第三十二話 騒がしい夜です
温泉回と予告を打ちましたが、前話で書き足りなかったので少し巻き戻した場面から。
背中に回した腕を縛り上げられ目隠しをしたアドルフォを前にして、カミラがクスクスと笑う。
「ねぇルーシア、何からする?」
いったい、塔のセキュリティ解除以外の何をするつもりなんだろう。
「何って……、のりょいの解除……」
今は幼女じゃないのに噛んだ。
「まあルーシアったら。変身してもお子ちゃまのままなの? こんな美しい囚われ人に、少しも悪戯しないつもり?」
アドルフォの耳が赤く染まる。
「カミラ殿……。お遊びはこの辺で勘弁してくれ……」
アドルフォが動揺してる! 記憶がないくせに何となく余裕があって、真面目な顔でわたしのこと揶揄ったりしてる、あのアドルフォが動揺してる!
改めてアドルフォを見ると、確かにこれ以上ない程に美しい囚われ人だった。
シャツの前がはだけているし(サイズが合わなくてボタンが飛んでしまうから)、綺麗に浮いた鎖骨や厚い胸板……緩やかに上下する腹筋は、見事に割れているのにしなやかで繊細だ。
絶対コレ成人指定!!!!
目隠しがこんなに似合うってどういうことだろう。困ったように顰められた眉、男性らしい鼻梁。何か言いたげに、少し開いた薄い唇も艶かしい。
もう、鼻血出そう……。
だがこんな場面で鼻血を出そうものなら、一生涯カミラに揶揄われること間違いなしだ。耐えねば!
「はい、終わり」
カミラがポンと手を叩いて言った。
「「えっ?」」
アドルフォとわたしが、同時に顔を上げて同じ声を発した。
「呪解、完了です。気分はどうですか? 思い出したことがあって、必要だと感じたら、私かルーシアに教えて下さいね」
カミラが、依頼主に対するいつものセリフですと言わんばかりに、事務的に言った。
真剣に踊ったわたしのジプシーダンスは何だったのか。あまりの呆気なさに気が抜ける。わたしの補助なんて要らないじゃない!
「こ、この性悪の呪い魔女っ……!」
「あら、私はあばずれの占い魔女よ? 引きこもりで根暗の薬魔女さん」
カミラはまるで悪びれず、聖女のように清らかな笑顔を浮かべた。
……わたしはたぶん、一生この兄弟子には敵わない。
* * * *
「アドルフォ、お風呂入ります?」
黙り込んでいるアドルフォに声をかける。カミラにいいように弄ばれたわたしは、同じく餌食にされたアドルフォに、妙な仲間意識を感じていた。なんだか少し優しくしてあげたいのだ。
「風呂か……いいな。久しぶりな気がする」
「ああ、いつもお風呂に入っているのはシオンですからね」
アドルフォの感覚は間違っていない。新陳代謝的には……どうなんだろう? シオンだけでなく、アドルフォにも毎日入ってもらった方が良いのだろうか?
「どうせなら湧き湯に入りに行く? 岩風呂で良いのがあるのよ。今日ならホットワインで雪見酒と洒落込みたいわね」
「カミラ、うちには料理用ワインと薬用アルコールしかないよ?」
この国では、飲酒は成人してからと決められている。魔女は『罪なき者』ではあるけれど、倫理観が破綻している訳ではない。
「お土産の中に、西国の良いのがあった筈よ。アドルフォ、あなた割とイケる口に見えるけど?」
アドルフォが少し考え込むような素振りを見せる。
「うむ……どうやら好むようだ。御相伴に預かりたいな。だが、俺に肌を晒すことに問題はないのか?」
わたしへの質問ではない。カミラに聞いている。
「うふふ。何か問題があるの?」
カミラが、椅子に座ったアドルフォの顎にツイと指を掛けて上向かせる。絵面的には、問題アリ寄りの有りに見えます! もう今夜はそういうの、お腹いっぱいだよカミラ!
「この格好は営業用みたいなモンなのよ。問題ないわ」
ないのか……。妹弟子のわたしでさえ、なかなか踏み込んで聞けなかった事実が、思わぬところで明らかになった。
ふと、アドルフォはこの塔から出たことがないことに思い当たる。
(アドルフォは、夜中に目を覚ますから……)
わたしはシオンにばかり感けていて、アドルフォを蔑ろにしていたのかも知れない。
罪悪感が湧いて来て、いよいよ優しくしてあげなくてはという気分になる。
「アドルフォ、岩場の湧き湯とっても気持ちいいですよ。景色も良いです! 軽いおつまみも作りますから、行って来て下さい」
お酒を飲む楽しさはまだわからないけれど、岩場の湧湯は乳白色の湯は、熱過ぎずに柔らかく心地良い。
手早くチーズやピクルスと、軽く炙った硬パンをバスケットに詰める。
「はい! ゆっくりして来て下さいね!」
タオルと一緒に満面の笑みで渡す。
「君は行かないのか?」
笑顔がピキリと固まった。
カミラには俺の前で裸になって大丈夫なのか的な質問をしたくせに、なぜわたしを誘うのか。もしかして、自分が今も幼女の姿なのかもと確認してしまった。
「わたしのこの格好は、営業用ではないですよ?」
上目使いに見上げると、少しバツが悪そうに目を逸らされた。異性だと意識されていない?
「いや、外に出ることに少し不安を感じてな。何しろ俺にはこの塔の中の記憶しかない」
この大きくて強そうな男が、わたしを頼りにしているのだろうか。どこかでキュンと音がした気がする。
いったい、どこが鳴った? 魔女ってそんな音がする臓器があった?
「あら、怖がられちゃった? もう縛ったりしないわよ。ルーシア抜きでやっても面白くないじゃない!」
カミラは、やっぱりわたしの反応を楽しんでいたんだ……。まんまと乗せられてしまった。鼻血を吹かなくて本当に良かった。生涯消えない汚点を刻むところだった……。
「もう! 早く行って来てよ! 夜が明けて、シオンになっちゃう!」
わたしはカミラとアドルフォの背中を押して、玄関のドアをバタンと閉めた。もう一度開き、二人分の上衣とカミラの箒を手渡しベーっと舌を出してからまた閉める。
こんなにも騒がしく、心が乱れる冬は今まで過ごしたことがない。窓の外は変わらず、静かな森と、冷たい月が佇んでいるのに。
春にわたしは十八歳の誕生日を迎え、成人となる。
その頃、わたしは……。シオンとアドルフォは、どうなっているのだろう。今度はどこかがシクシクと痛んだ気がした。
魔女の臓器は多感で困る。
次こそ温泉回です。