第四十話 冬の訪れ
今年初めての大寒波がやって来た。厚い雲に覆われた空からは小ぶりのシュークリームのような雪が落ちて来て、窓が端から凍りついてゆく。
冬支度は終わっていないが、もうこうなったら仕方がない。まあ、なんとかなるだろうというレベルまでは済んでいるので、あとは晴れ間を見つけてやっていくしかない。
確か、塔の上の方にこんな時に先代が使っていた乾燥部屋があった筈だ。カミラに頼んだら、整備してくれるだろうか。
ため息をつきながら軒下のツララを金槌で叩いて落としていると、シオンが自分もやってみたいと言って玄関から出て来た。あっという間に柔らかい金色の巻き毛の先が白く凍りつく。
「シオン、外はすごく寒いの。もっとあったかくしてから出て来ないとダメよ!」
メッと叱りながら、自分のマフラーをシオンの頭に被せてクルクルと巻いてから顎の下で結んだ。ついでに柔らかい頬を親指でふにふにと揉む。部屋の温もりを残したシオンの頬は、丁寧に伸ばしたパン生地のようで大変触り心地が良い。
シオンは赤くなった鼻を擦ると、少し照れ臭そうに首をすくめてから積み上げた薪の山にヨジヨジと登りはじめた。
「落ちないように気をつけてね」
この行動には覚えがある。わたしも幼い頃には薪の山に登ってツララを叩いた。夢中になってしまい、何度も転げ落ちたことはシオンには内緒にしておきたい。
恐る恐るといった様子で薪の山の上で立ち上がったシオンの腰に手をまわして支えながら、小さなミトンをした手に金槌を握らせる。
「ツララを落とすなら根元を叩くんだけど……。真ん中あたりを叩いてみて!」
シオンが緊張した様子で、慎重にツララを叩く。コーンと鈍く響き、すぐに暗い空に吸い取られるように消える。
「わぁ……」
シオンは興味深いもの、好ましいものを見つけた時に、よくこんな声を上げる。
「雪が降ってない時は、もう少し長く音が響くよ。晴れてると澄んだ音になるの」
「ぼく、この音もすき」
期待に紫色の瞳を輝かせて、隣の少し長いツララを叩く。先ほど叩いたツララよりも、低い音が鳴る。鉄琴よりは木琴に近い音。硬くて冷たいツララなのに柔らかくて暖かく、可愛らしい音だ。
「ふふふ。この音も良いよね」
シオンははしゃぐことなく慎重にツララを叩く。唇を少し尖らせて、ひとつひとつの音を確かめてゆく。へっぴり腰と真剣な表情がなんとも微笑ましい。白い息を吐きながら夢中になっている横顔に、自分の思い出が重なる。
雪に閉ざされる冬の間、毎日音階の変わるツララを叩くのは幼いわたしにとっても楽しみであったのだ。
ツララ演奏歴は十年以上だ。つまり、演奏にはちょっと自信がある。
ニヤリと笑ってポケットから2本のスティックを取り出してシオンに見せつける。何年も愛用している、自作のツララ演奏用のスティックだ。
一番長く伸びたツララを細かく連続で、トゥルルルルとトレモロで叩く。合間に短いツララをコーン、コーンとリズム良く叩いてゆく。力の入れ具合と叩く場所を変えることで、ツララは多彩な音色と響きを奏でてくれる。
ツララを叩くごとに、シオンの目が輝きを増した。少し尖らせた唇が半開きになっている。
「るーしあ、すごい!」
わたしは称賛されることに慣れていない。長いこと半人前の魔女のままだし、森の塔でのぼっち暮らしでは褒めてくれる相手もいない。そのため、シオンの視線が嬉しくて調子に乗った。乗ってしまった。
テンポと難易度を上げて、スティックを握る手にも力がこもる。その分、ツララの強度への配慮を怠ったのだ。
ベース音として使っていた一番長いツララが、最後に『カキン』っと間の抜けた音を立てて、根元からあっさりと折れた。尖ったツララの先には、一心に見上げていたシオンの顔がある。
「ああっ!」
この時のわたしの反射神経は、ちょっと褒められても良い働きをした。
スティックを放り出して、腕の中に囲っていたシオンの頭をギュッと抱える。身体の向きを半身分だけ捻り、自分の肩で落ちて来るツララを受けた。厚手のコートを着ているので、肩へのダメージもない。
ホッとしたのも束の間。シオンが足場にしていた薪の山が急激な体重移動に耐られず、ガラガラと崩れだした。
足場を失ったシオンの身体は横に流れ、シオンを抱えていたわたしも一緒に盛大に転んだ。
「きゃあ!」
小さく悲鳴を上げてしまったけれど、シオンを抱き込んで衝撃に備える。備えはしたが、構えは取れなかった。硬い薪や地面に膝や肘をしたたかに打ち付け、あまりの痛さにしばらく声も出ない。
「るーしあ、るーしあ! だいじょうぶ⁈」
ようやく唸り声を上げたわたしの腕の中で、シオンが慌てて身体を起こして言った。
「いたたたっ! だ、大丈夫! わたしは薬魔女だから! シオン、怪我はない?」
若干支離滅裂な返答になってしまったが、間違ったことは言っていない。擦り傷や打ち身なら、親しみを感じる程だ。
「うん、るーしあがだっこしててくれたから、痛いところもないよ!」
「なら良かった……!」
痛みは徐々に遠かったけれど、起き上がる気力が湧いて来ない。調子に乗ってシオンを危険に晒してしまったのだ。転んだ恥ずかしさもある。
「るーしあ?」
「ごめんね、怖かったでしょう?」
シオンの柔らかな巻き毛に、スリスリと頬ずりしながら言う。シオンを守れたことで身体の痛みも誇らしく感じられるのだから、保護者心理とは不思議なものだ。
「ちょっと! 凄い音がしたけど、どうしたの?」
心配して駆けつけてくれたらしいカミラが、玄関を開けて顔を覗かせた。崩れた薪の山を見て『あらあら』と呆れた声を出す。
「ルーシアったら、また薪の上でツララを叩いて転げ落ちたのね? あんた春には成人するのよ?」
『また』とか言わないで欲しい。薪の上でツララを叩いていたのは10歳までだ。今は乗らなくても手が届く。
「怪我は? シオンは大丈夫なの?」
「シオンは大丈夫。わたしは……擦り傷と打ち身はあるかも……」
カミラの手を借りてのろのろと起き上がる。シオンの前では『しっかりもののお姉さん』でいたかった……!
シオンがわたしの腕の中から抜け出すと、キョロキョロと辺りを見回してから駆け出した。わたしが咄嗟に投げ出したスティックを拾い、トコトコと戻って来る。
「るーしあ、ツララ、もっとやってほしいな。それと、ぼくもできるようになりたい」
はにかみながら、わたしにスティックを渡してくれた。
わたしは『もちろん!』と言って、シオンを抱きしめた。怖い想いをさせてしまったけれど、シオンがツララ演奏を嫌いにならなくて良かった。
「足場をちゃんと用意してからにしなさいよ。薪の山に乗るのは禁止よ!」
カミラの言う通りだ。そう言えば、昔わたしのためにカミラが踏み台を作ってくれたことがあった。大工仕事などとは縁遠い占い魔女のカミラは(当時はまだ『カミル』だった)何度も指を金槌で叩いていた。
思えば、あの時『初級薬学入門書』を師匠に借りて作ったカミラのための傷薬が、わたしの薬魔女としての最初の仕事だった。
「カミラ、あの踏み台、何処にしまってあるんだっけ?」
「私が昔作ったやつ? あんなボロいの、返って危ないわよ?」
「出しておいてくれるかな? 修理すればきっと使えるよ」
「いいけど……。ちゃんと手当てしてからにしなさいよ? 薬魔女さん」
はぁいと返事をしてから立ち上がると、左の肘と両膝がジンジンと痛い。心配そうに見上げるシオンの手を取って、自分の工房へと向かった。
「るーしあ、ほっぺ、血がでてる」
床に腰を下ろして膝に自作の軟膏を塗っていたら、目線の揃ったシオンがわたしの頬をぺろりと舐めた。
「シオン! 自分以外の血を舐めたらダメよ! うつる病気だってある……」
必要なことだと、少し強めに口にした言葉は、最後まで口にできなかった。
シオンのびっくりしたように見開いた、綺麗な紫色の瞳をそのままに―。
変身がはじまった。




