第22話「牧場」
キィちゃんとお子様ランチを作るための食材集め。まずは〈餓獣の檻〉でハンバーグの材料と、ソーセージを手に入れることになった。
門を通じて第二迷宮へとやってきた私は、隣で手を握るキィちゃんの頭に白い帽子を被せてあげた。
「ここは日差しが強いから、暑くなったらすぐに言うのよ」
「うん。ありがと、ルビ様」
「うっ。かわいい……」
太陽の下でも負けないくらい輝く笑みのキィちゃんに、思わずくらりと体が揺らぐ。そんな私を抱えてくれたのは、一緒についてきてくれたウィニだった。
「大丈夫?」
「ありがとう。まだイケるわ」
普段は暗い書庫に籠もっているウィニもここの日差しは辛い様子で、彼女は黒い日傘を差している。白い腕もアームカバーを嵌め、かなり気合いの入った日光対策だ。
日差しがキツいなら〈骨骸の門〉で待っててくれても良かったのだが、彼女は珍しく強い口調で同行すると言った。
「さて、先にカラスは遣わせてるけど。グウェルはどう反応するかしらねぇ」
「グウェルも、獣の魔人の中だと、賢人と呼ばれてる。見境無く襲うことは、ないはず」
あのグウェルが賢人とは、獣の魔人がどのような界隈か少し察してしまう。しかし、彼が優秀な守護者であるのは事実だ。
私たちは意を決して、〈餓獣の門〉の闘技場へと入る。
「ほわぁ」
初めて闘技場を見るキィちゃんが、口を半開きにして周囲を見渡す。
闘技場は周囲に血や肉片が散乱している。それでも〈骨骸の門〉と比べれば大したことがないのか、キィちゃんは怖がる様子もなく、むしろ興味津々の表情だ。
キィちゃんが“八牙”の骸と思しき巨大な骨の方へ手を伸ばした、その時だった。闘技場をぐるりと囲む客席の一角から、重く響く声がした。
「直前になって連絡を寄越すトハ、礼儀がなっていなイのではないカ」
声のする方へ顔を向けると、太陽を背に巨影が跳躍し、地響きを立てて闘技場の中央へと着地した。
腰に毛皮を巻いただけの半裸の獅子頭は、凶悪な面相をしたまま、私たちの方へずかずかと歩み寄ってきた。
「ごめんなさいね。急にお邪魔して」
「グルルル」
素直に謝罪を口にすると、グウェルは喉の奥で唸る。そうして、私とウィニの顔を順に見た後、私の背後で怯えるキィちゃんと視線を合わせた。
「コヤツが件の泣き女カ」
「ええ。キィちゃんよ」
私がそっと背中に手をやると、キィちゃんはきゅっと口の端を結んだまま、グウェルに向かってペコリとお辞儀をした。初対面の相手にもきっちりと挨拶ができるウチの子はなんて偉いんだ。
「キィの名前は、キィです。グウェルのおじちゃん、お肉ください」
「おじ……。グゥ」
キィちゃんの挨拶を聞いたグウェルが丸い耳をぴくりと動かす。直後、責めるような目つきで私を見るが、キィちゃんが自分で考えた挨拶だ。
ていうか、おじちゃんどころかお爺ちゃんと言っても過言じゃないだろうに。
「ルビエラ様、お待ちしておりましたよー」
そこへ、使いに出していたカラスが戻ってくる。彼女は私の肩にとまると、こそこそと声をひそめて耳打ちしてきた。
「実はグウェル様、キィ様がやってくるのを心待ちにしておられたのですよ。さっきまで怖がらせないようにするにはどうしたらいいかなんて――」
「カラス。その羽と嘴をもぎ取ってもイイのだゾ」
「ひっ!? な、なんでもありませんっ!」
野獣の眼光がカラスを貫く。
しかし、なかなか良いことを聞いてしまった。
「オイ、ルビエラ。コイツの言っていることは全て嘘ダ」
「ほんとにぃ? 爪も丁寧に切ってあるけど」
グウェルの大きな手には、いつも鋭い爪があった。しかし、よくよく見てみればそれも丸くヤスリが翔られてある。普段は乱雑にしている毛並みも櫛が通してあるし、どことなく身なりに気を遣っている様子が窺えた。
「グウェルのおじちゃん、迷惑かけてごめんね」
「グゥ。迷惑ではナイが……。ぬぅ」
キィちゃんが瞳をうるうるとさせると、途端にたじろぐ。
これはなかなか、見ていて面白いじゃないの。
「それじゃ、グウェルのおじちゃんにお肉を用意して貰いましょうかね」
「貴様ッ!」
「おじちゃん、よろしくおねがいします!」
「……ぐぬぅ」
今度から〈餓獣の檻〉を訪れる時はキィちゃんも一緒に連れていこうか。少し本気でそう考えてしまうくらい、あのグウェルがたじたじになっている。
いつも荒々しい闘獣の育成ばかりしているから、キィちゃんくらいの子との接し方が分からないのだろう。不意に傷つけることがないように、今もキィちゃんから一定の距離を保っている。
「意外。あの、グウェルがここまで弱ってるなんて」
「気遣いしてくれるのはありがたいわね。少し見直しちゃったわ」
普段の粗暴な彼からは想像も出来なかったが、これも彼の一面なのだろう。子供を守り慈しむというのも、彼の強い本能の別の側面なのかもしれない。
「何を呆けてイル。キィちゃんを連れて、こっちへコイ」
口元を緩めて考え込んでいると、グウェルが声を掛けてくる。彼はわざわざ、普段は他の守護者にも公開していない肉獣の飼育地区まで案内してくれるようだった。
「大判振る舞いねぇ」
「幼い子にハ、いろいろナ経験を積ませるのガよい。俺もそうやって、育てられタ」
私と視線を合わせようとはせず、グウェルはそう言う。彼も彼なりに、キィちゃんに教えようとしてくれているらしい。
「ココが飼育地区ダ」
闘技場の裏門をくぐり抜けると、そこには広大な牧草地帯が広がっていた。柵もなく、どこまでも遠く地平線が延びている。青々とした草原では、丸々と太った四本足の肉獣たちが、のんびりと日差しを浴びている。
「へぇ。ずいぶんと牧歌的なのねぇ。もっと檻がずらっと並ぶシステマチックなのを想像してたんだけど」
「それでハ、良い肉ガ獲れナイからナ。ストレスをなくし、自由に食べさせることデ、美味い肉が獲れるノダ」
私の言葉に、グウェルはどこか誇らしげに答える。
迷宮守護者としての彼は屈強な闘獣を育てるブリーダーだが、食肉生産も仕事の一つだ。畜産家としても誇りと矜持を持っているようで、説明を始めるとなかなか終わらない。
「肉獣って温和な性格よね。キィちゃんが触っても大丈夫?」
「無論ダ。存分に遊ぶとイイ」
グウェルが頷いたのを見て、うずうずとしていたキィちゃんが飛び出す。彼女は原っぱを駆けて、横になっていた肉獣の柔らかい腹に飛び込んだ。
「やわかい!」
「そっかぁ。良かったわねぇ。……グウェル、私も飛び込んでいい?」
「貴様の体重はストレスになるカラ、駄目だ」
「ぐ、なんて失礼な……」
数十年単位で絶食して絞ってる体だぞ。プロポーションには自信があるのに。
「ハンバーグと、腸詰めが欲しいのだったカ」
のそのそと動く肉獣と戯れるキィちゃんを眺めながら、グウェルが本題を切り出す。私とウィニもそれを思い出し、慌てて頷いた。
「そんなに量は要らないわ」
「ナルホド。では、その分品質を上げテやろう」
「……やっぱりキィちゃんがいた方が色々やりやすそうね」
いつもはなかなか渋る筈のグウェルが、今日はずいぶんと気前が良い。なかなか会えない親戚の子を前に財布の紐が緩む叔父のようだ。こちらとしてはありがたいので、余計なことは言わず受け取っておく。
「ああ、そうだ。ついでに大きい肉も欲しいわね」
「何に使うノダ?」
「原作再現に、ステーキが一皿必要なのよ。あとは差し入れぶんも一つ」
一応、奴も私の代わりに仕事をしてくれていることには変わりない。差し入れを送るくらいなら許されるだろう。
少し要求しすぎたかと思ったが、グウェルは以外なほど素直に頷いた。
「分かっタ。用意しヨウ」
「いいの?」
「アア。良い肉の味ヲ知るのも、経験ダ。……だから、たまにはあの娘を連れてくるがイイ」
「はいはい。キィちゃんの気が向いたらな」
うむ、とグウェルが大仰に頷く。
本当にいつもの乱暴者と同じか首を傾げたくなるほどの溺愛っぷりだ。キィちゃんも肉獣と遊ぶのが楽しそうだし、またお邪魔させて貰うのもいいだろう。
「肉ハ、捌きたての物ヨリも、少し熟成させた方がウマい。他の迷宮にも行くのダロウ。帰りに取りにコイ」
「分かったわ。手間を掛けるわね」
獅子のツンデレなど見たところでなんともないが、彼の親切心はありがたく受け取ろう。
「それじゃ、次の所へ行きましょうか」
「うん! グウェルのおじちゃん、ありがとね」
キィちゃんがグウェルに向かって大きく手を振る。偉丈夫は少し困惑しながらも、たどたどしく腕を振り替えした。
私はキィちゃんとウィニと共に、第四迷宮〈魚鱗の水路〉に向けて歩き出した。




