第十六話 シオンが風邪ひきです
目覚める直前まで、夢を見ていた。
誰かに抱かれて、炎に追われ焼け落ちる建物から逃げる夢だ。この悪夢は攻め滅ぼされてしまった祖国で、実際に幼いわたしが経験したことらしい。
わたしは記憶にはないこの滅びの日を、冬になると時々夢に見る。気のせいか、年々鮮明になってゆく。
まるで忘れるな、思い出せとでも言っているように。
起き上がろうとして、何だか手足が自由に動かないことに気づく。
なぜマントで、身体がぐるぐる巻きになっているのだろう? おまけに、足にはビリビリに破けた子供服の残骸が引っかかっている。
「こ、これ! あーっ! えーっっっ⁉︎」
わたしは昨夜、アドルフォの呪いの一部を解除しようとして失敗し、三歳くらいの幼女の姿になっていた筈だ。
それが今は大人の姿に戻り、アドルフォのマントに巻かれて自分のベッドで寝ている。
「これって、もしかして……アドルフォの前で変身しちゃったってこと⁉︎」
マントの下は、ほとんど素肌だ。
あまりの衝撃に、頭も身体も固まって動かなくなる。
お、お、落ち着いて! あの人騎士さまだし! だって騎士さまだもの紳士に決まってる!
真面目な顔をして何度も揶揄って来るし、腹黒そうに笑ったりもするけど、卑劣なことをするような人じゃない。
だってほら! 子供用ローブは肩に、スボンと下着の残骸は足に引っかかっている。慌ててマントで身体を覆ってくれたことも、何となく見て取れる。
「でも……、ちょっとは見られちゃった……のかも……」
かつて感じたことのないほどの羞恥に襲われて、マントを巻きつけたまま、イモムシのようにゴロゴロとベッドの上を転げ回る。
もういっそイモムシになって、キャベツの中に埋もれて暮らしたい。
かくなる上は、更なる記憶封印の呪いを……!
涙目で読み差しの『魔女以外でも使える呪いとその対価』をパラパラめくる。うーん、割とエグいのね対価。手とか足とか、眼球とか……。
そんな対価を差し出してまで呪いを望むなんて……。人間の心の闇はどこまで昏いのか。クワバラクワバラ。
「るーしあ、さむい」
シオンがドアを少しだけ開けて、顔をちょこんと覗かせた。アドルフォの大きなシャツを引きずるように着ている。手は袖の肘のあたりにあるし、襟ぐりから肩が出てしまっている。彼シャツ(?)、可愛い!
「うん、おいでおいで!」
シオンを布団の中に入れてぎゅーっと抱きしめる。あれ? ほっぺは冷たいのに、おでこが熱い?
「シオン、お熱があるよ。具合悪くない?」
「あたま、いたい……」
風邪ひきだろうか? シオンを毛布でぐるぐる巻きにして布団から出る。布団を肩まで掛けて、ポンポンと叩く。
「パジャマを持って来るまで、お布団から出ちゃダメだよ! 今日はお姉さんの部屋で大人しく寝ていようね」
赤い顔でこっくりと頷くシオンに、つい手が伸びてしまう。ふにふにと頬を撫でて熱い額にキスをする。弱っている小さな生き物には抗いがたい魅力がある。
「何か食べられる?」
「うん。おなかすいた」
食欲があるなら、そう心配しなくても大丈夫だろう。いざとなったら、わたしの作った熱さましや風邪薬もある。いや、あれはまだ試作段階だ。大事なシオンで試すのは憚られる。
「頑丈そうだし体力もありそうだから、アドルフォなら大丈夫かも」
ふふふ。乙女の素肌を見られた恨み、そこで晴らしてくれようか……あっ! 座薬がある! 試作品! チラつかせるだけで、きっとダメージを与えられる!
でも、あの人が病気で弱ってるところなんて、想像もつかないかも。
シオンの部屋にパジャマを取りに行くと、ベッドに寝乱れた様子がなかった。キッチンに降りる途中、階段に置き去りにされたズボンや下着を回収する。
方向から見て、階段を昇る途中で夜が明けて、力尽きて廊下で眠ってしまったというところかしらね!
季節は晩秋。冷たい廊下で寝たら短時間でも具合が悪くなっても仕方ない。
昨夜は色々と想定外のことが重なってしまったとはいえ、もう少し幼いシオンを気づかって欲しい。
キッチンに降りて、竃に火を入れる。昨夜作ったスープは煮すぎて野菜が溶けてしまっていた。これはこれで美味しいけれど。
「具合の悪いシオンにはちょっと重いかも」
潰したカボチャとパンをミルクで煮て、蜂蜜を垂らしたパン粥を作る。
「林檎を丸ごと焼いた、焼き林檎も作ってあげよう。シオン、美味しいって言ってたやつ!」
林檎の芯をくり抜いて、中に黒糖とバターを入れる。下ごしらえはパン粥が煮えるまでに終わった。あとはオーブンに入れて、弱火でじっくり焼くだけだ。
水を張った桶と手拭いも一緒に持って階段を昇る。ドアを開けた途端、全てのものを落としそうになった。
「うわっ、アドルフォだよ! 何で⁉︎」
次話『アドルフォも風邪ひきです』
少し弱った大きな生き物にも、抗いがたい魅力がありますよね。
本日から更新時間変更してます。毎日22:00に投稿します。良かったら明日も覗きに来て下さい。