前編 「女子生徒とバスガイドの悲鳴」
挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
様々な観光名所を楽しく紹介して、素敵な旅の思い出作りに貢献する。
可愛らしい制服を颯爽と着こなすオシャレで華やかな雰囲気も相まって、私にとってバスガイドは憧れの職業だったの。
この憧れの職業を我が天職にするためにも、大学は観光ビジネス学科で卒業したし、三回生の後半から始まった就職活動では旅行業界を中心に回ったんだ。
その甲斐もあって、業界でも老舗の皇国観光に内定を貰い、バスガイドとして配属された時は嬉しかったね。
赤いスカーフで襟元を飾った桜色のジャケットに、紺のスカートと丸い制帽。
この制服に袖を通した時には、「私も皇国観光のバスガイドさんになったんだ!」って感動で胸が一杯だったなぁ…
勿論だけど、それなりに苦労はあるよ。
夜は御客様が御休みになってからでないとベッドに入れないし、朝は御客様がお目覚めになる前に身支度を整えないといけないし。
他にも、事故や渋滞等による遅延で行程の一部を急遽変更したり、御客様が集合場所を間違われた等の不測の事態への対処もしないといけないでしょ。
もっとも、こんな事は業界研究や会社見学の時点で知っていたから、一応の心積もりは出来ていたの。
でも、御客様にも色々な方がいらっしゃって、マニュアル通りに行くとは限らないって苦労は、実際に引率しないと分からなかったなぁ…
この日も私はマイクを握り、客席にお掛けになった御客様へ挨拶をしていたの。
「此の度は、我が皇国観光バスを御利用頂き、誠にありがとう御座います。私はバスガイドの光明池槇子と申します。運転手を務める古川門真共々、皆様のお越しをお待ち申し上げておりました。」
挨拶を終えて一礼する私に向かって浴びせられるのは、初々しい掌で打ち鳴らされる万雷の拍手と、第一次成長期を迎えたばかりの朗らかな歓声だった。
今回私が引率させて頂く御客様は、修学旅行で秋の伊勢志摩を巡られる堺市立土居川小学校六年一組の皆様方。
遠足や修学旅行といった学校行事は、バス旅行会社の重要な固定客であると同時に、特に目を光らせなければならない御客様でもあるの。
企業の社員旅行や町内会の慰安旅行みたいな成人の御客様の団体旅行だと、大人としての分別があるから、はしゃいだって高が知れているでしょ。
たとえアルコールが入って無礼講になったとしても、大体の行動パターンは予測出来るし。
だけど相手が未成年の学生だと、羽目を外したら後先の事なんか全くお構い無しだもの。
修学旅行で遊園地を訪れた高校生が、マスコットキャラクターを園内の池に突き落として高校ごと出禁にされたり。
上級生の旅行先を羨ましがった下級生が、修学旅行のバスに密航したり。
上司や先輩から聞かされる噂話を挙げていたら、社内報でコラムが連載出来ちゃうんじゃないかな。
今回は小学校の修学旅行だから、中高生程の行動力は無いにしても、念を入れて釘は刺さないとね。
「六年一組の皆さん!今回の修学旅行を皆さんが楽しみにされていたと聞いて、私も非常に嬉しいです。でも、幾ら修学旅行が楽しいからと言って、バスの走行中に立ち歩いたり、窓から手や頭を出したりしないで下さいね。でないと、恐ろしい事になってしまいますよぉ〜っ…」
それまでの明るく朗らかなソプラノボイスから意識して改めた、陰に籠もった恨めしそうな声色。
まるで百物語の語り手みたいに陰々滅々とした私のアナウンスに、「これは只事じゃない!」って子供達も気付いたみたい。
それまでの騒々しさが嘘みたいに静かになっちゃって、マイクを握る私の口元をジッと見つめたんだ。
「これは、バスガイドの先輩から聞いた話です。その先輩は今日の私と同じように、小学校の修学旅行のバスに乗っていました…」
まるで水を打った時みたいな静けさに気を良くしながら、私は注意喚起の教訓話を切り出したの。
「窓際の席に座っていた女の子が、外の風を浴びたくて窓を開けました。バスは凄いスピードを出しているので、窓から風が勢いよく入って来ます。その風が気持ち良かった女の子は、つい窓から腕を出してしまいました…」
学校行事の子供達を引率する時に、何度も語った鉄板のエピソードだもの。
何処で声のトーンを下げるか、語りのリズムはどうか。
何から何まで、頭と身体に叩き込まれているんだから。
「目的地に到着したので、子供達はバスから降り始めました。しかし、バスの中では大変な事が起きていたのです。」
いよいよ、ここでクライマックス。
土居川小学校の子達は、私の話にどう反応してくれるんだろう。
「一人の女の子が、こう叫んだのでした…」
ワクワクしながら、一呼吸置いたんだけど…
「先生、私の…」
「先生!私の腕が取れちゃいました!!」
バス内に響き渡った金切り声は、これから私が言おうとしていた台詞だった。
「えっ…?!」
悲鳴がした方に目をやると、長い黒髪をポニーテールに結い上げた女子生徒が、右手を押さえて震えている真っ最中だったの。
バルーンスリーブの右袖から先に何も見えないけど、まさか…
「キャッ、ヒィィッ!」
そして次の瞬間、余りの事態に戸惑う私目掛けて何かが飛んできたの。
「嫌あぁぁっ!そ、そんな…」
足元に転がった物体を視界に入れてしまい、思わず腰から崩れ落ちてしまうの。
脱げた制帽が何処かへ転がってしまったけど、そんな事に構ってなんかいられなかったよ。
「てっ、手首…手首がぁっ!?」
だって私の足元に転がったのは、血にまみれた人間の右手首なのだから。
切断面はグシャグシャに押し潰され、返り血に染まった五指が空を掴むように虚しく曲げられている。
とても直視する事の出来ない、それは無残な有様だったの。
「アワワワ…み、皆さん、どうか落ち着いて…」
こんな事を言っても、バスの通路で腰を抜かしてガタガタ震えていたんじゃ、説得力なんて皆無だろうなぁ…
しかしながら、通路越しに私と並んで着席されていたクラス担任の日根野先生は、実に落ち着いていらっしゃったね。
通路の床に転がった手首を平然と拾い上げ、眺めたり撫で回したりと子細に調べたんだから。
尻餅ついて恐慌状態に陥っていた自分が、恥ずかしくなってしまうなぁ…
「大丈夫ですよ、ガイドさん。これはハロウィン用のジョークグッズですから。生徒に怪我人は出ておりませんので、どうぞ御安心下さい。」
言われてみると、返り血に染まった皮膚にはゴムの質感が見て取れるし、切断面から血が滴る様子もない。
そもそも窓から出していた手首が千切れたなら、その手首がバスの車内に転がるなんて不自然よね。
「よ、良かったぁ…」
安堵の溜め息を漏らす私を尻目に、担任の女性教諭はオモチャの手首をむんずと鷲掴み、憤然と通路を進んでいったの。
そして中腹の席で立ち止まり、鬼の形相で手首を突きつけたんだ。
「鳳さん、また貴女ですね!こんなオモチャを持ち込んでバスガイドさんを驚かすだなんて…どういう積もりか説明しなさい!」
それはつい今しがた、右手を押さえて絶叫した女子生徒の席だったの。
「だって、さっきのガイドさんのお話って、都市伝説としては手垢が付き過ぎちゃっているんですよ。」
担任の先生に凄まれているにも関わらず、女子生徒の顔色は涼しい物だった。
「『修学旅行はバス移動だから、きっとこの話をするだろうなぁ…』って予測していたら、案の定だし。何度も話していたら新鮮味がなくなっちゃうから、私なりに演出を追加してあげたんですよ。」
「キィ〜ッ!鳳さん、貴女って生徒は…」
落ち着き払った態度で供述を続ける女子生徒とは対照的に、クラス担任の女性教諭は怒りに身をブルブルと震わせる有り様だった。
「見てよ、また飛鳥ちゃんがしでかしたわよ…」
「何回叱られても、本当に懲りないよね…こうして見ている分には退屈しないけど。」
あの鳳飛鳥さんという生徒、どうやら普段から悪ふざけを繰り返している問題児だったみたいね。
同級生の子達も、「いつもの事」と割り切っていたし。
−厄介なクラスの引率を受け持ってしまった…
その時の私の頭の中は、後悔と不安で一杯だったんだ。