第十二話 どうやら俺は呪われているらしい(夜のあの人視点)
真夜中の森と晩秋の冴えた月を背にして、解き放たれたように踊る彼女に、正直見惚れてしまった。
魔女殿はずいぶんと不用意な性質で、俺がガラス窓に映った彼女を見ていることには気がついていない様子だ。
最初はまた揶揄うつもりだった。真っ赤になって怒る彼女がどうにも可愛らしくて、もう少し見たかったから。
自分の図体を見れば、そんな子供染みたちょっかいを出すような年齢ではないことはわかる。だが、やめられない。
これも呪いのせいだろうか?(いや違う)
だが彼女が踊り出してすぐに、俺のそんな思惑は吹き飛んだ。暗闇で小動物のようにドタバタやっていた彼女とは別人のようだった。
小柄な身体の割に長い腕が、風を抱き寄せるように優しく動き、軽くつまんだ長いスカートの裾を揺らしながら、貝殻のように白い素足がゆっくりとリズムを刻む。
閉じた目が薄く開く度に、盗み見に気づくんじゃないかとハラハラした。
高い位置で結んだ豊かな栗色の髪束が、尾を引く彗星のように彼女の動きを追う。
キリリと青い月明かりの下で踊る彼女は、砂漠で一夜だけ花咲き風に揺れる、白い花のようだった。
「きれいだな……」
思わず小さく呟いてしまった俺の声は、踊りと術に深く入り込んでいる彼女の耳には届かなかない。
不意に首筋にチリチリと静電気のような感覚が走り、それが徐々に肩へと降りてゆく。背中全体がむず痒くなり、少し痛いと感じた時、ガラス窓に映った彼女が、ふうっと息を吐いた。
そろそろ術の完成が近いのだろうと、気を引き締めたその時に、緊迫感の感じられない叫び声が響いた。
「ひゃあぁっっっ!」
振り向くと、自分を抱きしめて蹲っている彼女が、氷が溶けるように、どんどん小さくなって行く。
「魔女殿!」
これは尋常ではないと駆け寄り抱き上げると、涙目で見上げる幼女にぺちっと頬を叩かれた。
「はなちて! しょこ、さわっちゃ、らめ!」
えっ、どこを? と言いかけるが、腕の中には服の山から取り出した、素っ裸の幼女。これが本当に彼女なら、どこもかしこも触っては駄目だろう。
「す、すまない!」
慌てて服の山の中へと戻して、後ろを向く。しばらくすると、身支度を整えたらしい幼女から声をかけられた。ダボダボのシャツを髪紐で結んで着ている、三歳くらいに見える幼女。
『本当に魔女殿なのか?』と聞くと、困った顔をして肯いた。
「ちっぱい、しちゃいまちた。でも、らいじょびれす。なんとか、ちまちゅ」
『失敗しちゃいました。でも、大丈夫です。何とかします』だろうか? 大丈夫な気が全然しない。
『うまく、しゃべれまちぇんね……』と、自分の滑舌の悪さに顔をしかめているが、おもちゃを取り上げられて拗ねている幼女にしか見えない。深刻な事態なのに、微笑ましくて笑ってしまいそうだ。
「とりあえず風が冷たい。中に入ろう」
服の山ごと抱き上げて、ベランダから部屋の中へと戻る。
「魔女殿、説明を求めても良いか?」
姿見を覗き込んで『ほへぇー』などと、場違いに呑気な声を出している幼女の背中に声をかける。
「あい。わたちの、みじゅくなじちゅ、のせいれ、おろろかしぇて、ちゅみまちぇん」
『わたしの未熟な術のせいで、驚かせてすみません』と言っているようだ。
舌ったらずの幼子の声で、大人の言葉を使われると、一瞬、何を言っているのかさっぱりわからない。反芻して、推察して、ようやく意味に行き当たる。
「何が起きたんだ?」
「あなたの、のりょいと、まじゃてちまたみたいれしゅ」
『あなたの呪いと、混ざってしまいまったみたいです』。必死に言葉を紡ぐ様子に、こちらが恐縮する。
「いや、元はと言えば俺の受けた呪いが原因だ。こちらこそ、巻き込んでしまい忝い」
それどころか、生活の全ての面倒を見てもらっている。昼間のことは、ほとんど記憶にないのだが。
そう……。『ほとんど』だ。
実は記憶はないが、真夜中に目覚める度に、彼女の言うところの『シオン』の感情の残滓のようなものを感じる。
『嬉しい』『大好き』だとか『ずっと一緒にいたい』だとか……。
それは純粋で、切なくなるほどに切実な好意だ。穢れとは無縁の幼い少年のものだと言われれば納得しかない。
これがあるせいで俺は記憶がなくとも『昼間は子供の姿で過ごしている』という、荒唐無稽な話を、自分でも驚くほどあっさりと受け入れた。温もりを求めて差し出される幼い手を、彼女が受け止めてギュッと握ってくれていることを知っているからだ。
シオンから渡されるものは、金色に光るトロリとした蜂蜜のように甘い。反芻するだけで幸福感で胸が詰まりそうになる。
暗闇の中で、記憶のない空っぽな俺の頭の中に、それが確かな手触りを持って降り積もってゆくのだ。
こんなの、恋をしない方がどうかしている。
もはや洗脳に近い。ぬくもりに包まれて緩やかに洗脳されてゆく。俺は天使に支配されて、とんでもない悪夢を見ているのかも知れない。
それでもいいと、思ってしまうのは。
俺が他に何ひとつ、持ち合わせていないせいなのだろうか。
今の身体で着られる服を探すという彼女を自室まで連れてゆき、先にキッチンへと降りる。ミルクと湯を沸かし、お茶の準備をしながら待っていると、階段の上から『きししゃま、たしゅけて! おりれにゃい!』と切羽詰まった声がした。
騎士さま? 俺を呼んでいるのか?
見上げると、階段にへばりついて身動き出来なくなっている幼女がいた。
混沌として来ましたねぇ。登場人物、二人だけなのにね!
次話『名前を決めましょう』
視点がルーシアへと戻ります。