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三十四話 記憶(アドルフォ視点)

短いですが。


アドルフォの過去を少しだけ垣間見て下さい。






 実を言えば、記憶はほぼ戻っていた。自分の身の上や受けた呪いのこと、旅に出ることになった経緯(いきさつ)……。シオンが生まれたであろう原因にも思い当たっている。


 カミラにそれを言わずにいたのは……、思い出していない素振りを装ってしまったのは、記憶を失っている間に想像していたよりも、ずっと惨憺(さんたん)たる自分の過去を呑み下すのに難儀しているからだ。


 それに、どこから話したものか……どこまで話して良いのか。出会ったばかりの、この風変わりな魔女を信用しない訳じゃない。むしろ……もし話すとしたら、彼しかいないだろうとは思う。


 だが。


 それも必要ないかも知れない。なぜなら、俺の目的はもう果たされたのだから。




 俺がこの身に受けたのは、昼間の人格を封じる呪いだ。奴らは使い勝手の良い兵器である俺を、手放す気はなかった。昼と夜とに分けたのは、全ての人格を封じてしまっては、壊れるのも早いとかそんな(ろく)でもない理由だ。


 十年と少し前。


『お前の働き次第では、あの(むすめ)共々自由にしてやるぞ』


 俺はそんな約束が守られると信じた。力の加減をしながら人を踏み潰すことの出来る権力者など知らない、たった十二歳の子供だったのだ。


 父親の形見の剣は道具に成り下がり、剣士の誇りも、総領の跡取りとして受け継いだ技も地に堕ちた。

 それでも自分の決断を後悔したくなくて、剣を握る手を滑らせる赤い血の色から目を逸らした。殊更に軍律を守り、様式美に従い、人形のように命令を遂行した。


 五年が過ぎた頃、その大義名分すら嘘だったと知った。俺が守っているつもりでいたあの子は、奴らの手の中にはいなかったのだ。


 騙されていた怒りよりも安堵感が勝り、俺は使い物にならなくなった。自分の行動が、あの子の生死を左右するという緊張感から解放されたのだ。あの子がどこかで生きているならもう、それだけで他のことはどうでも良くなった。


 そのまま無気力に過ごしていたら、昼間の記憶が飛ぶようになった。身体に覚えのない傷が日ごとに増えてゆく。意識が戻るのはいつも、泥のように疲れて横たわったベッドの上だった。

 呪いか薬で昼間の俺を動かしているのだろうと察しはついたが、使い潰されるならそれも良いと思って流された。


 人間らしい普通の暮らしは、望むには既にあまりに遠い場所にあった。ただ夢を見ずに眠っていたかった。



 我に返ったのはある夏の夜のことだ。昼間の行動を手放してから、更に五年が過ぎていた。


 珍しく眠れない夜に開け放った窓から空を眺めていると、月を横切る影がある。それは尖った帽子を被り、箒に乗った『魔女』と呼ばれる不思議な存在だった。


 そういえばあの子と過ごした箱庭には、馴染みの魔女が出入りしていた。あの箱庭を作った亡国の、五つ星魔女だった筈だ。食えない婆さまで、幼い俺は良いようにあしらわれていたっけ。


「あの婆さまなら、あの政変と城攻めでもくたばることはないだろうな。今頃、どこで何をしていることやら」


 思い出したら、クスリと笑いが込み上げた。


 笑うなど、何年振りのことだろう。上向いた唇に押されて、頬がピクピクと引き攣れた。途端に、唐突に……自分が異様な状態であることに気がついた。


 半分無意識で、数少ない本当の意味での私物を入れた小さな皮袋を開く。中から小さなオルゴールを取り出し、底の螺子(ねじ)の金具をキリキリと巻く。

 震える手をぎゅっと握って深呼吸を繰り返し、華奢な貝細工が施された蓋をそっと開いた。


 薄い金属板を弾く涼やかな音が、夏の夜の蒸れた空気を揺らした。それを合図のようにして、堰き止められていた感情の渦が、濁流となって身体中を駆け巡った。

 指先がチリチリと痺れる。視界がぶれる。轟々と潮騒(しおさい)のような耳鳴りが、頭の中を塗り潰す。うずくまってしまいたい衝動に耐えて、俺はオルゴールの中にしまってある、ひと房の薄桃色の髪束を見つめた。


 しばらくして耳鳴りが遠ざかると、ようやくオルゴールの奏でる曲が聴こえてきた。

 穏やかな箱庭であの子が微睡む昼下がり、必ずこのオルゴールが枕元で子守唄を奏でていた。俺の手をぎゅっと握る、柔らかく小さな手の感触を思い出す。


 俺は膝を突き、腕をダラリと投げ出して天を仰ぎ、幼児(おさなご)のように声を上げて泣いた。



 ここから抜け出そう。婆さまならば、あの子の味方になってくれているかも知れない。ここを抜け出して、婆さまを探しにゆこう。ひと目だけでも、あの子の無事な姿を見てみたい。


 それは俺が久しぶりに抱いた、人間らしい『欲』だった。



 逃げ出すのは、そう難しいことではなかった。奴らは俺が逃げ出す想定を、ずいぶん前からしていない。それだけ長い間、俺は無気力に奴らの人形に成り下がっていたのだ。

 軍の医務院から強い睡眠薬を持ち出し、昼間の空っぽな時間を睡眠に割り当てて、夜の闇に紛れた。魔女やそれに関わる人々は夜に行動する者が多い。夜に動ける呪いは好都合だった。


 噂や人伝(ひとづて)の紹介で、魔女を訪ねて歩く。本物の魔女に出会えることはそう多くはなかったが、ようやくそれらしい噂を聞いた。


『ある辺境の地に、許可なき者は近寄ることさえ出来ない塔があり、そこには恐ろしい呪い魔女が住んでいる』


 まるでお伽噺(とぎばなし)の一節のような噂話だ。俺は一心に、その塔を目指した。


 何とかその森へと足を踏み入れる頃には、手持ちの睡眠薬は尽きていた。絶望的な気分で登る朝日を眺めた。


 そして……。


 次に目を覚ましたのは、ルーシアのベッドの上だった。


 おそらく、人格が封じられていた『空白の昼の身体』に、命令する人間がいなくなったことでシオンが芽生えたのだ。人殺しが上手くなり過ぎた俺とは無縁な、無垢で幼い人格だ。


 追手がかかる身の上だ。穏やかな辺境の森に、血生臭い連中を呼び寄せたりはしたくない。


 ルーシア(あの子)には、何も知らせず立ち去るのが最善だ。


 それなのに。


 俺の中のシオンが、泣きながら駄々をこねる。


『いやだ! ここにいたい! るーしあがすき! だいすき!』


 知ってる。痛いほどに。


「俺もだよ……」


 思わず溢れた呟きは、温泉の湯気に吸い取られて霧散した。




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