのか、セージ君?君は生き返ったんだ。これは人類が初めて月を歩いたことより、大きな一歩を意味しているのだよ?」
《あ・・・ああ・・・あ・・・》
セージは言葉を失った。背中を冷たい汗が伝うような気がしたが、それも『気がした』に過ぎないことなのだろう。目の前が真っ暗だ。眩暈がする。
「セージっ?」
セージは壁際に備え付けてあるコンピューター・パネルへと走った。
随分進化したコンピューターではあったが、基本的な操作方法はあらかじめメモリーの書き足しをされていたらしい。セージは高速でパネルを操作し、検索ワードに四十年前の爆発事故を入れた。瞬時に社内でおきた爆発事故の関するデータが引き出され、死亡者リストに移動する。
検索項目、【人名】を選ぶ。
アレーシス=ヴィヴィレック。
ピピ、と検索音が鳴った。
――登録該当者なし。
社員以外の登録を選び、四百人以上いる実験体の写真を呼び出した。ボタンを押し続けると、ほとんど人間には認識できないほどの速さで写真が連続して流れていく。ベルガ博士にはそれが人の顔写真であることすら分からなかったが、セージはそれを食い入るように見つめて確認していった。
・・・ない。全ての登録者を調べたが該当者がなかった。
《博士・・・博士っ。これで全部ですかっ?なんでないんです?死亡登録もっ・・・登録自体がされていないっ。これじゃっ・・・これ、これはっ――》
「落ち着きなさい、セージ。何が登録されていないんだ?」
《あ、ああ・・・博士、復旧をっ。早くデータの復旧をして下さいっ》
「当時の実験体で死亡確認がとれたものは全てのっているよ。あとは顔が確認できないほど姿形が変形しているか、組織だけしか残らなかった者だけだ」
セージはパネルの前に膝を落とした。ほほを掻き毟るため爪を立てようとするが、今のセージには爪が無い。当時の記憶が蘇る。セージは頭を抱えてぶるぶると震えだした。
《ああっ・・・ああっ》
生き返ってしまった。彼女にどんな償いをすればっ。彼女の生死すら分からない。生きていても会うことすらできない。彼女に合わせる顔がない。探すことも出来ない。僕に生きている価値はない。彼女の居ない世界に価値などないのにっっ。それなのにっっ。
セージは震えてカタカタと鳴っている機械の指で、パネルを操作した。
アレーシス・ファレガ・オルシム=ヴィヴィレック。
ピピ、と検索音が鳴った。
――登録該当者なし。
頭の中がいっきに真っ白になった。
セージは呆然と画面の中を見つめている。
「おい、セージッ?一体どうしたんだ。セージっ。しっかりしなさいっ」
彼女の顔がフラッシュ・バックする。
セージは無意識に人工音声を切り替えた。
頭を抱えて大きく天井を仰ぐと、肉声の『再現』が獣のように叫び声を上げた。
「うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁァッ」




