メイナ・ドフター ―― 七 ――
メイナが食堂に入ると、トーマはすでに家族三人のためのこじんまりとした丸いテーブルについてお茶を飲んでいた。
メイナもトーマの向かい側、自分の定位置に座ると疲れた~とドロドロに溶けるようにその場に突っ伏す。
トーマはメイナのおでこを指で弾く。
「お行儀悪いですよ姉上」
「――悪くなかったことはないの、一度も」
「自慢じゃないです、それは」
盛大にしかめっ面をしたトーマをメイナは軽く睨む。
「パーティーのお料理はとっても美味しかったのよ? なのにレオン様に邪魔され。支度部屋に戻ればお菓子があるのにレフガー紫君に止められて全く食べられなかった!」
「まあ姉上はどうしても食事に関するお行儀だけは非常に悪くなりますからね。止める人がそうするのは当然です」
「でも! レオン様はレフガー紫君に餌付けされてたわ! ズルよズル」
「ズルって……。レオン様は変なとこで律儀なので、黙らせたい時は口に何か放り込めばいいんですよ。……と言うか、支度部屋のお菓子はそのために用意されてたんじゃないんですかね」
「まあ! わたくし専用お菓子ではなかったと言うの!?」
メイナはショックで泣きそうになっている。
「――えっそんなに?」
トーマが思わず突っ込んだところで、食堂の扉が大きな音を立てて開いた。
「無事で何より!」
食堂の扉に恨みがあるのかというくらい叩きつけて開けた――世間様から筋肉ダルマと影で呼ばれている――ファダリスは不機嫌さをその顔に隠さず、自分が座るための椅子を蹴り跳ばし破壊するとそのまま食卓の上に腰かけた。
「父上、お行儀が悪いです。直して頂かないと父上では姉上を叱れません」
「はははははは! ……知らん!」
ファダリスは大笑いの後、真顔になるとトーマの言葉をぶった切った。
「……私も疲れているので諸々とっととやって寝かせて頂きたいです」
「お父様おはよう~」
「メイナ、パーティーの料理は堪能したか?」
「父上、姉上がここにいることで察して下さい、まずは婚約破棄、いえ解消について――」
ファダリスの眉がピクりと動いた。
「待て、何だと?」
「婚約解消です」
メイナとトーマが揃って言う。
「ああ、メイナと王家の小僧のか」
メイナはうんざりとした気分で肯定した。
「お父様、わたくしレオン様と婚約していたことは今日初めて知ったの。十年ですって十年。初顔合わせの時には婚約決定してたとかって」
メイナが突っ伏したまま給仕の運んできた料理の皿にフォークを刺す。
「姉上。お行儀の悪い子に美味しい料理は出ませんよ」
トーマの注意が飛んだので慌てて身体を起こしてメイナは姿勢を正し、皿の上のものを一気に口に入れ始める。
ファダリスは唸ると頭を掻き毟った。次いでブチブチと音がしたので、姉弟はハゲるぞと同時に思った。
ファダリスは抜けた金の髪を忌々しげに見つめながら口を開く。
「まず、メイナがこの自由恋愛が主流、家より当人達の意向が大事とされるご時世に婚約など結んだのか」
メイナは、あら前置き長いわ~と料理に舌鼓を打ち黙々と出される皿を空にし続けていた。
「そも王家の妻は血筋の階級による紫君からと決められている。ところが紫君三家とも王家の小僧が生まれて以降娘が生まれない。縁戚には年齢の釣り合う娘がいない、いくら赤子が腹に付くのもその性別も神の範疇天の采配とはいえ、これまでにないこと尽くしだ」
「そういえば紫君に今代王妃になる娘がいないというのはあまり取り沙汰されませんね」
甲斐甲斐しく姉の皿を退かしてやったり、こぼしたものを拭いたりという世話をしながらトーマが言う。
「上はともかく下には大きな問題でないからだろうよ。下はせいぜい下世話なゴシップにしか興味は向かんさ。二代前の時と同じくな」
「二代前、その手腕から『改革の雷鳴、指導月』という二つ名がある方でしたね」
「手腕なあ……俺が先代先々代から聞いた話だとなあ……」
難しい顔で唸りだす父にトーマは給仕を呼び、茶に果実の蒸留酒を少し入れたものを出すよう言付けた。ファダリスの好む飲み物だ。
「私が先代から伺った話では、うちが出る話ではないとしか聞いてませんが、王家に良い印象がないのかと感じました」
「揉めたんだよ、先々代と王家が。先代はそれをまともに食らって育った分、王家とは距離がある。二代前のせいでその後が苦労してても見ないんだよ。うちだけじゃない、王家はあちこちと軋轢がある。更にここに来てなんとかギリギリせき止めてきた階級撤廃の動きももう止められんところまで来ている……オイ、ここまで聞いてたかメイナ」
父親に呼ばれ突然現実に引き戻されたメイナは、頬を栗鼠のように食べ物で膨らませて顔を上げると、まごつき始めた。