9. 恋愛指南【キスマークの付け方】
昼間、大学のある街で、先生は私のお願いを聞いてくれると約束してくれた。
私のお願いはもちろん指南! このチャンスは逃しません!
「変ね。ちっとも跡がつかないわ」
自分の肘の内側にキスマークをつける。これが最初の課題。
私がお願いして始まった指南なのに、ちっとも上手くできない。なんでこんなに難しいの?
「吸い方が足りないんだろう。少し噛んでから吸ってごらん」
様子を見ていた先生が、そうアドバイスしてくれた。やってみたけど、うっすらと赤くなるだけ。鬱血痕には程遠い。
「ダメだわ。こんなんじゃ、全然、情熱が感じられない。愛が足りないと思われちゃう」
「ティナ、愛の行為というのは、人に見せるための技じゃない。完璧を求める必要はないんだよ」
「分かってます。でも、やり方が分からなかったら、したくなってもできないでしょう?」
「まあ、そうだな。だが、拙い技が逆に男を喜ばせることもある。あまりムキになって練習しなくていい」
「そういうものなんですか? 男心って複雑なのね」
「不可解なのは女心だろう。男はもっと単純だよ。どんな印だろうと、愛した女が自分に夢中になって残したものなら、それだけで滾るものなんだ」
「こんな難しいこと、無意識ではできないと思うけど」
「できるできないじゃない。ただ、そうしたくなるんだよ。それが閨の真髄だ」
うーん。分かったような分からないような。
先生に愛してもらえたら、私も思わずキスマークをつけちゃうのかなあ。でも、つかないよね、ちっとも。
「先生、ちょっとお手本を見せて? 実演と実物を見たいの」
キスマークは、お母様とエディスの首筋にチラッと見かけたことがある。
じっくり見ることはさすがに出来なかったけれど、真紅の薔薇の花びらのように鮮やかで、お父様とお兄様の愛の深さを垣間見た。
先生も女性にああいう跡を残すんだろうか。その情の深さの証として。
「仕方ないな、一回だけだぞ」
先生はそういうと、自分のシャツの腕を捲った。え、それは私の意味したこととは違う。
「ダメダメ。見ただけじゃ分からないわ。私の腕につけて!」
そう言って、私が自分の腕を差し出すと、先生は一瞬固まった。
「ティナ、君はいつも大胆だね。オジサンに肌を吸わせる気かい?」
「先生はオジサンじゃなくて、師匠でしょう。指南役なんだから、出し惜しみするのはなし。契約違反よ!」
「まいったな」
そう言いながらも、先生は私の腕をとった。傷一つない滑らかな肌に、一箇所だけ私が自分でつけた跡がピンクになっていた。
自分で頼んでおきながら、先生に腕を触られただけで、体中がカッと熱くなった。その熱で、ピンクの印が少しだけ濃くなった気がする。
「じゃあ、つけるよ。力加減をよく覚えておきなさい」
私の体が火照ったことは言及せず、先生はピンクの印に口をつけた。
「ぅあっ」
間接キスだと思った瞬間、肌に刺した強い痛みに、変な声が出てしまった。
ウソ! こんなに強く吸うの?
先生が吸う場所に全身の血が集まって行くようだった。きっと吸血鬼に血を吸われると、こんな感じなんだと思う。
こんなに淫らな喜びを呼び起こされるなら、乙女も喜んで血を捧げてしまうだろう。
しばらくして、先生の唇が離れたときには、私はすっかり蕩けていた。
先生はそんな私のほうは見ずに、自分がつけた印を検分していた。
「ティナは柔らかいから、綺麗に鬱血痕が付くね。このお手本を参考にして、自分でやってごらん」
私はなぜか猛烈に恥ずかしくなって、先生に顔を見せないようにして、反対側の腕に口をつけた。
実演サンプルで感じてしまったなんて、バレたら恥ずかし過ぎる!
先生ほど強くは吸えなかったけれど、それなりの吸引に痛みを感じる。ただし、先生にしてもらったときのような、湧き上がる快感はない。
「まだまだ、だな」
私がつけた跡は、さっきよりも輪郭がはっきりして、色も濃かった。それなのに、先生はあっさりとダメ出しした。
「え、どうして? 割と上手くできたでしょ? これならキスマークとして十分認識できるわ」
私が反論すると、先生は私の腕を取って、そのキスマークを親指で撫でた。
それだけのことなのに、血が沸騰寸前に!今度も紅色が強くなってしまったので、もう隠しようがない。
「男と女では、肌の弾力が違う。脂肪じゃなくて筋肉となると、ずっと吸い付きにくい。ティナでこの色じゃ、男の肌には付かないよ」
そういうものなの? 男性の体になんて触ったこともない。そんなに硬いんだ?
「じゃあ、先生の腕で試させて! 」
冗談で先生の腕を取って、その鍛えた筋肉に口をつけたとき、先生の体温が明らかに上がったのを感じた。
先生が私に触られて熱くなった! 単なる男の生理現象かもしれないけれど、この熱を逃したくない。
私は先生の腕を噛んで、強く吸った。先生が小さく漏らした呻きを聞いて、体全体が疼く。
先生が好き。先生が好き。先生が好き。
私が与えるものに、先生が反応してくれる。そんなことが、死ぬほど嬉しい。このまま、先生の血を吸い尽くしてしまいたい。
「ティナ、もう十分だ。離しなさい」
しばらくして、吐息を吐き出すように、先生がそう言った。我に返ってそっと口を離すと、先生の浅黒い肌にくっきりと血の色が浮き出ていた。
これは絶対に次第点だと思う!
「先生! 見てください。上手にできたわ! 合格ですか?」
嬉しくなって、私は先生を見上げた。きっと先生も満足してるはず!
それなのに、先生の顔をきちんと見る前に、先生の両手が私の頬を包んだ。そして、あっという間に唇が塞がれた。
息もつけない深く激しいキスに力が抜けてしまう。私は自分の体を支えられなくなり、夢中で先生の首にすがりついた。
それを合図に、先生の唇は私の唇から離れ、そのまま首筋を這っていった。そして、それが鎖骨の辺りに達したとき、鋭い痛みが走った。
その痛みが、一瞬で私を覚醒させた。キスマークだ。先生は私の肌を吸っている!
その事実だけで、私はまた甘い疼きに身悶えた。体が自然に震えて、変な声が出てしまう。
これは何? こんなこと知らない。
未知の体験に覚えた僅かな不安を消したくて、私は先生の頭をかき抱いた。指を先生の髪に差し入れると、指先に触れる地肌に熱を感じる。
もうダメ。私がどこかに行ってしまう! いつまで正気を保てるか分からない。
そう思ったとき、先生は急に私から離れた。
え? なぜやめちゃうの? 気を失ってもいいから、もっと先生に触れて欲しかったのに。
「先生、どうして?」
「君のキスマークは大成功だったよ。思わずつけ返したいという衝動に駆られた」
「それは、ただそうしたくなったってことですか? 愛の行為……」
先生は立ち上がって、私に背を向けた。
「これは講義だ。ただの指南。そこに恋愛感情はない。そういう感情があるなら、師弟関係は崩壊する」
「……はい、すみません。ご指導ありがとうございました」
そう言うしかない。先生は私を好きじゃないし、私は先生を好きなことを隠している。
バレているとは思うけど。でも、そこはハッキリさせちゃいけないところだ。このまま、一緒にいるためには、グレーエリアにしておく必要がある。
「もう遅い。部屋まで送って行こう」
ソファーから私を立たせて、先生は帰るように促した。
今夜も先生を誘惑できなかった。いくら頑張ってみても、ちっとも恋愛エキスパートになんてなれやしない。
「ねえ、先生。先生はどんな女性が好きなんですか?」
「僕は、女性は誰でも好きだよ」
「えっ! じゃあ、来るもの拒まずなの? 私も好き?」
調子に乗ってそう言うと、案の定、ピシャリと否定された。
「ティナはまだ未成年だろう。女性じゃなく女の子だ。僕の守備範囲は十八歳以上だよ。ティナに食指は動かない」
「えー、オジサンは若ければ若いほどいいんじゃないの?」
恋愛対象外と言われた腹いせに、ちょっと嫌味を言ってみた。
「僕はロリコンじゃないよ。処女信仰も持っていない。成熟した女性との気軽な付き合いが好きなんだ」
これは戦力外通告だった。もうため息しか出ない。未成年未経験じゃ、先生に相手にしてもらえないんだ。
「そっか、じゃあ私もちゃっちゃと捨てちゃおうかな。誰か適当に……」
途中まで言いかけたところで、先生に手首をグッと掴まれた。え、何? どうしたの?
「ティナ、自分を安売りするんじゃないぞ。体を許すなら、本当に愛した相手だけにしなさい。君なら必ずそういう相手に巡り会える」
それは先生です。私が本当に愛しているのは、先生なんです。その先生がそんなこと言うのは酷い。
だって、先生は私を愛してくれない。
「先生、痛い!」
私がそう言うと、先生は慌てて手を離した。驚いたことに、私の手首には先生の指の跡がくっきりと残っていた。
「すまない。力を入れすぎたようだ」
先生はそう言うと、私の手首に口づけた。鋭い痛みが走る。
またキスマークをつけるの?どうして? どうして、こんなことするの?
「先生、キスマークってマーキングみたい。なんか俺のものって主張されてる感じ」
こんな風にされたら、期待してしまう。もしかしたら、私にもチャンスがあるかもしれないって。
「君は男を分かっていない。とても危なっかしいから、こうして悪い虫除けをしているんだよ」
動揺する気配さえない。やっぱり気のせい?
先生はドアの前まで送ってくれただけで、寝室の中には入って来なかった。やっぱり今夜も不発に終わったのだ。
ガッカリしたまま、何気なく鏡を見て、私は驚いた。鎖骨だけじゃなくて、首筋にもしっかりと先生が吸った跡が残っていた。こんな目立つところに!
私は赤くなる頬を手で包んで、胸の鼓動が収まるのを待った。
先生に触れられた体が、ものすごく愛しく感じて、私は自分の腕で自分の体をギュッと抱きしめたのだった。