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五話

 偶然見つけた男の名を思い出すのに、ほんの数秒だけ要してしまった。

「あぁ、これはこれは。お初にお目にかかります、ブエンディア上院議員」

「おや……。君は、そうか、セオ・ブエンディアか。こちらこそ、はじめましてだ。こうして会うのは初めてだが、君には些か以上に親近感を抱かせてもらっていたよ」

「それは光栄ですね。私など、昔は恐縮ばかりしていましたから」

 ヘイズ・ブエンディア。

 俺と同姓の男は、昔から帝国に仕えてきた貴族の末裔であると同時に、無派として盤石の地位を築きつつある大物政治家だ。無論、同姓というだけで血縁関係にはないのだが、まず手始めに話しかけるにはちょうどいい相手がいてくれたものである。

「しかし、A級傭兵というのは偉いのだね。誰もが陛下の登場を待ちに待っていたというのに、いざ扉が開いて入ってきたのは君だ」

「それは……その、申し開きもございません。……けれど、陛下には助けていただきました。これで陛下までもが既にいらっしゃっていたら、私は顔から火を吹きながら退散する羽目になっていましたよ」

 予定の時刻に到着しないからと焦りに焦った様子のレイモンに出迎えられてから、ほんの十数分後。俺は一足先に晩餐会の会場へと案内されていた。

 ここは帝都の中心地からはやや外れた区画にあるクラブハウスとでも呼ぶべき場所で、主に軍出身の政治家に愛用されているのだという。

 会場になっているのは大広間だけだが、化粧直しなどのために用意された控室は男女合わせて十を越え、特に重要な賓客に割り振られた個室や従業員、使用人の控室まで含めると数十という規模にもなる巨大な館だ。

「まぁ、わざわざ王国から呼び寄せられた傭兵のことだ、何かと用事もあるのだろうね」

 ニヤニヤと訳知り顔で頷くヘイズの言葉は、どう受け取ろうにも裏の意図が透けて見える。

 というより、大広間を見渡せば、彼と同種の顔がいくらでも目に付いた。政治家は勿論、大量の勲章をぶら下げた軍服姿の男たちや、政府寄りの報道で知られる新聞社の腕章を付けた記者までいる。

 今更ながらに気付いて、ほんの数瞬、頭が真っ白になった。

 てっきり、身内ばかりで固めた名目上だけの晩餐会だと思っていたのだ。俺を罠に嵌め、何かしらの濡れ衣を着せるための会場。

「いやなに、そう焦らずとも、問い詰めはしないよ。その辺りの処世術は、この席にいる者なら誰でも持って然るべきだ」

 俺の沈黙を、そして失礼とも言える態度で周囲を見回す様を、ヘイズは微笑で流した。

 けれど俺の胸中は、それどころではない。

 何が起きようとしているのか、それが全く分からなかった。

 しかし、よくよく考えてみれば、自明なのかもしれない。アドリィの誕生日というならまだしも、クラウディオ……つまりは国のトップである王の誕生日だ。

 たかだか傭兵一人を陥れるために、果たして方便の道具とするだろうか?

 ……となると、だ。

「まぁ、でしたら、私も『ご想像にお任せします』とだけ言っておくとしましょうか」

 とはいえ、伊達にAマイナスで足踏みしていたわけではない。

 処世術ですらない最低限の義務として、にこりと笑みを作って意味深に頷いておく。散々頭の固い政治家や礼儀を重視しすぎる騎士に向けてきた笑みにヘイズも満足してくれたらしく、お返しとばかりの虚しい微笑を向けてきた。

「それでは、私は失礼するよ」

 二人のブエンディアを遠巻きに眺めている者は少なくない。

 彼には傭兵風情にかまけている暇もないだろうし、なんなら変な噂の種を作るのも馬鹿げている。社交辞令的に言葉を投げ合えば、それで終わり。

 ――と、思ったのだが。

「……と、そうだ」

 馬車での一件といい、この晩餐会の会場といい、今日の俺は少しばかり勘が鈍すぎる。

「私には子供が二人いてね」

 そのせいで唐突に始められた政治家、ではなく二人の子を持つ父親の雑談に、内心で首を傾げる羽目になった。

「息子は十七で、娘は十四、どちらも年頃のせいか、軍人より傭兵や騎士に憧れてしまっている。今騒がれているサヅチの大移動も、思春期の子供にとっては興味の的でしかない」

 しかし、そもそも。

 この話を『唐突な雑談』と受け取ってしまったこと自体、俺の経験不足を意味していたのだ。少なくない死線に立ち、三十を過ぎてなお生き残り、位ではマイナスを消し去り正真正銘のAになった。

 だが、それはあくまで傭兵としての実力でしかない。

 政治家や軍の重鎮などが集まる六王の晩餐会という『戦場』において、俺は無垢な少年にも等しい、無力な愚か者だ。

「それで……なんだがね?」

 続く言葉を耳にするその瞬間まで、俺はヘイズを単なる政治家、子供を溺愛する善良な親くらいにしか思っていなかった。

「またお聞かせ願えないかね。数千、数万という大群で移動するサヅチの実情を。同じく数千、数万の圧倒的兵力で蹂躙しうる軍隊ではなく、多くとも数百の規模でしかない傭兵がどう戦うのかを。若き傭兵の武勇伝ほど子供心をくすぐるものも、そうないだろう?」

 サヅチの大移動。

 それは、しかし初めて聞く話ではなかった。帝都の大通りを往く馬車の中で耳にした、住民や観光客たちの話し声で既に知っていたことだ。

 サヅチとは、体高は五十センチほどだが、体長は二メートルから三メートル、特別大きな個体だと五メートルを越すこともある、トカゲともワニともつかぬ獣である。

 個としての力は中々馬鹿にならないものの、少数で群れることが多い上、生息域も主に水辺であるために総合的な危険度はウズザルと似たり寄ったり。それが帝国遠征する際に傭兵が下す判断だ。

 しかし今、帝国最北部にて、そのサヅチが前代未聞の大群を作り、本来の生息地を離れた大移動をしている。

 理由も目的も不明、今のところ目立った被害はないような様子だったが、今後もそうあってくれるとは、どんな楽観主義者でも思えないだろう。

「はて」

 無理やり作った笑みは、けれども滑稽に引きつっていたはずだ。

 ほんの一分ほど前に『問い詰めはしない』と言ったのは誰だったか。

 態度からして、俺がその大移動の対処に関わっていると思われているのは明白だろう。

 相手は政治家だ。国民の不安がサヅチの大移動に向けられているのであれば、その解消に尽力するだけで支持は稼げる。元々の支持基盤に加え、流動的な層も取り込めれば今後の飛躍に耐えうる強固な足場を作れるかもしれない。

 そう考えると、ヘイズの意図も察しは付く。

 軍出身とはいえ現在は軍の指揮権を持たないクラウディオが、自由に動かせる外部の傭兵を雇って誰より早く手を打った。その暗躍に一枚噛めるだけで、ヘイズには利益が生まれる。

 ゆえに、まずは裏取りからというわけだ。あるいはクラウディオとは別で依頼を重ね、自身の手柄を増やそうと考えているのか。

 意図が分かっているなら、適当にやり過ごす術もある。

 だが、悲しいかな。

 俺はその大移動を今日まで知らなかったのだ。恐らく王国でも報道されていることなのだろうが、ここ一、二週間は報道に目を通す時間が取れなかった。

 しかも厄介なことに、クラウディオやアドリィが俺にどの役回りを求めているのかも分からない。ちゃんと決められた時間に来ていればエミールたちとも合流し、アドリィから話も聞けたのだが、……これが自業自得というやつか。

 さて、どうしたものか。

 急ごしらえの笑みが刻一刻と崩れていく。

 体感で五秒が過ぎた。緊張や悲観を差し引けば、三秒といったところ。四秒、そして五秒、六秒……。

 まずい、そろそろ何か言わなければ。

「嗚呼、セオ!」

 そんな時だ。

 いっそ可憐とさえ言っていい、いや天使の呼び声とも形容したいほどに幸福な響きを胸中にもたらす声が、俺とヘイズの間に割って入った。

 俺も彼も反射的に声がした方を見やり、次の瞬間には彼女以外が見えなくなる。

「アドリィ……!」

 ふと思い出す時、俺が彼女に抱く思いは複雑だった。暖かい懐かしさもあれば、冷たい憎らしさもある。けれど今この瞬間に唯一浮かぶこと、それは『助かった』という感謝の言葉だ。

 アドリアーノ・バリアーニ。

 クラウディオの側近にして、王帯鉄火場の事実上の君主。

 彼女は、もう若くないはずだ。十四年前には既に相当な重役に就いており、その性質を加味しても優に三十は過ぎていただろう。ということは、今は中年と呼ぶべき歳だ。

 しかし、眼前の彼女が身に纏っているのは、老いなどではない。

「……と、そちらはブエンディア上院議員ではないですか」

「お久しぶりです、バリアーニ嬢」

「この歳の女に対する『嬢』など、お世辞を通り越して嫌味に聞こえてしまいますね?」

 紅の唇が艶めかしい曲線を形作る。

「ということは、私はお邪魔だったようですね。お二人のブエンディアさん?」

「いえいえ、滅相もありませんよ。ちょうど今終わったところでしたから」

「でも、その割には話が弾んでいたようでしたけれど」

 ヘイズも、俺の前にいる時は大きく見えた。

 背は決して高くないし、傭兵の俺に比べれば筋力でも劣る。それでも政治家が長く生きる上で否応なしに纏うべき雰囲気が彼を大きく見せていたのだ。

 にもかかわらず、アドリィの前ではどうだ?

 蛇に睨まれてだらだらと汗を垂らすしかない蛙同然である。

 曖昧すぎる立場関係のせいだろうが、それだけでもあるまい。

「息子さんと娘さんの話を伺ってたんだよ」

 クラウディオの腹を探ろうとしていたヘイズにとって、その側近であるアドリィは今最も会いたくなかった人物だろう。

「ほら、王国じゃ六年前にウドゥリルとの戦争があっただろ? あれには俺も参加してたから、その時の話を年頃の子供に聞かせてやりたいと」

 一瞬前までヘイズに向けられていた毒蛇の眼差しに正面から見据えて返し、一言だけ添える。

「君の前じゃ、おちおち親父の顔もできんだろうさ」

 俺ももう三十路過ぎだ。

 年上の女に対し『君』などと呼ぶのも馬鹿げている、というか若干気味が悪いくらいなのだが、だからこそだろう、効果は覿面だった。

「あらあら、そういうことでしたか。でしたら、私は今一度席を外しましょうか」

 くすりと笑うアドリィはどこか少女めいていた。

 少女などという歳ではないのは百も承知なのだが、悪戯っぽさとでも言うのだろうか、人をからかって笑うのが趣味な彼女には、そんなところがある。

「セオ? 事情が事情ですから、時間を守らなかったことは見逃しましょう。ですが、優雅な食事はもう少し後にしてくださいね。数分でレイモンが来ます、あとは彼に従ってください」

「折角の晩餐会で一人だけ別室か」

「あなた方に好き勝手食べさせては、他の皆様の分がなくなってしまいますから」

 あなた方、か。

 大広間に案内される時に何も言われなかったから少し心配していたが、今のところは無事らしい。

「了解した」

 最後に一言返すと、アドリィはひらりと身を翻した。

 彼女が纏うワンピースは生地こそ厚いようだが、左足の付け根辺りまで深い切れ込みが入っているせいで、スカートとしての役目を果たせているのか甚だ疑問だ。

 そしてその瞬間、男二人は目を奪われていた。

 ヨルクがいなくてよかったと心の底から安堵しつつ、二十代どころか十代後半と言われても信じてしまいそうな魅惑色から視線を引き剥がす。

「では、失礼。そういうわけですので」

「……いやはや、私も目が悪くなったものだ」

「まぁ、別にクラウディオの私兵ってわけじゃない。俺もあなたも、同じ穴の狢ですよ」

「肝に銘じておくとする。……と、私もこれにて」

 恐らく、プライベートでも友人なのだろう。

 こちらを不安げな表情で眺めていた男に片手を挙げてみせてから、ヘイズは去っていく。途中、彼のもとに寄る給仕がいた。酒の入った杯を受け取り、また友人のもとに歩き出す同姓の政治家を見送る。

 待たされること、実に二十秒。

 残された俺のもとにも、別の男がやってきた。

 レイモン・トマ。

 以前は王国で顔を合わせ、この大広間までの案内役も担ってくれた男が、無言で廊下に続く扉を見やった。

「くれぐれも、ご注意を」

「思い知らされたよ。政治家は、やっぱり苦手だ」

「……そうではなく、あなたのお連れさんと姐さんに、です。傍から見ても、呆れるほどでしたよ」

 所詮はアドリィの犬でしかないレイモンが苦言を呈するほどに、俺は分かりやすかったか。

「仕方ないだろ? アドリィ、あれ十四年で若返ってないか?」

 冗談めかして笑ってみるも、返されたのはため息。

 それと、傭兵生活で鍛えられていなければ聞き逃したであろう、小さな独り言。

「……ったく、誰のせいだか」

 レイモンという男の素の表情を垣間見た気がして、不思議な感慨が胸に浮かんだ。

 いくら裏社会の連中といえど、心を持たぬ獣が人の姿に化けているわけではない。それぞれに生い立ちがあり、思いを抱く心があり、過去と今と、幸運な者は未来を生きる。

 なれば、そう悲観することもないだろう。

 罠だ罠だと警戒ばかりしていたが、少しくらい、古い友人を信じてもいいのかもしれない。

「セオ様?」

 数分後、まるで一部始終を見ていたかのごとく頭の上に幻の角を生やし鬼となったヨルクに出会うまで、俺はアドリィという女に幻想を抱いてしまっていた。

「少々お時間をいただけますね?」

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