3. 恋愛指南【デート】
すごく温かくて、いい匂いがする。ふかふかの寝具の中で、私は気持ちよく目覚めた。ぐっすり熟睡した気がする。
「おはよう。よく眠れたようだね」
耳元に先生の声が聞こえて、私は飛び起きた。
は?え?何?何がどうなってるんだっけ?確か昨日は王都を出発して、それで、えーと、馬車の中で……。
昨日の自分の痴態を思い出して、体中の血が頭に上ってきた気がした。
あんなの、私じゃない!あんな反応もあんな声も、全部知らない!しかも、途中から記憶もない。
もしかして、もしかして、私、あのまま先生と、その、して……しまったの?
着替えた覚えはないのに、きちんと寝間着を着ている。もちろん、下着も着けているけれど、新品の見たことがないものだ。
え、やっぱり、これはそういうことなんだろうか?経験がないので、全く分からない!
したの?してないの?
「着替えないと、気持ち悪いと思ってね」
「先生、あの、見たんですか。私の……」
「どうだろう? 馬車の中は暗かったし、ここに着いたときは夜だったしね。メイドにお願いしてもよかったんだけれど、そっちのほうが恥ずかしいだろう?」
どういうこと?意味が分からない!
えーと、その前にもっと重要なことがあるでしょ。どうして同じベッドに先生が?
「あの、昨夜は何があったんでしょうか?なんで私たち、一緒に寝てたんですか?その、まさかと思うけれど……」
「君は馬車で寝てしまってね。夜遅くにここに着いたんだが、君が起きなかったので、僕が部屋まで運んだんだよ」
「先生、聞きたいのはその先です!何かありましたか?その、大人になっちゃったとか、そういう感じの?」
先生はちょっと意表を突かれたような顔をしたけど、すぐに破顔一笑。
ああ、寝起きだというのに、壮絶美形の色気がすごい。どうして、何も覚えてないのよ、私!
「僕たちは新婚ということになっているからね。部屋は一緒に使うんだよ。向こうの予備の部屋で寝ようと思ったんだが、君が寝ぼけて離してくれなくて」
先生が指さしたところを見ると、私の手が先生のシャツをがっちりと握っていた。
わっ!私が先生を襲っちゃったってこと?どうしよう、これは責任問題?セクハラ…というか、立場的にはパワハラ?
「先生、ごめんなさいっ!この責任は、きっちり取りますから!わ、私と結婚してくださいっ!」
私の求婚に、先生はなぜか大爆笑した。
え、なぜ?なぜ笑う?
訝しがる私の頭を、先生がポンポンとたたいた。
「君が責任をとらなきゃいけないようなことは、何もないよ。僕の貞操は守られている。もちろん君の純潔もね」
「それは……、私達はまだ?」
「していたらわかるはずだよ。大丈夫、意識のない女性を襲ったりはしない」
そ、そうなのか。えーと、そうなのか?
先生がそう言うのなら、そうなんだと思うけど。なんといっても、経験がないので、どこからどこまでが何の行為なのかも分からない。
「そうですか。すみません、よく分からなくて。あの、私ばっかりいい思いをしてしまって、ごめんなさい。色々とありがとうございました」
そう言って、ベッドに手をついてお礼を言ってから見上げると、先生は私をまじまじと見つめていた。
え、なんか変なのかな?だって、馬車の中でもこの屋敷でも、先生にしてもらうばっかりで、私は何もしていない。弟子としては受け身すぎる!
「ティナのその純粋さは、ある意味で無敵だな。何度も言うけれど、本当に指南なんていらないんだよ。やめたくなったら、いつでも言いなさい」
先生は真顔でそう言うと、メイドを呼ぶためのベルを鳴らしてから、バスルームと思われる部屋に消えてしまった。中から水音がするので、シャワーを浴びているんだろう。
すぐに女中頭と思われる年配の女性が来て、私の身支度を手伝ってくれた。部屋に隣接した場所に大きなお風呂場があって、私はそこでお風呂に入れてもらったのだ。
今朝は肌がつやつやとしていて、自分でみてもびっくりするほど輝いていた。睡眠をたっぷりとったからかもしれない。
「今日は、街を見てみようか。ここには、たくさんのワイナリーがあるんだよ。さすがに未成年の君には飲ませられないけれど、人が集まる場所だからね。いろいろなお店もあるし、珍しいものも見れるだろう」
「嬉しい! 私、観光って初めてなの!あ、でも、そんな時間ある?昨日してもらった指南、復習しておいたほうが……」
「昨日のことなら、もうティナは合格だよ。君の反応は、男を十分に満足させる。復習は必要ない。それより、デートというのは、恋愛の基本中の基本だろう?」
「え、テート?デートなんですか?うそっ!嬉しい!でも、デートなんてしたことないの。どうしたらいいか、教えてもらっていい?」
「デートまで指南かい?ティナが楽しければいいだけだよ。女性が楽しめないのは、男の責任だ。そんなことは気にしなくていい」
先生はそう言うけれど、うまくデートができなかったら、つまらない女だと思われちゃう。
私は先生と出かけられるなら、いつでもどこでも楽しいって自信あるけど、先生はそうじゃないでしょう? 先生の様子が気になっちゃって、楽しむどころじゃないかもしれない。
そんな心配も不安も、外に出た瞬間にどこかに吹き飛んでしまった。
川岸にあるワイナリーからのポートワイン積出港として栄える街は、絵本の中の景色のように可愛らしかった。
川の両側の傾斜がある土地には、白壁にオレンジの屋根の家々がびっしりと立ち並んでいる。路地ではベランダに洗濯物が干してあったり、裸足の子どもたちが走り回ったりしていて、庶民の生活を垣間見ることができた。
「素敵!可愛い!こんな街があるなんて。世界には、本当に知らないことがいっぱいなのね。国に籠もっているなんて、もったいないわ」
見るものすべてが珍しくて、私は興奮しっぱなしだった。顔が自然と上気してしまう。
お酒に酔うってこんな感じ?なんとなく、街全体にポートワインの甘い香りが漂っているような気がする。
「あそこに浮かんでいる船が見えるだろう。あの樽の中にワインが入っているんだよ。樽は何度も使い回すから、どうしても香りがついてしまう。でも、それがさらにワインの風味を増すんだよ」
市街地をのんびりと散歩した後、私たちは港がある川岸まで下ってきていた。
対岸のワイナリーの前には、黒塗りの小さな船がたくさん停泊していた。どの船も樽がたくさん積んである。あれでワインが運ばれるんだ。
こちらの川沿いには、可愛いカフェやおしゃれなレストランがあって、美味しそうな匂いが漂っている。
お店の前の石畳にもテーブルが出ていて、テラス席のようになっていた。大きな白い傘で日除けがしてあるから、暑い日でもゆっくりできそうだ。
「せっかくだから、名物料理を食べようか。タコが有名なんだよ。米と炊き込んだのもいいし、衣をつけて揚げたものも美味しい。ここでは魚介類を食べるべきだね」
「そうなの?食べたい!そうか。ここは河口だし、この国は西側はみんな海だものね。新鮮な魚介類が手に入るんだ!」
先生はメニューを見て、この国の言葉で注文をしてくれた。
地続きなだけあって、この国の言葉は話せないけれど理解はできる。先生は今日のオススメや市場の様子なんかを聞いている。
聞き違いじゃなかったら、私のためにここで一番美味しいものを出してくれって言ったと思う。すごく嬉しい!
そうして、出てきた料理に私たちは舌鼓を打った。
「美味しい!タコがぷりぷりなのに柔らかいの!トマトベースのスープにお米が合うわ!」
「タコの墨を使った黒い炊き込みご飯もあるんだよ。でも、初めてならこっちのほうがいいだろう。ほら、こっちはイワシの塩焼きだ。素朴な料理だけど、鮮度がいいから美味しいよ」
先生が取り分けてくれる料理を、私は遠慮なく食べた。周囲を見た感じだと、ここではお上品を気取るべきじゃなさそうだ。先生の前でガサツに振る舞うのはナンだけど、変にカッコつけたら目立ってしまう。
それに、マナーなんて気にならないほど、ここの料理は美味しかった。
「すごく美味しいわ。この国の料理、私、大好き!毎日食べたいくらい。もう、ここに移住してもいいわ!」
「そんなに気に入ってくれるなんて嬉しいよ。連れてきた甲斐があるな」
先生は嬉しそうにニコニコ笑って、自分もたくさん食べていた。先生が美味しそうに食べているのを見ると、私もすごく嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
「先生、あの……」
私がそう言いかけると、先生が人差し指を唇の前に立てて、「シーッ」と小さく言った。
「ここでは夫婦だよ。僕のことはジルベルト、そうだね、ジルって呼んでくれ」
「え、それは無理だと思います。だって、その……」
「これは指南の一貫だよ。指導に従わない子は即帰国だな」
「う。卑怯な。じゃあ、ジ、ジル?」
「うん?」
先生はさっきよりもっと嬉しそうに笑ってくれて、私もすごく嬉しくなった。
こんな笑顔が見れるなんて、ここにきて本当によかった!
「ありがとう。すごく楽しいです!えーと、デートは大成功っ」
私はそう言って、自分の顔の両脇に親指と人差し指で丸を作った。先生はそれを見て、ちょっと目を見開いた。
あ、やば。これはちょっと馬鹿っぽかったかな?
そう思ったとき、先生の指がすっと私の顎に伸びた。先生の顔が近づいてくる。
え、これはキ、キス……じゃないよね?こんな公衆の面前で、そんなことしないよね?
焦って歯を食いしばってしまったせいなのか、先生が口づけてくれたときに、歯がカチっとあたってしまった。わ、これ失敗だ。
「先……、ジ、ジル、ごめんなさいっ。う、うまくできなくて」
「いや、まだ指南していなかったんだ。僕こそ悪かったね。ティナがあんまり可愛いから」
可愛い?私が可愛いから、思わずキスしちゃったって言ったの?え、そういう意味?
なんで?どこが?どこが良かったの?私、今、何したっけ?え、さっきのポーズが先生の萌えポイント?
「午後はワイナリーを見に行こうか。興味深いと思うよ」
先生はそう言うと、お店の人に合図をしてお金を払った。
お店の人にも周りのお客さんにも、さっきのキスを見られていると思うと、体中が火照ってしまう。きっと真っ赤になっていると思うから、顔を上げることもできない。
「可愛らしい奥様ですね」
「ええ、若い妻をもらって自慢でね」
先生がそう言うのが聞こえた。どうしよう、設定だと分かっているけど、ドキドキが止まらない。
「さあ、もう出ようか。行くよ、奥さん」
そういって先生が私の手を握ってくれたとき、私の心臓はもう爆発寸前だった。息が苦しい。
私、この国から生きて帰れるかな。そのとき、本気でそう思ってしまった。
《イラスト:一本梅のの》
<モデルとなった場所>
国:ポルトガル
都市:ポルト
レストラン:リベイラ地区