第三十八話 ふゆじたく 一日目 夜
冬支度の一日目は体力勝負だった。
腰にくる畑の収穫にはじまって、重い根野菜を軒下に吊るし、豆類の天日干しために階段の昇り降りを繰り返した。昨日は箒の上でジプシーダンス三昧。今日は背中の筋肉と足腰を鍛えてしまった。舞踏家と格闘家……どっちで名を馳せる日が近いだろう。いや、わたしは魔女なんだってば。
そんなこんなでわたしは、夕焼けがはじまる頃にはすっかりヘトヘトになってしまっていた。晩ごはんを作る気力が湧いて来ない。軽く汗を流してからうつ伏せに寝転び、シオンに背中を踏んでもらっていると、買い出しに行っていたカミラが上機嫌で帰って来た。
「なぁにルーシア、まだ半分も終わってないのに、もうへばってるの?」
疲れているせいか、じゃれつくようないつもの軽口が今日はやけに勘に触る。人をディスる前に、ただいまの挨拶くらいしやがれっての。
「かみらおねえさん、おかえりなさい!」
わたしが無言でプイッと顔を背けたら、少し焦ったように代わりにシオンが元気に挨拶した。空気を読み過ぎる五歳児。人間関係の板挟みに、苦労する未来しか見えない。
「ぼくたち、すごくがんばったよ。パッチェ(葉野菜)はしたごしらえまでおわったし、シチラシ(根野菜)もぜんぶ、つるしおわった!」
パッチェは瓶に入れて酢漬け、シチラシは干して水分を抜いてから大きな甕でハーブと塩で漬ける。冬の間の貴重な栄養源だ。今年はシオンがいるから、赤辛子漬けは抜きかなぁ。
「あら、すごいじゃない! 薪は?」
「未加工の木材をひと冬分注文して来た。木こりのおじさま、腰を痛めちゃったみたいで、薪割りは勘弁してくれですって」
炎症を抑える軟膏をプレゼントしたら、恐ろしいものを見るような顔をされてしまった。ボコボコと泡立っているのは、効く証拠なのになぁ。
「そろそろ木こり小屋から、村に引き上げるって言ってた。何度かに分けて運んでくれるって」
「カフーがはこんでくれたよ。すごくちからもちなんだ!」
今日は三分の一程度の量を、木こりのおじさまの犬、カフーが犬ぞりを引いて運んでくれた。辛抱強くて優しい良い犬だ。
「あら、じゃあやっぱりアドルフォに頼む?」
「別にわたしだって薪割り出来るし……!」
出来るし、何なら嫌いな作業ではない。
薪割りは、木片を台座に置いて鉈を軽く振り下ろす。わたしは一度で割るのではなく、鉈の刃を木片に食い込ませて、木片ごと振り上げて台座にコンコンと打ち付けることで割り開くやり方をする。
だからこそ、カミラが『夜中に薪割りは非常識だ』と言っていたのだ。カコーン、カランカランと小気味良い音が響く作業だ。そこが好き。疲れるけど。
明日は肩と腕の筋肉を鍛えるのか。肉体派魔女というのは新しい気がする。目指してみても良いかも知れない。
カミラは「街で可愛い娘さんとイケメンくんに誘われちゃったの♡」と夜遊びへと繰り出して行った。どちらが本命なのか全然わからない。明日、残りの買い物をしてから戻るそうだ。兄弟子の奔放な朝帰り宣言に、引きこもりの自分が若干悲しくなる。
『これだから占い魔女は……!』と心の中で悪態をついてやった。
わたしとシオンは、パンとお昼の残りのスープで簡単な夕食を済ませて、早々にベッドに入った。明日も引き続き忙しい。
シオンのベッドで一緒に絵本を読んでいるうちに睡魔に襲われて、ついうとうととそのまま眠ってしまった。
気がつくと日付を跨いでいて、わたしは自分のベッドで眠っていた。カミラが運んでくれたとは考えにくい。カミラならばわたしを起こして自分で歩かせるだろう。それに兄弟子は絶賛夜遊び中だ。
「アドルフォが……」
アドルフォが抱いて運んでくれたのだろうか。熱を出して寝込んでいた時にしてくれたように。
あの時に触れた肩や胸の感触を思い出して、ひとりでに顔を赤くなってしまう。
幼い頃から、老女と女装趣味の兄弟子しか周りにいなかったのだ。意識するなという方が無理な話だ。
そう。わたしがアドルフォのことが頭から離れないのは、初めて恋愛対象となり得る存在と遭遇したからなのだと思う。春にはわたしは十八歳になる。恋人がいてもおかしくはない年齢なのだ。
ナマズという魚がいる。沼などに生息していて、泥の中に身を潜めてほとんど動かずに暮らしている。彼らは繁殖期になっても行動範囲を広げない為、たまたま出会った雄と雌は、ほぼ100%の確率で番いになるという。
何が言いたいのかというと、今のわたしの状況はそのナマズと変わらないのではないかと思うのだ。『他に見当たらない』。そんな理由で初恋を迎えてしまっては、余りにも人族として情けないのではないだろうか。
(塔にこもって、ナマズと同じくらいの行動範囲で暮らしているから悪いんだわ!)
頭の中に涌いた『繁殖期』という単語を、ブンブンと手を振って追い出す。
そもそも、アドルフォはシオンなのだ。いくら初恋が実らないものだとしても、余りに不毛過ぎる。背徳感すら付きまとう。
(やめやめ! こんなの、ロマンス小説のヒーローにポーッとなってるのと同じようなもんだ!)
再度手を振り、ついでに頭もブンブン振ったらすっかり目が覚めてしまった。昼間使い過ぎた筋肉が火照っている。
「水でも飲もう……」
寝室から廊下へと出てシオンの寝室を覗いてみたが、アドルフォは居なかった。廊下の冷たい空気が火照った身体に心地よいと感じたのは束の間で、階段を降りるうちにすぐに冷えが来た。
階下のキッチンにもアドルフォの姿はない。わたしは羽織ったカーディガンの襟を引き上げて、玄関のドアを開けた。
アドルフォは剣を振っていた。
おそらくそれは、形稽古と呼ばれるものだ。わたしは武術のことなど何も知りはしないけれど、アドルフォの動作が長い年月をかけて、身体に染み込んだものだということは見て取れた。何年も何年もの間、毎日のように続けなければ、人間にあんな動きは出来やしない。
派手さや華やかさとは無縁で、研ぎ澄まされた静かで実践的な動きだ。それはアドルフォに、とてもよく似ていると思った。
わたしは寝室から毛布を持って来ると、それを被って玄関の石段の上に腰を下ろした。それからずいぶんと長い時間、飽きもせずアドルフォを眺めた。
眺めながら……。
ああ、アドルフォは、記憶を取り戻したんだなぁと思った。アドルフォのふとした拍子に見える、どこか所在なさそうな……迷子の子供のような雰囲気がすっかり消えていたからだ。
夜空を見上げれば、薄く雲に覆われて朧月がぼんやりと闇を照らしている。
(明日の天気が読めないなぁ……)
雪は間に合ってくれるだろうか。
本格的な雪が降れば、全ての出来事は春まで先送りにされる。アドルフォが動いてしまう前に……。
雪が森を閉ざしてしまえば良いのに。
アドルフォはわたしに気づいているのかいないのか……振り向くことも、手を止めることもなかった。