6. ライバルはお母様
アズレージョと呼ばれるのは、この国の伝統工芸タイル。蒼の色彩が素晴らしい。
工房では、近郊で採れる「ショコラーテ」という粘土を延ばして切り分け、自然乾燥させたものを素焼きをするところから見ることができた。
焼き上がったタイルにグレースと呼ばれる釉薬をかけて白くしてから、絵付けに入る。カラフルな顔料があるのだけれど、今は東洋陶磁器の影響で蒼一色が好まれているらしい。
そういえば、この店には黄色や緑や赤で描かれたタイルがあるけれど、建造物に使われるのは蒼ばかりだ。
焼き上がるまで数日を要するというので、出来上がったものは届けてもらうことにした。
「綺麗に仕上がるかしら?すごく楽しみだわ!こんな体験、ここに来なかったらできなかった。ジルのおかげね。嬉しい」
裏にこっそり名前を入れた。ジルベルト&クリスティナという文字が並んでいるだけで、本当に夫婦になったみたいにドキドキした。
大はしゃぎしている私を、先生は微笑んだまま黙って見ているだけだった。
先生からすれば、きっと私は何も知らない小娘なんだと思う。それでも、楽しくて楽しくて、冷静なフリをするなんてできない。
「そんなに喜んでもらえるなんて、僕こそ嬉しいね。女性はもっとキラキラした、そうだね、宝石なんかを喜ぶと思っていたよ」
「宝石?あまり興味ないわ。ドレスのときはつけるけど。だって、ないと貧相な胸元が目立っちゃうんだもの。宝石くらい飾ってあげないと、お目汚しだわ」
「それは面白い意見だね。まあ、アクセサリーがなかったら、君の綺麗な鎖骨は男たちの注目の的になるだろうね」
「ええっ!骨と皮なんて見ても、男性は楽しくないでしょ?」
やっぱり、胸が大きいほうがいいに決まってるもの!
真剣に言ったのに、なぜか先生の笑いを取ってしまった。なんでだろう。私、何か見落としたの?
「ティナは、まだまだ男を分かってないね。それに自分のことも。君には飾りなんていらないんだよ。宝石よりも美しいんだからね。そんな君がアクセサリーなんていらない、なんて言ってごらん?世の女性たちから総スカンだ」
先生はそう言うと、人差し指の背で私の鎖骨をスッと撫でた。背筋がゾクッとして、ひゃあっと変な声が出た。
ふ、不意打ちなんて卑怯なり!
「気をつけます。女の敵は女ですものね!でも、お母様はあんなにお綺麗なのに、全然、敵がいないわ。ドレスもアクセサリーもあまり派手なものは好まないし」
「アリシアは昔からそうだったよ。聖女は清貧を旨とするから、もしかしたらその名残かもしれないね」
アリシア。先生はお母様をそう呼んでたんだ。
お母様が先生と出会ったのは学園で、十六歳のときだ。今の私とちょうど同じ年齢。先生は二十歳そこそこだ。
「先生は本当に優秀だったのね。お母様が聖女だったのは十七歳までだから、その頃はまだやっと二十代でしょう?それなのに、もうお医者さんとして養護教諭になるなんて」
「あれは、どちらかというと厄介払いだったんだよ。学園では大きな症例は出ないし、上も目指す人間には退屈な職場だろう。まだ研修医だったから、もっと病院で実地を学ぶべきだった」
「先生は才能を妬まれたのね。いつの時代も、能力のない人間のすることは同じだわ。身分とか財産を使って、自分の劣等感を隠そうとするのよ。そんなの意味ないのに。志ある人ならどこにいても学べるわ。先生みたいにね」
先生は、私をじっと見つめてから、しみじみとこう言った。
「君には、驚かされることばかりだな。見た目は母上に生き写しなのに、中身は全く違う。僕がアリシアに初めて会ったのは、彼女がちょうど君の年齢だったんだよ」
「聞いてます。先生から色々学んだって」
「どうだろうね。彼女は僕がいるときには診療室には来たがらなかったけれど。ただ、人を救うということに関しては、とても熱心に学んでいたよ。僕のことも医学雑誌に載った論文で知っていたそうだ」
「お母様が? 十六歳で医学論文を読んでいたんですか?」
知らなかった。お母様はあまり勉強が好きじゃないって言っていたし、実際に学園では赤点ギリギリだったって聞いていた。それなのに、そんな難しそうなことに興味を持っていたんだ。
「神殿には、奇跡と魔法と医学の最先端技術が集められていたからね。学園に入る前から、ずいぶんと努力していたんじゃないかな。じゃなければ、大聖女になんてなれないだろう。力を正しく行使するためには、あらゆる角度から病状を知らなくてはいけないからね」
「そうだったんですね。お母様ってやっぱりすごい」
大聖女というのは、優しいお母様の天職だったのかもしれない。人を救う仕事。先生と同じ。
「僕も驚いたよ。初めて会った歳下の女の子から、最新号に載った僕の論文は秀逸でしたって言われたんだからね。教授レベルが読むものなのに」
「お母様のことだから、きっと素直に感じたことをそのまま言っちゃった気がする」
「そうだろうな。だから、僕を雇うなんて、学園はよほどお金と権威があるんですねって言ったんだ。彼女は、物事に裏表があるなんて思いもしなかったんだろう」
そうかもしれない。お母様は心がとても綺麗な人だ。神獣もその清浄な魂を愛でたと語り伝えられるくらいの。
「先生は……、それで、お母様を好きになっちゃったんですか?」
「そうだね。僕もまだ若かったから。ドロドロした汚い世界で足を掬われて、正直腐っていたときだった。ああいう純粋な言葉には、とても惹かれるものがあったね。救われたよ」
先生は否定しなかった。お母様を好きだと認めた。薄々、気がついてはいた。先生が好きなのはお母様だと。
そして、私はお母様と全く違うと、今、先生にハッキリと釘を刺されてしまった。
「お母様が羨ましいな。私もお母様みたいだったら」
先生に愛してもらえるのに。
その最後の部分は、口に出さずに心に留めた。言ったところで、先生を困らせるだけだから。
「君は誰も羨む必要はないよ。その聡明さは、王妃とは違う魅力だ。君は賢いだけじゃなくて、強くて逞しい」
「それって結構、微妙な励まし……」
強くて逞しい女なんて、全然可愛くない。守ってあげたい系のお母様には、到底勝てっこない。
「ごめんごめん。気に触ったかな。でも、本当のことなんだよ。共に手を携えて人生を歩みたいと思える女性は貴重なんだ。君はいい伴侶になる。本当に、こんな指南なんて必要ないんだよ」
先生はいつも最後には、この結論に行き着く。もうこんな役目は辞めたいって言われているみたいで、苦しくなる。
ちっとも先生を振り向かせられないのに、どうして私に恋愛指南が不要だなんて思うんだろう。
「まだ指南は始まったばかりだし、もうちょっと教えてくれてもいいでしょ? ごめんなんて言って、本当に悪いと思うなら、私のお願いに応えて欲しいな」
私はできるだけ軽く聞こえるように、細心の注意を払ってそう言い、先生の腕を取った。
「しょうがないな。何を知りたいんだい?」
「今は内緒です! それは二人っきりのときに。あ、あれは門ですか?」
私はわざとらしく話題を逸らした。
ちょうど狭い道にアーチ型の門がかかっていたので、そっちに興味を引かれたフリをする。そして、先生の腕をどんどん引いて坂道を上がって行った。
大学は坂道の先の石段を上がった、更に上にあった。
最初に見えたのは神殿で、屋根の部分に珍しい凹凸がある。先生から、元は要塞だったから弓や銃口を充てがうための設計だと聞いて、納得した。
大学はそのすぐ先にあって、黒いマントを着た学生がたくさんいる。どうしてか分からないけれど、ジロジロ見られている気がする。
「みな若いな。ティナが気になるみたいだ。希少な女学生候補かもしれないと、胸を踊らせてるんじゃないかな。あわよくば恋人になりたいと」
「まさか! そんな熱っぽい感じはしないわ」
「それは僕のせいだよ。男は動物だからね、威嚇されているのは分かるものさ」
「ジルが? 男子が近づけないように牽制してくれてるの? 僕の女だって感じに?」
私がウキウキとそう言うと、先生は苦笑いをした。あ、女と言うか、今は妻な設定だったっけ。
「女というより、娘だと思われているだろうな。まあ、大差はないけれど」
それは心外だ。私は娘じゃない! そっか、腕を組んでいるからそう見えるのかも。
私は絡めていた腕を解いて、先生の手を握った。指を絡める恋人繋ぎ。そして、その繋いだ手が目立つように、あまり豊かじゃない胸の谷間辺りに持ってきて、もう片方の手で上から抱きしめるように押さえた。
どうだ! これなら父娘には見えないはず。
狙い通り、男子学生は顔を赤らめて目を逸らし、足早に去っていく。
「ティナは大胆だな。おかげで警戒する必要がなくなったよ。ありがとう」
「ふふふ。お礼なら後で要求するから。それより、ちょっと大学の中が見たいわ」
建物の中は無理だけれど、校舎の外から見るなら問題ないらしい。
時計塔がある旧校舎も図書館も、重厚なのに繊細な細工が施された、美しい建造物だった。
その前にある広場は、丘の上から街を見下ろせるよう開けていた。ここも白壁とオレンジの屋根が美しい。下方に流れる川と対岸の緑も。
「先生は私くらいの頃、ここで学んでいたんですね」
「そうだね。四半世紀も前か。もう歳だな」
「そういうことは言わないでいいの! 何年前だろうと、ジルの母校に連れて来てもらえて、私はすごく嬉しいんだから」
「そう言えば、ここに女性を連れてきたことはないなあ」
「ひどい! そばに可愛い妻がいるのに、他の女性のこと思い出すなんて」
「ああ、そうだね。悪かった。お詫びに美味しいものを食べに行こうか」
「しょうがないわね。それで誤魔化されてあげる」
この街の名物料理は、シャンファーナという子ヤギ肉と香草のワイン煮込みと、子豚の丸焼きを切り分けたものだった。どちらもとても美味しくて、私はたくさん食べた。
「ティナはよく食べてくれるから、一緒に食事をするのが楽しいね」
先生がそう言ってくれたので、私はつい食べ過ぎてしまった。そして、満腹だったせいか、帰宅する馬車で爆睡してしまったのだ。しかも、先生の膝枕で!
これじゃ、男女あべこべだ。普通は私が先生に膝を貸してあげるべきなのに。
ちょっと凹んだけど、そうも言ってられない。せっかく言質を取ったんだから、今夜こそ指南してもらわなくちゃ!
そうして、入浴を済ませて身支度を整えた私は、期待に胸を膨らませて、先生のいる隣室のドアをノックしたのだった。
<モデルとなった場所>
国:ポルトガル
都市:コインブラ
場所:アルカソバの丘
大学:コインブラ大学