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7. 幼い恋が芽生えたとき

 私が先生を初めて男性として意識したのは、たぶん十歳のときだった。


 遅い初恋かもしれないけれど、歳の近い兄二人と五歳下の双子の弟に挟まれて育った私は、幼い頃は自分も男の子だと思っていた。

 ある程度成長してからは、もちろん自分の性別くらいは承知していたけれど、そうそう態度を改めることもできなかった。


 だって、しょうがないでしょう?誰も女の子扱いしてくれなかったんだもの!


「好き!私を連れて王宮から逃げて!」


 この恋の告白が、私の人生の転機になったと言っても過言じゃない。


 なぜって、これは私がした告白じゃなくて、私がされた告白だったから。そして、私に恋してくれたのは、お兄様の婚約者だった。


 え、逃げるって駆け落ちのこと?


「えーと、エディスはお兄様と結婚するんでしょう?そのために、この国に来たんだし」

「やだ!アルフ様は私のこと嫌いだもの!話しかけても答えてくれないし」


 今なら、あの頃のお兄様の気持ちは分かる!


 お兄様は当時十三歳の思春期真っ只中!他国から来た四歳年下の、金髪縦ロールのふわっふわなお姫様がニコニコ寄ってきたら、そりゃ、戸惑って逃げるでしょ!

 帝王教育で色々と婚姻の実についても学び初めているわけで、多分に照れも入っていたと思うけど。


「でもさ、これは国と国との約束だから。エディスが勝手に逃げちゃったら、その、ちょっとまずいことにならない?」

「だから!クリスと私が一緒になるのよ!私たちがさっさと結婚してしまえば、特に問題ないでしょ?相手が代わるだけで、国と国だって大喜びよ!」


 はい?クリス?えーと、それは私、クリスティナのことでしょうか。え、もしかして、エディスは私を男だと思ってる?


 そう言われてみれば、最近の私はずっと乗馬服ばかり着ていたけど、え、でも、これって女子用だよね?


「あのね、ものすごく申し訳ないんだけど、私はエディスと結婚できないよ。えーと、気がついていないかもしれないけど、私、その、女の子だし……」


 その後は、とにかく大変だった。


 衝撃の事実を知った他国の初心なお姫様は、突然の失恋に大泣きした挙げ句に、自室に籠もってしまった。


 そして、私はお父様に大目玉を食らったのだった。


「大国の第一王女が、男に間違われるとは情けない!乗馬は厳禁だ!これからは王宮で暮らしなさい。王妃の元でみっちり行儀見習いさせる!」


 当時、子どもたちは離宮で暮らして、国王夫妻であるお父様とお母様は王宮で生活していた。

 エディスは王宮でお妃教育を受けていたので、週末だけ離宮に遊びに来ていた。


 家族全員が一緒に離宮で過ごす中、この国に来て間もないエディスは沈みがちだった。

 お兄様は勉強が忙しいと自室に籠もることが多いので、同性で同じ歳のほうが仲良くできるだろうと、彼女の担当になったのが私だった。


 いきなり女の子の遊びをしろと言われても困るので、私はいつもエディスを乗馬に誘った。馬に乗れないエディスを、自分の前に座らせて、一緒に丘陵を駆け抜けた。


 今になって考えてみれば、エディスに惚れられてしまった理由に思い当たることが多い。


 誰も私に「女の子らしくしろ」なんて言わなかったし、ある程度の礼儀を守っていれば、物事は比較的自由だった。


 そんな環境が一変し、いきなり堅苦しい王宮での生活が始まったのだ。


 朝から晩まで、誰かに一挙手一投足をチェックされ、息が詰まるなんてもんじゃない!習い事もうまくできないし、勉強も嫌いだった。


 そんな私が、度々訪れるようになったのが医務室だった。「頭が痛い」って言えば勉強しなくていいし、「お腹が痛い」って言えば習い事もサボれる。


 それに、そこには優しい先生がいて、私を好きだなだけ放っておいてくれた。


「ああ、王女様か。今日はどうしたんだい?」

「うーんと、手かな。手が痛いの」

「うん?それは昨日も言ってたね、同じところ?」

「あ、違うかな。足なの、足が痛いみたい」

「怪我している?」

「えっと、怪我はしてないんだけど」

「じゃあ、どうしたのかな。言ってごらん?」


 どうしよう。もう一通りの場所は診てもらっているし、それでも痛いって言ったら、きっと仮病だってバレてしまう。

 もし、それがお父様やお母様に知れたら、きっとティナはダメな子だってがっかりされてしまう。


 どうしたらいいのか分からなくて、私はその場でボロボロと泣き出してしまった。


「ああ、そうか。王女様の痛いところが分かったよ。こっちへおいで」


 べそべそと泣きながら先生の前に立つと、先生は椅子に座ったままにっこりと笑った。そして、私の胸の真ん中をそっと指差した。


「君が痛いのはここだろう?ここにはね、人間の一番大事なものがあるんだよ」

「……心?」

「そうだよ。君は王妃様に似て賢い子だな」

「うそだわ。私はお母様みたいに優秀じゃないもの」

「優秀?王妃様がそう言ったの?」

「お母様はそんなこと言わないわ。自分は勉強嫌いの落ちこぼれだったって言うの。嘘をつくのよ」

「どうして嘘だと思うんだい?」

「だって、お母様は優しいから。私が落ち込まないように、気を使ってくださってるの」


 私の答えを聞いて、先生はまたにっこり笑った。お母様が見せるような、とても素敵な優しい笑顔だった。


「いいことを教えてあげよう。王妃様は本当に勉強嫌いの落ちこぼれだったよ。僕は彼女の学校の先生だったから、よく知ってるんだ。これは嘘じゃない」

「え、そうなの?嘘じゃないの?本当なの?」

「ああ。でも、彼女はとても賢い子だったよ。君と同じように」

「私、賢くなんか……。お勉強、嫌いだもん」


 先生はそっと私の両手を取った。大きな手はとても温かくて、いつのまにか私の涙は止まっていた。


「王女様は賢いよ。君は優しい嘘があるって知っているじゃないか。だから、王妃様が嘘をついると思ったんだろう。それはね、君が言う『お勉強』では学べないことなんだよ」

「どういうこと?」


 先生は、もう一度、私の胸の真ん中を指差して言った。


「それはね、ここで感じることなんだ。優しい人だけが、人の優しさに気がつくことができる。君は大切なことをちゃんと学んでいるよ。だから、そのままでいいんだ」


 涙が出た。そして、私は声を上げて目一杯泣いた。お母様以外に、初めて私を褒めてくれる人がいた!私が私のままでいいって、言ってくれる人がいた!


 抱きしめてくれる先生の胸は温かくて、頭をなでてくれる手は大きかった。


 たぶん、このときに私は、決定的にこの人に恋をしてしまったんだと思う。


 あれからずっと毎日、私は用もないのに何回も医務室に押しかけている。もちろん、先生に会いに来ているのだけど、最近はそれ以外にも大事な使命がある。


 医務室の前に立つと、案の定、中から女性の声が聞こえる。また今日もか。なんで懲りないんだろう。先生って実はバカなの?学習してないよね。


 私はノックをしようとした手を止め、そのまま胸に当てた。そして、数回大きく深呼吸をする。


 よし、これで大丈夫。誰がいても驚かない。


「先生!胸が痛いんですっ!」


 いつも通りに予告なく医務室のドアを開けると、いつも通りに女性の悲鳴が聞こえた。そして、いつも通りに半裸の女性が逃げ出して、そこにはいつも通りに白衣の下のシャツの前ボタンをはだけさせた先生が座っていた。


「ティナ、また君か。何度、邪魔すれば気が済むんだい?」

「先生こそ、どうして懲りないの?今日のお相手はスカラリー・メイド?キッチンでお皿を洗っている人と、どうやって知り合うんですか?接点、見えない」

「ここは王宮の医務室だからね。病人やけが人は誰でも来れるんだよ」

「今のメイドも患者?」

「欠けた皿で、切ったんだそうだ」

「は?そんなのわざわざ医務室に来なくても、舐めとけば治るでしょう?」

「そうだね。だから舐めてあげていたんだが」

「皿を洗ってて、なんで胸が傷つくのよ? 先生の言い訳は苦しいです! 立場の弱いメイドに手を出すなんて、パワハラでしょう」

「君のせいだろう。邪魔されると分かっていて僕に会いにくる女性は、もうメイドくらいしかいないんだよ」

「それなら、いいかげんに医療室での情事は諦めたら?部屋に呼べばいいじゃない」

「僕は部屋には女性を入れない主義なんだ。知っているだろう」


 不思議なことに、先生は自室に女性を引き入れることはない。少なくとも、私が知る限りでは。


「私のことは、いつも入れてくれるじゃない」

「君は王女だ。僕にとっては主君の娘だよ。丁重におもてなしする必要がある」

「私がパワハラしているって言ってます?」

「そうは言ってないよ。それに、そうやって君がしょっちゅう部屋に来るから、そっちにだってどうせ女性は呼べないだろう」

「女なら私がいるでしょ! 私で我慢してくれればいいのよ」

「君は子供だろう。女性じゃなくて、女の子だ」

「もう十六歳です。立派な大人だわ」

「大人の女性は、ノックもなしに部屋に入ってこないよ」

「あら、先生のお部屋のドアはちゃんとノックしますよ?ここは王宮の医療室。誰でも入れるって、先生が言ったばかりじゃない。公共の場所で、人に見られて困るようなことをしている先生のほうが問題でしょ?」

「大人の女性は、夜に男の部屋を訪ねたりしないものだ。ノックするしないの問題じゃない」

「私は、女性じゃなくて女の子なんでしょう?だから問題ないわ。そういうことなので、今夜も寝る前に遊びに行きますね!少し勉強を見てほしいんです」

「なんの勉強だい?」

「アラブ語と物理です」

「それはまた、突飛な取り合わせだね」

「もうすぐテストなの。先生だけが頼りなんです!」


 私はどさくさに紛れて先生に抱きついて、頬に軽くキスをした。これはもう子供の頃からずっと毎日している習慣。なので、特に誰も驚かないし、先生からもなんの反応もない。


「しょうがないね。じゃあ、いつもの時間においで。それから、陛下たちにはちゃんと断ってくるんだよ」

「ええ、もちろんよ!心配しないで。先生の迷惑にはならないようにします」


 やった!今日も許可をもらえた。よしっ、本日の任務完了。今日も先生から女を遠ざけられたっ!


 ウキウキと診察室を去る私を見ながら、先生がいつもの通りに深い溜息をつく。


 この指南が始まるまで、これが私たちの日課だった。

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[一言]  む~? お母様、わかってて応援してる?
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