第三話 パンツは履かないで寝て下さい
考えることはいくらでもあった。
朝陽が昇った瞬間に目の前で起きた現象は、紛れもなく呪いの発動だった。これでもわたしは魔女の端くれ。そこに見誤りはない。
思い返してみれば、全裸男は金色の髪、紫色の瞳をしていた。あの男はシオンが成長して大人になった姿なのだろうか?
このはにかみ屋で愛らしい天使が、あんな目付きも口も態度も悪い男に?
「そんなの信じられない!」
つい声に出た。流しで食器を洗う手も、ガチャガチャと乱暴になってしまう。
そもそも全裸で、花咲く前の乙女の手を取るとは何たることか! ましてや、言うに事欠いて『夜這い』とは……!
「股間のひとつも蹴ってやれば良かった!」
いや……。生は嫌だな。
朝ごはんを食べ終わって、窓辺のプランターに水をやっていたシオンが、びっくりした顔をして振り向いた。
こてんと首を傾げて『どうしたの?』と訴える。ほら、天使! もう、天使! 可愛いったらありゃしない!
なんでもないよとデレデレの笑顔で返し、考えごとの続きへと戻る。
シオンには全裸男になっていた自覚はなく、昨夜のことは一切憶えていない様子だ。破れてしまった寝巻きを見てシュンとしていた。
全裸男も、自分がなぜこの場所にいるのかさえわかっていないようだった。わたしのことを『お前は誰だ?』と言っていた。あれが演技でないならば、シオン同様子供である時の記憶を持っていないということだ。
「丸っきり違う人と、入れ替わっているのかも知れないし……」
呪いには、術者の数だけ効果と条件がある。
ある年齢に達する、特定の言葉を使う、恋をする、涙を流す、嘘をつく……。発動や解呪の条件、効果は術者が設定する。呪いはその条件が狭く厳しいほどに、少ない対価で強い効力を発揮するのだ。条件を設定するのは『罠』に似ている。
罠にはまった対象者は、術者の設定した効果を、その身に受けることになるのだ。
季節や時間なども条件になり得る。月の満ち欠け、初雪や雪解け、天気や気温。そして、夜明けや日の入り。
「夜明け……」
窓から朝陽が差し込んだ瞬間、あの男から呪いの臭いが立ち込めて身体が縮みはじめた。夜明けがシオンに戻る条件だとしたら?
「夜になると、また変身する……?」
もしまた同じことが起きるなら、備えなければいけない。
「るーしあ、おはな、ツボミがあるの」
シオンがトトトと走って来て、目をキラキラさせて言った。わたしに見て欲しいらしく、エプロンの裾を引いて窓辺を指差す。
手を引かれて窓辺まで行くと、プランターのハーブがいくつかの白いツボミをつけていた。
「わぁ、本当だ! 小さいの、よく見つけたねぇ。このハーブは花びらが五枚の可愛い花が咲くよ!」
「ごまい……。たのしみだねぇ」
シオンが小さな手のひらを開き、指の数を数える。『いち、にぃ、さん』と辿々しい様子と舌ったらずの声にたまらなくなり、思わず後ろからギュッと抱きしめる。
こんなに良い子なのに、どんな不幸に巻き込まれているんだろう。こんないたいけな存在を、誰が呪ったり出来るのだろう。
「大丈夫! 大丈夫だからね! お姉さんが、きっと何とかしてあげる!」
柔らかな金色の髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜると、くすぐったそうに眉を寄せて首をすくめた。
その日は、呪いに関する調べ物をしたり、シオンのビリビリになってしまった寝巻きを繕ったりして過ごした。修復不可能かとも思われた寝巻きは、アップリケと継ぎ布をパッチワークのように使うことで、なかなか斬新かつ可愛らしく生まれ変わった。
わたしはそこそこ器用で有能なのだ。魔女の技以外は……。
夜になり、直したての寝巻きを着て寝たいというシオンを説得する。
「今日はこっちを着て寝ようね。ほら! お姉さんのとっておきの魔女ローブだよ。きっと、箒に乗れる夢が見られるよ!」
魔女ローブの持ち主が箒に乗れないのだから、あまり説得力のある言葉ではなかったが、素直で純真なシオンはこっくりと頷いてくれた。
昨夜の全裸男は、かなり背が高く体格もガッシリしていた。もし今夜も変身するとしたら、わたしの服でも張ち切れる。だからといって、シオンを裸のまま寝かすわけにもいかない。苦肉の策の魔女ローブだ。
「ぱんつは? ぱんつ、はかないでねるの?」
「ぱ、ぱんつは……! ど、ど、ど、どうしよう……!」
履いて欲しい! いや、履いていてくれないと困る。主に目のやり場に。
シオンのパンツでは確実にまた破けるだろう。けれど、わたしのパンツを履かせたら、間違いなく大惨事になる。
「パンツ、洗濯しちゃって、乾いてないの。今日は我慢してね!」
こんなことで、天使に嘘をつく羽目になるなんて……。ぐぬぬぬ! 全裸男めぇ!
いつも通り絵本を数冊読み、子守唄を歌うと、シオンはすぐに眠りについた。
顔にかかった髪の毛をすいてやり、ついでにその感触を楽しむ。
あ、睫毛も金髪なんだ! 眉は少し濃い色なのに。
ランプの灯りを、チラチラと反射する長い睫毛、健やかな寝息。
この子を、やすやすと呪いに明け渡すわけにはいかない。たった二週間で、シオンはわたしの心の大切な場所を、すっかり占領してしまっている。
漠然とした目標なんかじゃなく……。『いつか、そのうちに』じゃなく。
わたしは早急に、一人前の魔女にならなくてはいけない。
次話『ついつい見惚れてしまいました』
ふふふ。ガッツリ変身シーン描写しちゃいますよ!