第三十三話 湧き湯にて(カミラ視点)
エタってごめんなさい(T-T)
不定期ですが更新再開します。そして完結まで頑張ります。応援お願いします!
「で……どこまで思い出した?」
乳白色の湯から上半身を出して、バスケットの中から西国の白ワインを取り出しながら聞いてみる。
「驚いた……。言葉遣いどころか、声まで違うんだな」
しなやかで実用的な筋肉を纏った背中に声をかけると、感心したような声音で返された。質問をはぐらかそうとしているのだろうか? その割には邪気がない。
「この姿で女言葉だと気持ち悪いだろ?」
軽い調子で返しながら、異国情緒溢れるラベルに彩られたボトルを岩肌に吹き溜まった雪の中に埋める。ハーブを効かせたホットワインも良いけれど、白ならキリリと冷やして頂きたい。
「そうでもないんじゃないか?」
魔女カミラの時は『魔女殿』と呼び、堅苦しい敬語で話していたこの男も、化粧を落とし男の所作に戻った途端に、遠慮のない態度と言葉遣いへと変わった。これも温泉効果だろうか。
「意外に融通の効くタイプなんだ」
「自分がどんな理に則って生きていたのか、憶えていないだけだ」
手桶でザブンと頭から湯をかけて言う。眉間の皺は湯のせいだけではないのだろう。
「何も思い出していないのか?」
「いや……この地を目指した理由は思い出した。呪いを解いてもらうために……旅をしていたようだ」
「昼間は子供の姿なのに、どうやって?」
「さあ……どうしていたんだろう……。わからん……」
今度ははっきりと、眉間に自嘲めいた皺が寄る。濡れた髪を無造作に後ろへと流して、ふうと息を吐く。成熟したオスの色香の乗った息が温泉の湯気を散らすのを見て、妹弟子の貞操が気にかかる。こんな男と同じ屋根の下で暮らしていては、あのチョロイ妹弟子などはあっという間に手のひらで転がされてしまいそうだ。
帰ったら速攻で作らせるべきだろうか? 精力剤の反対の効果を持つ、男として使いものにならなくなる薬を。
要は勃たなくなる薬だ。
(でもあの薬はルーシアにはハードルが高いかも。即効性を持たせるのと、一時的にとどめて効果を出すには、かなりの薬魔女としての力量が必要だった筈……)
未熟なルーシアのせいで、中途半端な効果を持った薬が出来た場合の悲劇がヤバイ。
(まぁ、私がいるうちは大丈夫か……。夜は見張っていれば良いし。それにしても……)
「傷だらけだな。どんな生活をしたらそんなになるんだ?」
腕や肩には無数の小さな傷、脇腹にはザックリとかなり大きな刀傷がある。背中にあるのは古い火傷の痕だろうか? 良い家の生まれに見えるのに、まるで戦場の最前列の雑兵か奴隷のような身体だ。
「背中には刀傷がないんだな」
『背中の傷は戦士の恥』
そんな言葉があったのは十数年前に滅んだ……ルーシアと師匠の祖国だ。だがあの戦争の時には、この男も十歳かそこらの子供だった筈。さすがに戦に駆り出される年齢ではない。それに傷は古いものだけではなく、比較的新しいものもある。
(現在進行形で命のやり取りに縁があるとしたら、紛争地帯である南東の大陸か……?)
あるいは帝国の闘技場の剣闘士だろうか。どちらにしても、平和で呑気な辺境のこの森に引きこもって育った妹弟子には荷が重い相手だ。身元を隠すような旅装も気に掛かる。
だが……。
もうじき冬が本格的になり、森は雪に閉ざされる。馬が使い物にならなくなれば、空を飛べる魔女が最強だ。いざとなれば塔の最上階の窓から、箒で飛んでしまえば良い。そのために魔女の塔は高く作られているのだ。
「ピピピー(自主規制)な薬よりは箒だな。やっぱり明日から特訓だ」
私の独語にしては大きすぎる声に、アドルフォの切実な視線が来た。ヤバイ薬を飲まされそうになっているのに気づいたらしい。
「それには俺も賛成だ。ルーシアの薬は……ちょっと独創的で敷居が高い」
同意しかない。パンチの効いたのど飴、ゲップが止まらなくなる胃薬、勢いの良い座薬……。なかなかに攻撃力が高いのだ。
「だが面倒見が良くて情が厚い。彼女に拾われたシオンは幸せ者だな」
他人ごとのような言葉の割に、紫色の瞳に切なさが掠めた。私の予想よりも二人の距離は近いのかも知れない。
「そんなに心配するな。彼女に深く関わるつもりはない。呪いが解けたら自分に似合いの場所に行くさ」
私の顔色を読んだらしいアドルフォが、苦笑混じりで言う。察しが良いのは、良いことばかりじゃない。
「ああ……。だが現状、ここには相当腕は良いが専門は占いの魔女と、どうにも使いものにならない薬魔女しか居ないんだ。あんたの厄介な呪いに対抗する手段がない」
「そうか……。解呪の魔女様を紹介してもらうことは可能か?」
「春の魔女集会までは難しいな。それにすぐに雪が降る。そうなれば、地上を歩く旅は危険過ぎる」
寒気は空をゆく魔女にとっても厳しいものだ。
「ルーシアはシオンと……あんたのために、呪い魔女になるつもりでいるぞ」
「彼女に呪いは似合わない」
私もルーシアには呪いとは無縁でいて欲しい。それが師匠の願いでもある。呪い魔女は権力者に目をつけられやすいのだ。
「……呪いのことで思い出したことはあるか?」
「ああ……」
沈黙が落ちる。アドルフォは言葉を続けなかった。
「別に全てを話さなきゃいけない訳じゃないさ」
カップにワインを注ぎながら言うと、アドルフォは目を伏せたままグイッと呷った。
お互いに察しが良いであろう相手との会話は、二人にその後の多くの言葉を飲み込ませた。
しんしんと、黙って酒と湯を楽しむ冬の夜が、ただ更けてゆく。




