2. 恋愛指南【初めての一歩】
私たちの目的地は先生の故郷。首都に次ぐ、隣国第二の都市で、ワインの輸出で有名な港がある。美しい街並みで観光客に人気だ。
色々と名所もあるし、食べ物も美味しい。物価も比較的安価だということで、貴族だけじゃなくて、平民の新婚旅行先にも選ばれるらしい。
だから、私たちも新婚夫婦という設定。
貴族には年齢差婚はそれほど珍しくないから、私たちが一緒にいても目立たないというわけだ。
屋敷の中だけじゃなくて、外でも堂々とベタベタしている人たちを見慣れているから、私たちがどこでイチャイチャしても気にする人はいない。
そんな場所への初めての旅にワクワクする私とは対象的に、先生は特にいつもと変わらず。それでも、なんとなく馬車の外を眺める時間が長い。
せっかく、こんな密室にいるんだから、もう指南を始めてもらってもいいんだけど。
「先生、あの、これは期間限定ですよね?時間がもったいないので、もう指南をしてもらってもいい?」
お母様が手配してくれた、転地療法という名の『閨房指南期間』は十日。お父様が国を離れている間だけという約束だ。
王都から移動にまる一日かかってしまうので、実質は1週間くらい。その間に、私は男を虜にする技術を習得しなくてはいけない。時間を無駄にしている場合じゃない。
「こんな狭い馬車の中で、一体何をしたいんだい?」
「え、だから、み、密室でできることとか」
「うん?どういうことを想像しているのかな。言ってごらん」
私が言うの?えっと、馬車の中は横になるには狭いけど、動けないほどじゃないから、なんでもできると言える。
でも、いきなり高度なことは無理!どうしよう。自分から言い出したんだから、何か言わないと。
本や話でしか聞いたことのないアレコレを想像して、私が顔を真っ赤にしてパニックになっているのを見て、先生は声を出して笑った。
え、なんで?失礼な!
「ごめんごめん。ティナがあんまり面白い顔をしているから。何を考えてるかだいたい分かったよ。ずいぶん頑張ったね」
「は?え?面白いって。ひどっ!からかったのね!」
エッチなことを考えていたのを見透かされたのが恥ずかしくて、私は向かいに座る先生の胸をポカポカと叩いた。
先生は顔の前に両手を上げて、ごめんごめんと言いながら私の攻撃を防ぐような格好をしていたけれど、顔はまだ笑っていた。
「じゃあ、ティナの期待に応えようか。おいで」
先生はそう言うと、私の手首を掴んで自分のほうにぐいっと引いた。いきなりだったので、あっという間に先生の膝の上に腰掛けてしまった。
うわっ、これは、こ!れ!は!アレなのかな、アレ。えーと、お触り?後ろから、あちこち触られちゃうやつ。
え、えーと、そういう場合は私はどうすれば?あ、そうか、そこを指南してもらうんだった。
「先生、これはあの、私どうしたらいい? 反応の仕方が分からないんですけど……。ご、ご指導お願いしますっ」
先生の両手が置かれているお腹の辺りが熱い。やだ、なんか変な汗が出てきたかも。
まずいっ!汗臭くなっちゃったらヤダ。香水!香水はどこだっけ?
「うーん。ティナがこんなにガチガチだと、はっきり言って手が出せないね。そんなに真面目に構えられると、こっちも緊張するよ。まあ、こういう初心な反応というのも可愛くて、意外と男ウケはいいんだよ。何もしなくていいから、そのまま座っていなさい」
先生はそういうと、右手だけをお腹から下のほうに滑らせた。え?何?いきなりソコ?嘘でしょ?え、え、え、ええええええ!
大パニックで沸騰したように真っ赤になった頬に、先生の吐息がかかる。ぎゃああああ!
私の期待とは裏腹に、先生の右手の行き先は私の想像していた場所から逸れて、拳を握ったままの私の右手の上に置かれた。
「そんなにガッチリ握ると、爪の跡がついてしまうよ。手をゆっくり開いてごらん。大丈夫。何もしないから緊張しなくていい。深呼吸して」
私は大きく息を吸って吐いた。何回か繰り返すと、少し落ちついた気がした。
そして、言われた通りにゆっくりと拳を開くと、手のひらにがっつりと爪痕が付いていた。しっかり赤くなっている。
「本当だわ。力入ってた」
「だろう?こんなきれいな手を傷つけちゃだめだよ」
先生の両手が私の両手を包んだ。親指で手のひらについた跡を消すように、押すように撫でてくれる。
なんというか、これはこれでちょっと、いや、かなり恥ずかしい。体が火がつくみたいに熱くなった。
そんな私の熱は伝わっているはずなのに、先生は特に気にした風もなく、そのままマッサージを続けている。
「手のひらには、いろいろなツボがあるんだ。東洋医学は馬鹿にできないんだよ。リラックスできるから、もう少し続けるよ。ほら、窓の外を見てごらん。もう北の景色だ」
王都からすいぶんと北上した。広いこの国は北と南では気候が違う。北は雨が多くなるので、緑が濃くて土も黒っぽい。水が潤沢だと自然も潤う。
「本当だ!気が付かなかった。風光明媚ってこういうのを言うのね!」
「田舎だろう?西に向かって国境を超えれば、僕の生まれ故郷に向かう。甘いワインを作っている街だよ」
「お母様が好きなポートワインでしょう?よく食後にチーズと一緒にいただいてました」
「へえ、それは嬉しいな。デザートワインとしても美味しいけれど、アルコール度数が高いからね。あまりたくさん飲んではいけないよ」
「そうなんだ!飲んでみたいわ。先生のお家はワイナリーなんですか?」
「いや、そんな立派な家じゃないよ。僕の両親は小さな船を持っていてね。川を使ってワイン樽を運ぶ仕事をしていたんだよ」
「船頭さんってことですね?それなのに、どうして先生はお医者さんに?」
「僕は次男だし、家業は兄が継ぐからね。自分で稼がなくちゃいけないからって、学校に通わせてもらえたんだよ」
「そこで医者の使命に目覚めた!」
「ははは。そんな大げさなことじゃないよ。他にできることがなかったんだ。でも、医者になれば家族が病気になっても診てあげられるし、お金もたくさん貰えるだろう。学校まで行かせてもらったんだから、何か家族の役に立てる仕事がいいと思ってね」
「謙遜ですね。先生はとても優秀だったって聞いてます。奨学金で王立医学院に留学されたって。王都で名を上げたい貴族が、こぞって猶子を申し出たんでしょう?」
「誰からそんな話を聞いてくるんだ。まったく、困った子だな」
「先生のこと、もっと知りたかったから。だって、先生は教えてくれないでしょう?」
私がそう言うと、先生はそこで黙ってしまった。
どうしよう。やっぱりアレコレ詮索されて嫌だったのかな。そう考えると、なんか熱烈ファンを通り越して、ストーカーな気もする。
「ティナは、僕の何が知りたいんだい?君が思っているほど、僕は面白い男じゃないよ。平凡な成り上がりだ。誇れるようなものはない」
「そんなわけないじゃないですか!自分の力で成功しているのに。そんなこと言われたら、私なんて誇れるどころか恥じるところしかないわ。たまたま王家に生まれてただけで、なんの才能もないんだもの。退屈な人間よ」
「本気で言ってるのかい?高貴な身分と絶世の美貌を持っているのに。そんなことを言うと、世の女性陣にかなり反感を買うんじゃないかな」
「だって、本当のことでしょう?生まれつきのものなんて、ただの運よ。頑張っても勉強は好きになれないし、運動もイマイチだわ」
「ティナにはいいところがいっぱいあるよ。学園でもモテるだろう」
「そんなこと言ってくれるのは、お母様と先生だけよ。他は身分と容姿に惹かれているだけで、別に私じゃなくてもいいの。だから、私の利用価値なんて政略結婚だけなの。恋愛なんてできないわ!」
「君の両親も政略結婚だったよ。でも、熱烈に愛し合っているだろう。君はそのままでいいんだよ。変に構える必要はない。ありのままの君を、夫となるものは愛しむはずだ」
「そうかしら?全く自信ないわ。だって、誰かに私自身を好かれた経験ないんだもの。先生みたいに、実力でモテる人には分からないわ!」
私がそう言うと、先生は声を出して笑った。
膝に座っているから、顔を見るためには振り返る必要がある。そっと横を向くと、先生は顔を伏せるようにして、私の肩に額をのせた。
「ティナの理論なら、僕もモテない部類だな。僕に寄ってくるのは、僕の容姿か職業か、体が目当てだね」
「それは先生が、自分のいいところを隠しているからでしょう?本当はすごく優しくて、人をよく見てくれるし、相手の気持ちになって考えているのに。自分は人からは踏み込まれないように、心に壁を作っているじゃない!それじゃあ、誤解されちゃうわ。他人に興味ないって思われて当然よ。愛されないのは先生自身のせいだわ」
私の言葉を聞いて、先生はまた黙ってしまった。
まずい。年下の私が偉そうに上から目線だった?先生にお説教するとか、どんな小娘だ。
「先生、ごめんなさい。言い過ぎました」
「いや、いいんだよ。言っただろう、ティナはそのままでいいんだ。今、一瞬グラっときたよ。男はそういう『自分を理解する女性』に弱いんだよ。それがおめでたい錯覚だとしてもね。恋愛のきっかけとしては上出来だ」
「え!本当に?私のこと好きになれそうだった?」
「ああ、危なかったな。だから言ったろう。君には指南なんて必要ないんだよ。今からでも王都に戻って、王妃様にそう言おう」
私は慌てて先生の手を取って、そのまま自分の体を抱きしめた。こうすると、先生から抱きしめられている気がする。
どさくさまぎれだけど、先生の温もりに包まれて、ものすごくドキドキする。
「それはダメ。だって、まだ何も教えてもらってないもの。ちょっと男の気をひけるくらいじゃなくて、がっつり愛されるくらいの技を習わないうちは帰れないわ。ね、ちゃんと教えて?」
先生の頭に自分を頭をちょっともたれさせて、私は甘えたような声を出した。
先生は割と私の我儘に弱い。なんだかんだ言って、結局は私の望みを叶えてくれる。
「確かに君は、男のことを分かっていないようだ。少し指南が必要だな」
先生は深いため息をついてから、馬車のブラインドを下げた。暗くなっただけで、その場の雰囲気が一変して、私は思わず身を強張らせた。
「え、先生、あの……」
「力を抜きなさい。声は我慢して」
耳元でささやく先生の声に、体がビクッと反応してしまった。ものすごく恥ずかしい!
そうして、そのまま私は、目的地につくまで先生の指南を受けることになったのだった。