黒猫の為の祭典 ―― 三 ――
来た道を取って帰したアヌキラによる王家王政に対する脅迫状が届いたことへの伝達は早かった。
王族の居室の置かれる左翼三階、白の間は現王夫妻の居室だ。王専属側仕えであるアヌキラもこの間で一応寝起きしている。
居室の長椅子では、かなり早めの朝食を終えてゆっくりしていたであろう王と王妃が並んで座っていて、出ていって間もなく戻ってきたアヌキラに驚いた様子はない。
彼は普段からあちこちに顔を出し、不意打ちを食らわせることが趣味のようなもので、二人とも彼のやることにはもう慣れている。
アヌキラはニコニコしながら腰の布袋から筒を三本取り出して、テーブルにカラカラと投げ置く。
「どうぞ、お手紙ですよトウシャ。仕掛けはなかったです」
「……中は確認済みか。どこの鳥だった?」
トウシャが筒を開けながらアヌキラに問う。ノビユはトウシャの手元を見ていた。
「うーん? どこかな? 頭を壊された鴉でしたよ」
「となると階級持ちか……棄てた?」
「勿論。持ち主が分からないなら、塵なので」
それを聞いてトウシャは眉間に皺を寄せ溜息を吐いた。人を魅了で惑わす魔性と呼ばれるだけあって、齢を重ねたただの中年男であるはずなのに、表情の一つ一つ行動の一つ一つに美貌と色気が漏れている。
――それに惑わされるのは頭に花畑のある奴らだけ、っていうのも面白いけどね。
王妃ノビユは魔性に魅入られた例えとしてよくその名が挙がる。
女たちの口にのぼるのは真実とはかけ離れた内容で、嫉妬羨望が透けて見える。
それに踊らされているのがノビユの父親であるイヒト紫君だ。
娘からきちんと説明されているにも拘わらず、王家との確執によりトウシャ憎しで頭に入らないのだろう。
王と彼との謁見時、常にそういった緊張感がある。
どこからどう見てもノビユが、ではなくトウシャのご執心だ。
王妃とその父は、お互いの人生において離れて暮らしていた期間の方が長いこともあってか、父親が娘に自分の理想のぬいぐるみを被せて本人を覆い隠してしまっている。
ノビユは父親の思うよりもずっとしっかりしていて強くてしたたかだ。
――まあ、見てて面白いから誤解とかどうでもいいんだけど。
アヌキラは笑顔の裏でそんなことを考えていた。
「……階級持ちとは限らないのではありませんか?」
ノビユがトウシャの手元に開かれた手紙を見たまま口を開く。
「鴉であればその辺の森におります。伝書鳥を躾る者は市井にもおりますし、頭を壊すのも生業としている者ならかんたんでしょう……そもそも本当に鴉だったの? アヌキラ」
「はい、王妃様、間違いなく三本脚の鴉でしたよ。さすがの僕でも数え間違いはしないです」
しれっと烏を鴉と故意に誤報告する。
情報は多少錯綜させ味付けした方が楽しいからだ。
「……まあ、そうよね、さすがにね」
一切手紙から視線を動かさずにノビユはアヌキラの言葉に相槌を打つ。
ノビユが真剣な面持ちで見ているトウシャの持つ手紙には『新月祭の王族御披露は中止。さもなくば王都王城宮殿への大規模暴動を敢行』『王の退位要請。王族の身分と階級撤廃要請。のめなくば最後の王家の血を絶つ』『政の権利は速やかに全ての民へ譲渡せよ』とある。
トウシャは長椅子の背もたれに、あーあと声を上げながら凭れてそのままノビユの太ももの上に倒れ込んだ。
「王や階級による身分を撤廃しても、結局誰かが上に立たないといけないとは考えないのか。民に政って……簡単に言ってくれるよね本当に」
「……これでは階級持ちとも労働階級とも確定しがたいですわね」
「今時王政に不満がないのは上級家くらいですよ、王妃様」
ノビユはひた、とアヌキラを見据える。
「それはお前も不満に思っているということ?」
対するアヌキラは笑顔を崩さず答えた。
「――勿論です、王妃様」
「ま、そうよね。アヌキラはそう言うわよね」
ノビユがはあ、と大きく息を吐くとトウシャが彼女の腰を抱く。
「僕の専属がそれを理解して不満に思ってくれているだけいいよ」
「――どうされますの?」
「……そうだな。まずは王家最後の血と言うならレオンだしね、いい機会だからドフターに預かってもらおうか。ファディのとこなら安全だろう? あとは王族披露については議会の召集を……ってイヒト紫君は不在か」
「まるで父の不在を狙ったかのような用意周到さですわね」
ノビユが右手を軽く挙げると、控えていた宮殿での女性側仕えを取りまとめる女側使長がアヌキラの隣に立った。男性側仕えをまとめているのは側使長だが、彼は只今大広間で慌ただしくパーティーの準備中だ。
「女側使長聞いていたわね、直ぐに議会の召集を。議会の主だった者は宮殿内につめているのでしょう? ドフター家と父に――ワスナに伝書鳥を飛ばします、用意を」
「アヌキラ、悪いけどレオンたちをここに呼んでくれる?」
王と王妃の指示に女側使長は居室を後にした。トウシャに手を振りアヌキラもそれに続く。
古参の女側使長はアヌキラを無視して、途中一人の側仕えを捕まえると知らせを出すよう伝え、足早に去っていった。そのまま右翼に泊まっている上級家の面々、政を動かしている者たちを呼び出すため客間に向かうのだろう。
アヌキラはそれを見るともなしに眺めていたが、ふ、と微笑むとレオンのいる青河の間に鼻歌を歌いながら向かった。