13. ニコライ伯父様の死
あの日、いつものように私が医務室でぼんやりしていると、アルフォンソお兄様が飛び込んで来た。
「先生! 母上が!すぐに来てくださいっ」
え、お母様? どうしたの? 何があったの?
「アルフ、落ち着きなさい。王妃がどうしたんだ? 」
「すみません、気が動転してしまって。帝国のアレクセイから火急の知らせが来たんです。ニコライ伯父様が危篤だと」
「そのことか。僕のところにも、ついさっき連絡が来た。それで王妃は?」
「今すぐに帝国へ行くと。取り乱していて、誰も手がつけられないんです」
「カルロス国王陛下は? 」
「父上は重臣たちと協議中です。アレクセイは若いし、帝位を継いだばかり。後ろ盾になっている伯父様に何かあれば、帝位を狙う者たちに襲われる危険があると。父上の援護が必要なんです」
「分かった、すぐに王妃のところに連れて行ってくれ」
「お兄様、私も行くわ!」
「ティナ、頼む。今はサラ殿がついているんだが、母上は半狂乱だ。助けてくれ」
お母様の部屋に近づくと、悲鳴のような声が聞こえた。
「離してっ! 行かせて!今なら助けられるのよっ! お兄様が死んでしまう!」
サラさんと侍女たちがお母様を取り囲んで、必死に足止めをしていた。私たちが部屋に入ったのを見ると、侍女たちはお母様から離れて脇に控えた。
「先生っ! お兄様には聖女の癒しが効くわ。知ってるでしょう? どんな病気も怪我も治せるのよ。きっと救えるわ。今すぐ行けば間に合うのっ」
お母様は先生に駆け寄って、その腕にすがった。先生はお母様の腕を掴んで、静かに言った。
「今は妊娠初期だ。長時間の馬車移動は、母子ともに危険だよ」
「大丈夫よ、聖獣がいるわ! 森に行けば、きっと力を貸してくれる」
「覚えてないのか? アルフォンソ様のときに無理をした君を、ニコライ殿がどれだけ怒ったか。彼と約束しただろう。もう絶対にあんな無茶はしないと」
「もちろん覚えてるわ! でも、今回はお兄様の命に関わるのよ。早くしないと」
お母様の目には、アルフォンソ兄様も私も映っていないようだった。今のお母様は、いつもの冷静なお母様じゃないんだ。
「無理だ。分かっているだろう。今の君には、あの頃のような力はない。命の対価には、もうなれないんだよ」
「そんなこと。やってみなくちゃ分からないわ! お兄様を救えるなら、なんだって」
「バカなことを言うんじゃない! それがニコライ殿の望みだと思うのか? 君は誰より彼のことを知っているだろう! 君がそんなことをしたら、彼がどれほど苦しむか」
お母様は先生の言葉を聞いて、ほんの少しだけ正気を取り戻したように見えた。
それなのに、無情にもその静寂はすぐに破られた。お父様から急ぎの伝言がもたらされたから。
「国王陛下より伝言でございます。ニコライ殿下、病によりご逝去。アレクセイ陛下はご無事でございます」
その報告を聞いて、お母様は片手だけ先生の腕を掴んだまま、その場にへなへなと座り込んでしまった。まるで魂が抜けてしまったかのように。
「お母様、少し休みましょう」
私がそう言って手を貸すと、お母様はなんとか立ち上がって、フラフラとドアに向かって歩き出した。
「母上、大丈夫ですか?」
お兄様がそう聞いたのに、お母様の耳には届いていないようだった。
「ニコ兄に会いに行かなくちゃ。きっと何かの間違いだわ。だって、話したいことがまだたくさんあるのよ。聞きたいことも。もう会えないなんて、そんなの嫌よ」
「ダメだ。今は休むんだ! 」
先生の手がお母様の腕を掴んだ。お母様さまはその手を振りほどいたかと思うと、全身から銀色の光を溢れさせた。
これが大聖女の癒し? 話には聞いてはいたけれど、実際に見たのは初めてだった。これが稀代の聖女と呼ばれたお母様の力。
「無理をするんじゃない! 遠隔治療をするだけの力は、君にはもう残っていない。命を削るだけだ!」
銀色の光に包まれたお母様を、先生が背中から抱きしめた。
「お願いよ。まだ届くかもしれない。治せるかもしれない。ニコ兄を呼び戻せるかもしれない!」
「もう遅いんだ! ニコライ殿は逝ったんだよ。蘇生は不可能だ。それは神の領域だ。人間にはできない」
先生に抱きしめられたまま、お母様はニコライ伯父様の名を呼び続けていた。銀色の光は徐々に弱まり、やがて消えてしまった。
「アルフ、陛下にできるだけ早く戻るようお願いしてくれ。サラは医務室から鎮静剤を持ってきて。ティナは侍女たちに指示を。陛下が来たら、すぐに休めるように」
私たちは先生の言葉に従って、それぞれの役目を果たすために動いた。
先生に抱きすくめられたまま、泣き続けるお母様を見て、自分の心が微妙に揺れるのが分かる。
こんなときに嫉妬するなんて、私って酷い娘だと思う。でも、気持ちが勝手に黒い方へ動いてしまう。
すぐにお父様が駆けつけて、お母様を抱きかかえるようにして寝室に入った。サラさんから鎮静剤を受け取ると、先生も二人の後を追って中に入っていった。
サラさんと私は次の間で控えて、お父様たちが出てくるのを待つことにした。
「サラさんは、お父様やお母様と長い付き合いですよね」
「ええ。初めて会ったのは学園よ。先輩後輩の間柄だったの。今の王女様と、同じ年齢ね」
「そのとき、先生は……」
「ああ、そうね。先生は養護教諭をされていたの。最年少で医師免許を取得されてね。まだ駆け出しの医師だったけれど、大人の魅力ですごく人気があったわ」
サラさんは確か今、三十六歳。先生の五歳下だ。私が生まれる前から、先生はもう成熟した大人だったんだ。
「あの、先生とお母様には、その、何か特別な関係が……?」
ずっと気になっていたことを、どさくさ紛れで聞いた。だって、あの二人は月に一回、夜にこっそり会っている。それに、互いに甘えるような不思議な空気がある。
「そうねえ、あの頃からシア様はみんなの憧れだったの。男子はみんなシア様の騎士になりたがっていたわ。国王陛下と先生、それからニコライ殿下はその筆頭よ。紳士協定っていうのかしら? 」
「それは、好きとかそういう感情じゃなくて、忠誠とか敬意みたいなこと?」
「それは分からないわ。気になるなら先生に聞いてみたら?」
サラさんはすごく難しいことを、さも簡単にできるみたいに言った。そんなこと怖くて聞けない。
下を向いてしまった私に気づいて、サラさんは私の手に自分の手を優しく重ねた。
「意地悪で言ったんじゃないのよ。先生はティナ様になら、本当のことを話すかもしれないと思うの」
「先生は、私となんて向き合ってくれないです。何を言っても子供扱いだもの」
「それなら尚更でしょう? どんどん距離を縮めなくちゃ! 今のままじゃ、恋人になんかなれないわよ」
サラさんは何でもお見通しなんだ。私の気持ちなんて、バレバレだ。
「サラさんは、先生の助手でしょう? 恋愛感情とか全くなかったんですか?」
「ないわね」
ええっ!即答?あんなに先生のそばにいて、なんで好きにならないの? 理解不能!
「どうしてですか? 先生はあんなにカッコよくて優しいのに」
「そう? 確かに今もイケオジだけど、別に優しくないわ。ティナ様だけ特別なのよ」
「それは、私がお母様の娘だから……」
「ふうん、弱気なのね。まあ、確かにシア様の娘だわ。鈍いポイントがソックリ」
サラさんはそう言って小さく笑うと、お母様の寝室の方に目を向けた。
「シア様が心配だわ。ニコライ殿下は大事な家族。命に代えても助けたかったはずなの」
「お母様には、そんなに強い力があるんですか? 聖女の奇跡って、そこまで効果が?」
「聖女の力にはね、命のエネルギーが必要なの。だから、命を縮めないように、十八歳で引退するのよ。シア様は元々それほど体が強いほうじゃないし、若いときに無理をしているから」
「聞いています。多くの人々を救ったって」
「ええ。だから、もう、聖女の力を出せるような余裕はないはずよ。特に女性は出産でものすごくエネルギーを使うから。それこそ、命懸けの大仕事なのよ」
「じゃあ、お母様はもう、誰も癒せないってことですか?」
「本人の命を燃やさない限りはね。ニコライ殿下は、それを知ってらしたんだと思うわ。だから、誰にも病のことを明かさなかった。シア様に知られて、無理をさせたくなかったんじゃないかしら」
「先生は、伯父様の病のこと、知ってたんでしょうか」
「かもしれないわ。先生は優秀よ。アレクセイ様の主治医として、年に数回は帝国に行っていたし。ニコライ殿下の病の兆候を見逃すはずはないわ。たぶん診察も治療もしていたと思う」
「それなのに、お母様には何も言わなかった……」
サラさんは自分の唇に人差し指を立てて、『しーっ』と口を噤むように合図した。
「これは私たちだけの秘密ね。先生が言わなかったなら、それはきっとシア様のため。そして、おそらくはニコライ殿下の願いだわ。私たちは部外者だから、何も知らない。それでいいのよ」
「お母様は、気が付かないかしら。その、隠されていたことに」
「どうかしら。でも、もし気が付いてしまったら、そのときは私たちの出番。シア様がこれ以上苦しまないよう、精一杯支えましょう。女だって紳士協定を組めるわよね?」
私たちは頷き合った。私はお母様の長女だもの! きっと力になってみせる。
そのとき、寝室からお父様だけが出て来て、私たちを見ると無理に笑顔を作った。
「シアは薬で眠ったよ。魔法もかけたから、しばらくは起きないだろう」
「そうですか。今は眠るのが一番ですね。先生は看病に?」
「ああ、私がそばについていたいんだが、まだ会議があって。すぐにも帝国へ発つことになるだろう。アレクセイを助けてやらなくては」
「承知いたしました。では、私は王宮の医務室業務を代行します。学園の方は助手に任せますので」
「頼む。ティナは母様についていてくれ。先生を手伝って、何かあったらすぐに知らせてほしい」
「分かりました。私に任せてください」
お父様は私の頭をくしゃくしゃと撫でると、そのまま部屋を出ていった。
「ティナ様、先生のこともよろしくね。きっと支えが必要だから」
サラさんもそう言い残して、部屋を出ていったのだった。




