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第32話「崩壊する世界」

 3,000を越える勇者の軍勢が第七迷宮〈古龍の祠〉から現れた。彼らは蟻のように龍たちへ群がり、喰らいつくし、魔王城へと進軍を始めた。

 ルビエラからの緊急通達によって、守護者たちがギリギリ間に合ったものの、それがなければ――闇龍ヒュカが事態を秘匿したまま対応が遅れてしまったら、気付かないうちに呆気なく敗北していただろう。

 迫り来る勇者たちを、グウェルやホルムスたちが必死に食い止めていたけれど、向こうは1人死ぬたびに別の1人がそれ以上の“光の女神の加護”を宿していた。そうして、彼らの凶刃が魔王城の喉元まで迫ったその時だった。

 常に何重もの厳重な拘束をされていた大魔王ミラが、ついに全ての力を解放した。

 解き放たれた濃密な魔力は、その香りだけで凡百の勇者たちを失神させた。それに留まらず、グウェルの闘獣たちが尾を抱え、ホルムスの亡霊たちは更なる絶望に姿を希薄にさせた。龍が怯え、魔樹が枯れ、魚人たちの鱗がひび割れた。

 ただ存在を露わにしただけで、まるで濃密な死そのものが顕現したかのような、魔王城七迷宮の守護者たちでさえ恐れるほどの恐怖が振りまかれた。

 そのなかで変わらず動き続けることができたのは、ルビエラが遣わせた不死者(アンデッド)たちだけだった。


「始まってる……」


 〈幻影の書庫〉の最奥、幾重にも掛けられた封印魔術によって守られた禁書庫。その中でもとりわけ厳重に守られていた一冊の本を開き、そこに記述された文言を読み取る。

 私もよく知る筆跡で連ねられた、混沌の時代の逸話。万物が存在し、個々の区別がなかった時代の伝説。混在する物質の中から分かたれた二柱の女神と、その怠惰の歴史。


「ルビエラ」


 旧友の名を呼ぶ。

 魔王城の前に広がる荒野は、荒々しい戦闘の跡を残している。闘獣、亡霊、魔樹、魚人、龍、不死者――各守護者たちの眷属が怯え逃げ惑っているが、その中に生きた勇者は見つからない。

 彼らは全員、突如として闇の中へ消えてしまった。

 枷を外した大魔王ミラと、第一迷宮〈骨骸の門〉の守護者ルビエラ。2人が体を重ね、融合し、混ざり合い、そして闇が広がった。

 一瞬にしてそれは広大な戦場を飲み込み、勇者たちを消し去った。

 ミラ様とルビエラが何をしたのか、何をしているのか、私には何も分からなかった。だからこそ、書庫に封印されていたこの本を開いたのだ。


「うわっ!?」


 突如、大地が揺れた。

 いや、違う。世界そのものが揺れたのだ。

 二つの世界、こちらとあちら、光と闇が激突している。大いなる力の奔流が正面からぶつかり合い、互いを揺さぶっているのだ。


「第八迷宮……」


 細部が崩れる魔王城で、書を読み進める。

 そこに書かれていたのは私も知らない第八の迷宮〈奈落の廻廊〉という存在。二つの世界から隔絶された、完全なる別世界。そこに入ることができるのは、迷宮守護者だけ。


「ルビエラは、二つの迷宮の守護者だったんだ」


 歴代守護者からも秘匿され続けてきた第八の迷宮。

 それこそが彼女の最大の秘密であり、魔王城の最終防衛地点。そして、勇者たちの至るべき所。


「うっ……」


 再び世界が揺れる。

 この本の記述が正しければ、ルビエラは今戦っている。大魔王ミラに封印していた自身の力を全て取り戻して、勇者たちを媒介に顕現させた光の女神と。

 ルビエラが――闇の女神が負ければ、私たちの敗北だ。人間たちは永久の命を手にし、無限の繁栄を続ける。やがてはこちらの世界へ侵蝕し、全ては一つになる。私たちは押し潰され、消滅する。


「ウィニ、何か分かったのカ」

「グウェル!」


 頭上から声を掛けられて、驚きながら顔を上げる。

 そこには槍で貫かれ、剣を背中に突き刺し、矢が首に食い込んだ、満身創痍のグウェルが立っていた。慌てて介抱しようと立ち上がると、彼は小さく手を上げて止めた。


「問題ナイ。この程度、肉を喰えバ、すぐニ癒える」

「……分かった」


 グウェルは大きな音を立てて側に座り込むと、従えていた闘獣をおもむろに掴んだ。骨を砕き、皮を剥ぎ、鋭利な牙を突き立てて肉を喰らう。

 彼の言葉通り、血肉を飲み乾すにつれて、急速に血が止まり傷が塞がり始めた。


「その本ハ」

「〈幻影の書庫〉の、禁書庫にある本。ルビエラが、緊急時用のマニュアルだって」


 そう伝えると、グウェルはすぐに興味を失ったようだった。熱い息を吹き出し、再びバリバリと闘獣を食べ始める。


「……見ないの?」

「目ガ潰れるダロウ」

「うん」


 グウェルも迷宮守護者である以上、危機を察知する能力に長けている。魔術的な才能は欠片も持っていないけれど、獣の直感でこの本の危険性を感じ取ったらしい。

 強力な封印を幾重にも掛けられたこの本は、対策をせずに文字を読んだ者の目を潰す。

 今の私も、いくつもの対抗術式を展開しながらでなければ、触れることすらできないくらいだ。


「ルビエラは生きているノカ?」


 肉を食べ、回復に専念していたグウェルが唐突に尋ねてきた。

 彼も、戦場に集結していた守護者たちは全員、ルビエラが消えたことを知っている。


「うっ。……この揺れが続いているなら、生きてる、はず」


 何度目かも分からない大揺れが魔王城を蝕む。頭上に落ちてきた瓦礫を、グウェルが拳で砕いてくれた。


「ナラバ、よい」

「心配じゃ、ないの?」


 臆した様子もなく、ただ食事を続けるグウェルに、思わず尋ねてしまう。何か重大な事が起きているというのは、本を読まなくても分かるはずだ。


「大丈夫ダ。問題ナイ。奴はいくら死のうとも、負けはシナイからナ」


 その言葉にはっとする。

 グウェルは第二迷宮の守護者としてずっとルビエラを見てきた。だからこそ、彼女のことも他の守護者の誰よりも――憎らしいことに私よりもずっと――よく知っている。

 彼の言葉には、確かな信頼があった。

 何千、何万回と殺されながらも、そのたびに復活し、諦めず、挫けず、何でもないような表情で、再び負ける戦いへと挑み続けた彼女のことを。殺されると分かっていながらも、自分よりも遙かな強者へ果敢に挑み続けた、魔王のことを。


「……私だって」


 書を読み進めながら、思わず言葉が口をついて出る。

 グウェルが闘獣の足を丸呑みにしながら、こちらに視線を向けてきた。


「私だって、ルビエラの事を信じています。彼女が負けるはずがないです」

「クカカ! ソウダ。奴は負けヌ」


 グウェルが笑う。

 その時、一際大きな揺れが起こり、魔王城に大きな亀裂が走った。いくら堅牢を誇る魔王城でも、流石に世界が壊れそうになれば元も子もない。


「お二人さん、そんなとこにいたら怪我しちゃうよ」

「『ひとまず外へ避難しろ』と申しておられます」


 いよいよ崩れそうな魔王城へ、シューレイたちがやってくる。トライアドの言葉と共に、太い木の根が脆くなった魔王城の壁や天井を這い、一時的に補強する。

 私は本を抱え、グウェルたちと共に外に出た。


「ウィニ。あのバカは今も戦っていますのね」

「うん。一人で、戦ってる」


 水球の中に入ったシューレイは、まだ生々しい傷跡が残っている。

 そんな彼女もいつになく憂いを帯びた表情で、彼女の名前を口の中で転がしていた。


「我らにできることハ、あるノカ」


 グウェルの問いに、私は押し黙り首を振るしかなかった。

 本には魔王城にまで勇者が迫った時の行動について、大魔王ミラとルビエラの秘密について、そして第八迷宮について記述されている。けれど、そのあとには守護者への謝罪や説明ばかりだ。


“女神の骸は新たな世界を育む揺り籠となる。光と闇がぶつかり、溶け合い、混ざり合い、真に調和した一つの世界が現れる。新たなる時代の始まり。新たなる旅路の始まり”


 本に書かれている言葉には、希望が溢れている。

 けれど、そこに彼女はいない。


「何か、ないの」


 ページをめくり、言葉を探す。

 彼女はきっと諦めない。不屈の魂を持つ永遠の女王だ。何か、きっと何か残してくれている。私がそれを見つけると信じて、この本を託してくれたのだ。


“いつか万物は混沌へと還元し、新たな生を受ける。闇を孕みながら輝き、世を照らしながら影を落とす。大いなる円環が動き出し、全ては滑らかな循環のなかで揺蕩う。”


 何を言っているの。

 その調子付いた筆致に思わず眉を寄せる。その文面にさえ、彼女の飄々とした穏やかな顔を思い浮かべてしまうのだ。


“死を嘆くなかれ。死は豊かな旅路の終着点。あらゆる生命の到達点。闇を恐れるなかれ。輝きが増すほどに闇は深くなる。表裏一体の鏡。”


 分厚い本を、必死になって読み進める。

 魔術が綻び、眼球が締め付けられる。血が流れ体が締め付けられるのにも構わず、自分にできることを探し続ける。

 守護者たちが、私を見守っている。

 彼らもできることを――彼女が帰ってくることを求めている。

 気がつけば、揺れは止まっていた。

 世界と世界の争いが、終結していた。

 どちらが勝ったかは分からない。ただ濃密な死の香りが、世界が溶ける臭気が立ち込める。

 もう、時間が残されていない。


「何か、何か――」


 ページを捲る。

 眼球が焼け、顔が爛れる。脳が崩れ、神経が千切れる。とうに魔力は枯渇していたけれど、シューレイたちが肩に手を置いてくれていた。


「ヌゥ」


 地面が割れ、ドロドロに溶けた黒い何かが溢れ出す。

 空間に亀裂が走り、闇の向こうから光が漏れ出してくる。

 光と闇がぶつかり、いよいよ破壊が始まっていた。


「――あっ」


 その時、気がついた。

 私は本を閉じ、胸に抱えて走り出す。


「ウィニ!?」

「行こう。彼女に続くんだ」


 守護者たちが追ってくる。彼らに構う暇は無い。

 地面が崩れ、岩が溶けている。闘獣たちが死に、亡霊たちが逃げ惑う。水が吹き出し、泥が流れ、炎が焼き尽くしていた。

 世界が息絶えていくのを脇目に、私は八本の脚で走る。生まれて始めて、力を振り絞って走っていた。

 門を潜り、迷宮へと向かう。

 数多の勇者たちから挑戦され、そのことごとくを退けていた、難攻不落の大迷宮。第一にして最大の関門。魔王城七迷宮で屈指の防衛率を誇る牙城。――第一迷宮〈骨骸の門〉。


「カラスちゃん! ――キィちゃん!」


 朽ち果て荒廃し、濃密な死の気配に満ちた無限の館の中で、ルビエラに最も近い二人の名前を叫ぶ。その声を待っていたかのように、小さな羽音が近づいてきた。

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