閑話 蓋をして底の奥底へと
※微妙に虐待描写有り。
トーマもラヒネルもレフガーも、王も王妃も、下手すると王城に居る者なら皆知っていると言っても過言ではない。
――レオンの恋煩い。
本人は認めないが、ずっと彼は片想いをしている。
ドフター家の双子の姉、メイナに。
* * * * *
彼らは六歳の誕生日に初顔合わせをした。
メイナとトーマのドフター家姉弟とレオンたちはその日初めて会うこととなる。
朝食後、レオンは両親――王と王妃――から誕生日の寿ぎを頂戴すると同時に婚約者の存在を明かされた。
『とりあえず新しいお友達ができたと思って仲良くやってね』とは父の言葉だ。
レオンには婚約者というものが何か分からなかったので、側仕えの女性に聞けば『将来のお嫁さんですよ、レオン様のお嫁さんということはいずれ王妃様になる方のことです』という答えが返ってきた。
なるほど、いつか自分が父の場所に座る時には隣にその『婚約者』がいるのだな、とレオンは納得し、側仕えの言葉に頷いた。婚約者だのお嫁さんだの良く分からないけれど、婚約者が決まったのだ。父の言う通り仲良くしよう。そしていつか一緒に王座に座るのだ。
側仕えにそう言うと『とんでもない!』と怒気をあらわにいつものように諭された。
その後レオンは陽の宮と呼ばれる王子王女の為の離宮に下がり、呼び出されるまで待つこととなった。
戻った宮の寝室には四つ歳上のラヒネル、二つ歳上のレフガーが待ち構えていて、側仕えの女性は茶の準備を始めるためにレオンから離れた。
レオンには本来同性の側仕えがいるべきだが、単純に人手不足の為、母ノビユの専属として連れて来られた遠縁の娘が充てられている。
「誕生日おめでとうレオン! 婚約者が決まって良かったな!」
ラヒネルはそう言うとレオンの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。レフガーも「おめでとう」とにこにこ微笑んでいる。レオンには兄弟姉妹がいない。王族のいとこもいないので、レオンが覚えてない頃から一緒にいる二人は彼にとって兄のようなものだ。
そうして昼も過ぎ、皆でお茶を飲むからと三人は王城の中庭に呼ばれた。中庭の扉が開けられ、いよいよか、と中に踏み込むレオンの胸はドキドキと煩く喚く。心得違いをするものへの対処は最初が肝心なのだと側仕えは言っていた。間違えてはいけない。婚約者は悪い奴だ、皆をレオンを騙す悪い奴だ、だけどそう言えばレオンが悪者にされるから言ってはいけない。仲良くしなければ良いのだ。
王と王妃が見えて、何人かの大人の中に金のふわふわが見えた。ふわふわの隣にも金色があったけれど、光の加減かふわふわだけがレオンにはハッキリ見えた。
ふわふわは椅子に座っていたが、隣の金色に何か言われて椅子から降りると、二人とも屈んで手を前で組んで頭を下げる。ふわふわが日の光にきらきらと揺れていた。
ラヒネルがレオンに耳打ちした。
「あれ王族への正式礼だぞ、楽にとか言ってやれよ」
レオンはこくりと頷いて、言われた通りの言葉をふわふわにかけた。
すぐに礼は解かれ、二人が真っ直ぐレオンに向かった姿を見て彼は固まった。
……人形だ。金の髪に大きな緑の瞳。
母の部屋に置いてあるような人形が対で動いているように一瞬見える。
だけど、ふわふわがにこりとレオンに向かって微笑むことで人形ではないと分かり『可愛い』とレオンは思った。二人は両手を前で組んで名乗りを上げる。
「初めまして。メイナ・ドフターと申します」
「弟のトーマ・ドフターと申します」
レオンはメイナに見惚れた。だが子供過ぎて上手く言えなかった。しかも側仕えからは彼女を信用してはいけないと言い含められていたこともあり、その日はまともに会話ができず「ああ」とか「うん」とか素っ気ない返事で乗り切った。
周囲は苦笑しきりであったが、側仕えだけはそんなレオンを裏で大袈裟に褒めた。
『王族らしい威厳に満ち溢れておりました。これで思い上がった考えは捨てるでしょう』と。
その後もメイナとトーマは王城にやって来て、その度レオンは冷たく偉そうな態度を崩さなかった――せいでセレンらドフターの側仕えたちには嫌われてしまう――が、そうするのが正しいのだとレオンの側仕えは言う。
メイナは悪者に見えない、仲良くしたいと本音をこぼせば、『レオン様、私はあなたの母である王妃様のたっての希望で、あなた様の側仕えに任命されたのですよ。私の言うことは王妃様の言葉と同じなのです』とまだ柔らかな二の腕や太もも、尻や腹などを酷く抓り上げられながら繰り返される。痛みに涙しながら、レオンは頷くしかない。
物心ついた時からこの側仕えはこういうことをするので、レオンはこれが当たり前なのだと思っていた。怒鳴られるわけではない。彼が間違ったことをしたり言ったりすると彼女はこうやって教えるのだと知っていた。そしてそれは母親の意向なのだとも。母の代わりにこの側仕えが躾としてやっているのだと。
こうしてメイナが婚約者となり、王城に弟のトーマと泊まりに来るようになって数年経った。
三日ほど彼らが泊まるので離宮は必然賑やかになる。普段離宮の世話をする下働きの者たちも生き生きして見えるのは気のせいではないだろう。
メイナとトーマが来る日はレオンも本当に楽しみだった。同じ歳の二人は貴重な遊び相手だ。それなのに――。
レオンが楽しく過ごすことを許さない者がずっと張り付いていて、彼は近頃ようやく息苦しさを感じるようになった。
本来ならば両親なりラヒネル達なりに話せば済むことだが『母親は厳しいもの、煩く言うもの』とはあちこちで聞く話であったし、ラヒネルもレフガーも聞けばそう言うので、側仕えの言うことすることは母代わりなのだと素直に思い込んでしまっていた。
だがメイナとトーマによって歪んだ教えと長年に渡る体罰による痣が白日のもとに晒される日が来る。
その日はメイナの母親が亡くなった話がきっかけで、レオンは彼女に母親との思い出話をねだったが、メイナはとてもさっぱりしていて「母は病で寝ていただけ。思い出はそれしかない」と言い切った。
メイナの本質を知らないレオンはその言葉に驚いた。だが、
「母とは子を思い厳しいものだ、煩く言うものだ、お前の母は本当の母ではないのでは?」
と、他人が聞けばかなりまずいことを言ってしまう。当のメイナは首を傾げた。トーマが代わりに怒っていたが、メイナから耳打ちされると目を瞪り頷いて黙った。彼女はレオンに聞く。
「厳しくってどんな風にされるのが当たり前なのですか?」
レオンは素直に、そしてやや得意気にこれまでの側仕えの行動と常々言われていることを洗いざらい話した。これまで誰にもそのように聞かれたことがなかったからだ。
これが虐待や暴力を受けたのかと聞かれたなら母を責めることだからと側仕えにされたことに口を噤んだだろう。
だが、メイナは『一般的な母の愛情と厳しさ』に興味を持ったからこそそう聞いた。
これは速やかに王と王妃の知るところとなり、レオンの側仕えは役目を外される。
彼女は王妃の座を狙っていて、無理ならばレオンを籠絡してそこからトウシャへ辿るつもりだったという何ともお粗末で浅はかな顛末だった。
そしてレオン本人にはそれとは知らされず側仕えは処分された。
気配に敏感なレフガーは怪しんでいたものの、レオン本人に虐待の自覚がないため気付けなかった。
そこでレオンには側仕えのこれまでの言動や行動は良くないことであること、母であるノビユ自身から『母として他人に意を任せたりはしないし、レオンを傷つけるようなやり方はしない』ことが伝えられた。
一般的な身を守るための知識も、上に立つものとしての教育すらなされていなかったことも露見したことで、無防備なレオンにノビユは頭を抱えることになる。
一方でレオンは混乱していた。これまでの事――側仕えからの言行――は全て嘘だったのだから。
だがもうレオンはメイナへの失礼な態度を素直に謝る時期を過ぎてしまっていたし、これまで側仕えにされてきたことは愛情ではなく虐待からの洗脳なのだと知ってしまった。
母の代わりと信じていた者に手酷く裏切られたことは、まだ純粋な彼の心に蓋をして記憶の底の奥底へと全て沈めさせた。
こうしてレオンの記憶に歪みができた。
『メイナとは初対面から気が合わないために喧嘩ばかり』という、側仕えを排除してできた上塗りした記憶と、『人形のような可愛いふわふわ髪の女の子』という元々の記憶が混在することで原因の分からない苛々をメイナに抱えなければいけない羽目になる。
彼は確かにメイナに初恋をし、それを引き摺っていることも気付かないため、昇華できないまま拗らせてしまった。
さらに両親に対しても壁を壊せず蟠りは燻って残ったままとなる。
――それでもレオンは記憶の蓋を開けることはしない。蓋をしたことも忘れてしまったのだから。