後編 「夕日の下で交わした握手」
初日に女子生徒から受けたイタズラを除けば、堺市立土居川小学校の修学旅行は至って平和な道中だったの。
二見町にあるファミリー向けの水族館では、女子グループに混ざってアザラシと一緒に記念撮影をして。
伊勢の戦国村では、男の子達と一緒に敵の忍者目掛けて手裏剣を投げて。
おかげ横丁ではお昼ごはんとして伊勢うどんを一緒に頂いたっけ。
生徒さん達の楽しい思い出作りには可能な限りの貢献は出来たし、大きな怪我やトラブルもなかったから、まずは一安心かな。
もっとも、売店の木刀で漫画の必殺技を真似しようとした男の子が先生に叱られたり、夫婦岩で記念メダルを買った女の子が名前の刻印を失敗して大泣きしたりと、小さな事件は色々とあったけどね。
そうしたほろ苦い記憶も、時間が経てば良い思い出になるはずだよ。
「伊勢志摩巡りの修学旅行は全行程を無事に終了し、バスはこうして懐かしい堺県へと戻って参りました。これもひとえに、堺市立土居川小学校の皆様の温かい御協力の賜物で御座います。」
マイクを握った車内アナウンスも、いよいよ帰りの挨拶を残すのみ。
二泊三日という長い時間を一緒に過ごした事もあり、この頃には生徒さん達の御顔と御名前も一致するようになっていたの。
顔馴染みになれたタイミングでのお別れは寂しいけれど、この別れの寂しさを何度も経験する事で、私はバスガイドとして磨かれていくんだろうな…
こうしてバスは無事に堺市立土居川小学校へ到着し、バスガイドの私は生徒さん達の見送りにあたっていたの。
「一緒に写真撮っても良いですか?ガイドさんの制服、スッゴク可愛いから!」
「ありがとう御座います!勿論、大歓迎ですよ!それでは、バスを背景にして…」
こうしてツーショットの記念撮影を頼まれると、「バスガイドをやっていて良かった…」って改めて再認識させられちゃうなぁ。
考えてみれば、私がバスガイドを志すようになったのも、中学の修学旅行で美人のバスガイドさんに親切にして貰ったのがキッカケなの。
−私とツーショットで記念写真を写した子が、大きくなってバスガイドを目指してくれたら…
それを想像しただけで、胸がジ〜ンと熱くなっちゃうなぁ。
とはいえ、次の記念撮影希望者が現れた時、私は思わず身構えちゃったの。
「私も一緒に写真を撮りたいな、バスガイドの御姉さん。」
ポニーテールに結った黒髪に、袖の広がったベルスリーブのジャケット。
忘れたくとも、忘れられないよ。
「あっ、貴女は…」
私の前に立っている女の子は、修学旅行の初日にパーティーグッズの手首で私を驚かした、都市伝説ソムリエのイタズラっ子だったの。
−今度は何を企んでいるのだろう。
そんな考えが、思わず脳裏をよぎってしまうよ。
「バスガイドさん、一昨日は本当にごめんなさい…」
ところが、件のイタズラ少女が見せたのは、意外に素直な振る舞いだったんだ。
「ずっと楽しみにしていた修学旅行だから、つい羽目を外し過ぎちゃって…」
夕日を背にして俯いているため、顔には暗く影が降りている。
その殊勝な振る舞いを見ていると、初日に見せた生意気盛りの傍若無人振りが嘘みたいに思えたんだ。
「あの、そこまで思い詰めなくても…私なら、この通り大丈夫ですから…」
「だから私、昨夜は旅館の布団に包まりながら考えたんです。握手のポーズで記念撮影をして、バスガイドさんと仲直りをしようって!」
その屈託の無い笑顔を見ていると、彼女の善性を信じてみたくなるよ。
あのイタズラっ娘なりに、相応の反省をしたってね。
「仲直りの握手…それは素敵ですね。じゃあ、良い修学旅行の記念になるように…」
私を真っ直ぐに見つめるつぶらな瞳に微笑みかけながら、そっと私は右手を差し出したの。
仲直りの握手だもの、相手の目を見て行わなくちゃね。
「んっ?!」
だけど、私の右掌を握り返す手の感触は、小学校高学年の女子生徒に似つかわしくなかったの。
体温の全く感じられない、硬くて滑らかな質感。
それは、素材であるプラスチックのせいだったんだ。
「えっ…?」
自動車工場などで見かける作業用のロボットや、ゲームセンターのクレーンゲームのアームを彷彿とさせる、メカニカルな二本の爪。
ライトグレーの無機質なクローが、赤いベルスリーブの右袖からニョキッと生えていたんだ。
「どうしたんです、ガイドさん?ほらほら、握手しましょうよ?」
屈託のない笑顔を浮かべた少女は、相も変わらず握手を求めている。
右手のクローを、カチャカチャとリズミカルに開閉させながら。
「あ、あれ…?」
予想もしていなかった珍妙な光景に、私は棒立ちになってしまったんだ。
右手を差し出した姿勢で、アルカイックスマイルを張り付けたままでね。
デジカメのシャッター音が随分遠くに感じられたよ。
「また貴女なのね、鳳さん!チェックアウト寸前に旅館の売店でマジックハンドを買っていると思ったら、こんなイタズラを…」
「ヤダなぁ、日根野先生!軽い冗談なのに…」
そうして我に返ると、例の女子生徒と担任の先生が丁々発止と遣り合っている真っ最中だったの。
どうやら私は、またしてもイタズラに引っ掛かってしまったみたいね。
「こんな袖口の広いジャケットを着てきたのも、イタズラのために何か仕込む為だったのね!手首とマジックハンドのオモチャ共々、先生が預かっておきます!」
「イヤァ〜ンッ、日根野先生のエッチィ!」
ベルスリーブのジャケットを剥ぎ取られても、担任の女性教諭に大目玉を食らっても、あの女子生徒は全く懲りていない。
目に余るイタズラ振りは困り物だけど、あのエネルギッシュな自由奔放さを見ていると、何か羨ましくなっちゃうんだよね…
この波乱に満ちた修学旅行が、私の中で「良き旅の思い出」として意識されるようになったのは、それから数ヶ月後の事だったの。
私の勤務する皇国観光バス堺支社のアドレスに届いた、一通のメール。
差出人は堺市立土居川小学校の六年生の皆様で、メールの趣旨は修学旅行の記念写真を卒業アルバムに掲載したいというお願いだったの。
女子生徒の差し出すマジックハンドと握手を交わす私の写真が、生徒や保護者の方々のお気に召して頂けたんだって。
−眩しい笑顔のバスガイドさんと、得意気に笑う鳳さん。二人の笑顔の対比が面白いです。
−楽しい修学旅行の締め括りに相応しい一枚ですね。
こんな風に御好評頂けたなら、快諾しない訳にはいかないよ。
会社としても、私としてもね。
それに添付されていた画像を見てみると、夕日をバックにマジックハンドと握手する私の笑顔が何とも味わい深く感じられてね。
もう、すっかり気に入っちゃったんだ。
それどころか、例の握手の画像を自分のスマホにダウンロードして、気が向いたら見返すようになったの。
−形はどうあれ、私の引率する旅行を楽しんで貰えたって事かぁ…
その事に気づいてから、学校行事の引率を担当する時の姿勢が改まったんだ。
子供特有の予測不可能な行動力を無暗に不安がる事は無くなったし、子供達のエネルギッシュさを楽しむ余裕さえ持てたからね。
バスガイドとして一皮剥ける契機となったあの握手の感覚は、この先ずっと忘れられないだろうなぁ。