知らない約束 ―― 六 ――
ファダリスはそんな王の姿を見てどこか疲れたため息を吐く。この王は言動にしろ行動にしろ、昔から何事もあまりやる気を見せない。そのせいで誤解を招くことも多い。
「考えすぎだ。王妃の側仕えの件は仕方ないだろ、諦めさせないお前が悪い。気のある素振りでもしたんだろ。そういうのは他人に任せてお飾りらしく大人しくしてろ――って本気でソレやってたなら嫁さんの件もお前の自業自得だバカ」
「まあ結果そうなるよねえ、やってないけどさあ」
「それに大兜は先々代の件の和解はもっと前にしただろ? あの時も婚約破棄騒動だったよな、確か」
――婚約破棄騒動とファダリスが言う事件が起きたのは彼らがまだ生まれてもいない、今より五十年以上前の事である。
イステル王家に嫁ぐのはその血筋と歴史より紫君の娘と決められており、当時の王位後継である唯一の王子はそれに従い紫君の娘と婚約を結んでいた。
この王子が十五歳の頃、市井の生活に興味を持った。それを知った遊び盛りの側近たちは遊学を建前にお忍びで見学してはどうかと王子を唆した。王子はとある長閑な領地の新月祭に側近達と共に参加し、そこで紐家の娘を見初めてしまった。
新月祭は領地内で生きる下の階級の者達にとっては集団見合いの場でもあり、そういう空気にあてられたのではないかと言われている。
その後婚約を一方的に破棄し、新たに見初めた娘を元婚約者の家とは別の紫君へ養子にするよう強く要請し、婚約を結び直した。破棄された紫君のご令嬢は失意のうちに領地へと下がり、そこで縁戚の者と婚姻したという。
さらに国にとって悪手だったのは、養子に入れば上の階級の者を結婚相手にできるという前例を王家が作ってしまったことだった。王家命令だからこそ出来たことだが、特に市井においては労働階級に近い紐家の娘が王子妃という僥倖を得たことで夢物語が持て囃されていたために、階級が下でも上を目指せるのだ、という階級制度撤廃の流れとは逆の動きが起きた。
時同じくして、見目の良い子供は将来上級へ養子入りさせるという触れ込みでの人身売買詐欺が横行する。市井では王子妃フィーバーに沸いていて我が子もぜひ王子妃のように、と子供を売る親が後を絶たない。
取り締まろうにも今度は階級制度撤廃、改革を望む示威運動が国内で同時期に乱発し、各領内の犯罪を取り締まる見廻り組の手が足らなくなり、階級持ちの護衛隊も投入されていった。
市井での犯罪者を扱い慣れている見廻り組と違い、階級持ちの邸宅や人を守る護衛隊は有無を言わさず力業で抑えていく。そうなるとますます階級持ちへの反発が強まるという悪循環が起こり、事態の収拾は全くつかず混乱を極めた。
こうして王子が起こした婚約破棄騒動は多方面に影響を残した。すったもんだの末二人は結婚したが、王子妃となった娘は問題ばかり起こし続ける。
未来の王となる王子が無事生まれたことで王から赦され、王位に就いた二人だったが、騒動しか起こさぬゆえに息子の成人と同時に王位を譲らせ、王家の管理宮殿の中で一番王都から遠い橙の宮殿に若隠居という名の幽閉となった。それを推し進めていたのがワスナ地方を治め、王子の元婚約者の生家の紫君――大兜が家印の――だったという――
「参るよねえ。本当に和解してもらえたのかな。王妃のことで和解破棄されたらどうしよう」
トウシャは両手で顔を覆った。ファダリスは知っている。彼なりに王妃を大事に思っていることを。
王家に生まれた者として、最初から決められた選択の余地のない結婚である。市井のように恋愛から始まった熱いものではない。けれどそれは相手ももちろん同じ立場だ。なればこそ、彼は彼女を大事に優しく慈しみ、家族として人として愛そうと決めていたのだ。
「まあ、あちらさんも諸々分かってるだろうよ。トウシャが嫁さん大事にしてるのは俺から見ても分かるくらいだ、だから大丈夫だろ」
「だといいよね。でも正直僕も先々代みたく若隠居したいよもう。奥さんと一緒にファディの家の近くの森小屋とかに住まわせてくんないかなー」
「いや、森小屋は流石にダメだろ……それよりな」
ファダリスはよいしょ、と声を出し、立ち上がるとデキャンタと空のグラスを持って窓へと向かう。
窓から下を見る。人はいない、談話室の下はすぐ河ではない。ちょっとした庭に面している。
「……ふうん……まあいいか」
そう言うとデキャンタの中身を庭にぶちまけた。香りは立つが河から渡る風に流されていくだろう。中身がはっきり何か分からなくてそのままにしてたんだろう、なにもなくて良かったと言うべきか、とファダリスは王を慮った。
「おお、思いきったことするねえ」
「お前はそこに座ってろ。俺は今酔っ払ってるんだ。だから暴れてグラスもデキャンタもここから投げ捨てる。いいか! 俺は酔ってるぞ!」
ファダリスは一際大きな声で酔ってるアピールをすると、デキャンタとグラスを庭に力一杯叩きつけた。
「あーあーあー。そこまでして皆にわざわざ聞かせないといけない?」
「俺は酔うと機嫌が悪くなる。機嫌が悪いと手に持っているものは破壊したくなる!」
トウシャの言葉は無視し窓から大きく叫ぶと、大きな音を立てて窓を閉める。空は白々と明るくなっていた。
今度は王の近くの椅子に勢い良く腰掛けたファダリスは小声に戻って彼に問いかける。
「――で? 娘はもう壁になれんぞ。レオンの嫁はどうするつもりだ?」
聞かれたトウシャは、困ったように微笑んだ。
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