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四話

 三頭の馬に引かれる馬車は力強く、それゆえにゴトゴトと大いに揺れながら走る。

 アリアンと別れ、帝都へ向かう馬車の中は、しかし沈黙に支配されていた。耳に届くのは馬の足音や鳴き声、車輪が地面を噛む音に車体が揺れ軋む音ばかり。

 事前の取り決め通りにアドリィが用意しておいてくれた三頭立ての馬車は、伊達に帝国中枢の権力図に食い込んじゃいないと思わせるほどに上等なものだった。

 時には客を暇潰しの相手くらいにしか思わず、道すがら延々と喋り続ける者もいる中、この馬車を操る御者は極めて寡黙だ。ほとんど言葉を発さず、時折口にするのも馬に向けた声のみ。

 音と揺れは先を急いでいるからこそのもので、文句を付けるより、むしろ驚異的な速度を称賛すべきだろう。

 そう考えれば、なるほど快適な旅なのかもしれない。

 問題は、空間的には十分すぎるほど広いはずの車内に、妙な息詰まりが蔓延していることである。

 言うまでもなく、原因は明白だった。

 本来は二人で乗るはずだった馬車なのだが、実際には四人が同乗している。

 これまた言うまでもなく、乗っているのは俺とヨルク、エリノアにベアトリーチェだ。

 二人の少女が緊張ゆえか押し黙っているのは、まぁ分からないではない。この馬車の行き先は地理的にも政治的にも帝国の中枢、ほんの二週間前まで親の庇護下にあった子供に怖気づくなと言う方が無茶だ。

 しかし、そもそもの発端は彼女らにある。

 どちらかといえば気が強い方のヨルクが不機嫌そうに沈黙を貫いているのも、それが理由だろう。

 俺の予定では、彼女らはアリアンのもとに残るはずだった。

 勿論、今後ずっとアリアンに任せるというわけにもいかないため、帝都で用事を済ませた後は一度迎えに戻るつもりだったが、それを二度手間と思うほど傲慢ではない。

 エミール一人に引率を任せた帝国遠征というだけで不安この上ないのに、相手はアドリィとクラウディオだ。戦力的にはヨルクでさえ『足手纏いではない』といった程度で、当の俺とて力不足の感は否めない。危険性だけで考えれば、熟練の大手傭兵団や名門騎士団が適任だ。

 正直に言うと、不安材料は可能な限り減らしたかった。

 戦力云々以前に傭兵ですらないエリノアとベアトリーチェは、足手纏いと表現するのも生易しい。邪魔だと一蹴こそしないが、命知らずと呻きたくはなる。

 いっそ端から彼女らの意思など聞かず、アリアンのもとでの留守番を言い付ければよかった。

 そうしなかったのは、――認めよう、俺の判断ミスだ。

 同道を望むとは露程も思わず、体裁だけ自由意志に委ねるつもりで問うてしまった。それも俺が直接ではなく、アリアン経由で。

 返された答えは、見ての通りだ。

 政争の生贄にされるかもしれないと、エリノアはともかくベアトリーチェは正しく理解していたはずだった。にもかかわらず、二人はともに選んだ。

『邪魔だと言われれば、言われるがまま待ちますけど』

 それはベアトリーチェが添えた言葉だ。

 あくまで本心、なんなら気遣いゆえに出た言葉だったのだろうが、その一言で退路は断たれた。彼女らに判断を委ねた挙げ句、邪魔だから我慢しろなどと、そんなことを言えば傭兵失格だ。

 騎士団も正規軍もある王国で、どうして傭兵になる道を選んだのか?

 最も自由だからだ。

 自由とは、好き勝手にしていいという意味ではない。

 全てを自分の意志で決める代わりに、全ての責任を自ら背負うことだ。武器を手に、暴力を以て、命を奪う。それが傭兵で、騎士で、軍人だ。なれば、せめて責任は自分で負う。

 ……まぁ、規律が面倒だったとか、上下関係に縛られたくなかったとか、そういう理由が一切ないとまでは言わないが。

 ともあれ、自由意志に委ねた以上は、それを尊重するのが傭兵である俺の義務に等しい。

 ただ、自ら責任を負うというのは、何も俺に限った話ではないのだ。

 エリノアにせよベアトリーチェにせよ、自ら同道を選んだのだから、そこに付随する危険性くらいは理解しているのだろう。

 特にベアトリーチェは、父親が元傭兵だと言っていた。所属していた傭兵団が解散したことから路頭に迷い、一家で教国に移住したとか。ならば傭兵が身を置く世界の厳しさは否応なしに知っているだろう。

 それでもなお同道を望む理由は、問うてみても分からなかった。

 答えは返されたのだが、俺に理解できる言葉ではなかったのだ。

 確か、『これがフウル流ってやつです』とか、そんな感じの答えだった気がする。まだしも会話が成立しそうなエリノアに救難信号を出しても『移民の生き様そのものですね』としか教えてもらえず、そのまま考えることを放棄したのだった。

 移民なればこそ、貪欲に安定を望むと思っていたが。

 兎にも角にも、過ぎてしまったことは仕方ない。

「ほら、いつまで仏頂面してるつもりだよ」

 隣に座るヨルクを肘で小突き、数十分と続いた沈黙を破る。

「……セオ様は何も分かってないんですよ、まったく」

 などと俺が上司であることを忘れたかのような口を利くヨルクだが、不機嫌に黙り込まれるよりはマシだ。

 しかし、何も分かってないとまで言われてしまうのか。

 いやまぁ実際問題、俺は何も分かっちゃいない。エリノアとベアトリーチェの思いもそうだが、どうしてヨルクが不機嫌になっているのかも分からないのだ。

 まさか二人旅の予定が崩れたから、なんて理由じゃあるまい。

 だとすれば、彼女ら二人の非合理に苛立っているのだろうか。とはいえ、今の彼女らが非合理に見えるのは、あくまで俺やヨルクが自分たちの視座に囚われているからに他ならない。

 俺たちの視座ではなく、彼女らの視座に立てば、見える世界も自ずと変化する。

 そもそも論として、彼女らを捨て置くという選択肢は俺の手元に存在しない。だが彼女ら自身にとっては、それが最悪の可能性だろう。教国にいた頃以上に寄る辺ない二人からすれば、現状は未だ危機の只中にあると言っていい。

 そう考えると、自分たちの存在価値を示す意味はある。

 肝心なのは彼女らが何を存在価値と捉えているかだが、そこには一つだけ心当たりがあった。

「まぁアリアンほどではないにしても、抑止力として働く可能性は大いにあるな。連中にとっては犯罪に加担した証拠だ。政争の最中となれば処理も難しいだろう」

 教国への密入国と、少女を攫っての密出国。

 そんなことを独力で実現できる傭兵など大陸広しといえど存在しない。となれば、疑念は背後にいるはずの協力者にも向けられる。現状、俺やエリノアたちの存在はクラウディオにとって突き付けられた短剣に等しい。

 単に傭兵を始末するだけなら死地に送り込めばいいし、あるいは送り込んだという証拠だけ捏造して秘密裏に処理すればいい話だ。

 だが無力な少女も一緒に始末するとなると、その方法は使えない。事故に見せかけて殺すにせよ、人目に触れさせず幽閉するにせよ、政敵の目を掻い潜るのは難しくなる。

 なるほど、そこまで考えて同道を望んだのだとすれば、エリノアもベアトリーチェも中々に慧眼だろう。

 ……ただ。

「えっと……?」

「ふぇ?」

「一人で勝手に納得するのがセオ様の悪い癖です」

 三者三様、けれども皆一様に怪訝そうな目を俺に向けてきている。

 どうやら違ったらしい。

 というかヨルクに至っては、俺の言葉を正しく理解した上で否定してきた。これはもうお手上げだ。せめて彼が怒っている理由だけでも教えてくれれば楽なのだが、それこそ無理難題だろう。こういう時のヨルクほど頑固な奴を、俺は知らない。

 釈然としない感じは残るものの、どうあれ乗りかかった船ならぬ馬車だ。俺は元より、同乗者の三人も今になっては後戻りなどできない。理由を知ろうと知るまいと、行き先は変わらないのだ。

 ならば今すべきことは、着いた先で万全を尽くすための準備に他ならない。

「帝都までは……あと半日もかからないか。向こうに着いたらエミールたちが拘束されてました、なんて可能性もないではない。寝られる時に寝て、体調も整えておくように」

 言うだけ言って、真っ先に瞼を閉じる。

 暗闇の世界で何事か小言を言われた気がするが、いつでもどこでも寝られる時に寝るべし、という傭兵の掟に従い、俺の意識は泥の奥底へと沈んでいった。


 帝国の首都、バート。

 言わずもがな政治と経済の中枢たる大都市であり、賭場をはじめとした娯楽、観光施設も数多く営業している。

 特に昼時を過ぎた今は、最も賑やかになる時間帯だ。

 土産物屋や見世物屋を渡り歩く観光客から、夜に向けて活気づく博徒、勿論ここ帝都に根を張る住民たちも夕食の買い出しや仲間内での集会などに精を出す。

 そんな喧騒の大通りを、三頭立ての馬車が我が物顔で走っていた。

 政争の渦の中心でもある帝都だが、王帯鉄火場という帝国屈指の稼ぎ頭を牛耳るクラウディオにとっては庭も同然。クラウディオ・デーニッツの名で切られた小切手を直接受け取った、なんてはずはないだろうが、それでも彼の手の者に手配された馬車が遠慮する土地ではない。

 進行方向に背を向け座っているせいで、喧騒は後ろから前へと駆け抜けていく。

「――が…………で、」

「…………ヅチが――とか」

「――からッ! ……っそッ」

 どれもこれも、大した意味を持たない声たちだ。

 知り合い同士らしい中年女性たちの話し声、客を呼び込もうと必死な店員の叫び声、昼過ぎだというのに早くも酔っ払っている男たちの怒声や奇声、俺たちが乗る馬車に撥ねられかけた誰かの悲鳴。

 いや、最後のは少しくらい関係あるか。

 逃げ遅れた、というより馬車が近付いても避けようとしなかった当たり屋的連中だとしても、自分が乗る馬車が見知らぬ誰かを轢き殺したのでは寝覚めが悪すぎる。

 しばし悩んだが、それは声をかけるかどうかではなく、どう声をかけるべきかという程度のものだった。

「おい」

 と一言向けただけで、馬の足音が大人しくなる。

「なんでしょう」

 御者台から上半身だけ振り返り、男が俺の顔を覗き込んできた。

 俺の横ではヨルクが不愉快そうに顔を顰め、向かい側の席ではエリノアとベアトリーチェが互いにもたれ掛かって寝ている。

「もう少し静かに走れないか? ただでさえ、街の中はうるさいんだ」

 たった一言、それも用件さえ聞かぬうちに馬を鎮め、話に応じた御者だ。先を急ぐのは職業病のようなもので、申し付ければ素直に従う。

 少なくとも俺は、そう思い込んでいた。

「……しかし、ですね」

 なんとも言いづらそうに言葉を濁した御者は一度前に向き直り、人間に向けたものではない言葉を一つ、二つと上げる。すると、走っていた馬が歩調を緩めた。のそりのそりと、まるで農家で酷使された老馬のような足取りとなる。

「しかしですね、そろそろ時間ではありませんか?」

「は?」

 時間?

 なんだ、それは。

 元々危険性の低かった教国からの追っ手は、帝都に無事着いた時点で全く考慮の外に追いやれている。ここに手出しするだけの政治力や無能さの持ち合わせは、教国にはない。

 あるいは、エリノアたちの休息という意味では急ぐ意味もあるだろうが、その急ぎ足が原因で疲れてしまっては本末転倒だろう。

 ――何を言っているんだ、この男は。

 俺は率直にそう思っていたし、恐らく顔に出てしまっていたはずだ。

 そして御者の方も、素っ頓狂に同じ顔をしていた。

「……お話は、少々、伺っております」

 じわりと冷や汗を滲ませた御者の声。

「陛下の晩餐会は、本日の夕刻からでは? ……その、帝都と一口に言っても、かなり距離があるもので」

「晩餐会? 夕刻? ……あぁ、そういえば、そうだったな」

 御者が目を見開き硬直するのも、無理からぬことか。

 俺からすれば、クラウディオのお誕生日会など見え透いた罠でしかない。

 だが眼前の御者からすれば、どうだろう。

 帝国を治める六人の王の一人にして、軍にも影響力を持つ傑物の誕生日を祝う晩餐会。そこに招待される傭兵というだけで到底理解の及ばぬ存在に違いない。更に言えば、俺は約束の時間を平気で蔑ろにし、なんなら半分忘れていたような態度で返したのだ。帝国人たる御者からすれば、なるほど不遜を通り越して不気味だろう。

「俺は客だ、呼ばれた身だ。そんなに時間通りに進めたいなら明日の夕刻に延期しろと言ってやれ」

 くそ、と舌打ち一つ添えてやれば、御者は身震いだけ残して前に向き直る。のそりのそりと歩いていた馬は、そろりそろりとより慎重に歩き始めた。

「ひどい人ですね」

 一部始終を見て聞いていたヨルクが俺にだけ聞こえる声で呟く。

「日時なんざ完全に忘れてたが、いっそ少し遅刻するくらいがちょうどいいんだよ。アドリィでもあるまいし、恭順の姿勢を見せてやる必要もない」

 いっそ遅刻して罠から逃げられるなら万々歳なのだが。

 まぁ、そう上手くもいかないだろう。

 馬の足音が静かになり、進む速度も落ちたことで、帝都の喧騒はより鮮明に耳に届く。

 その中に幾つか、普段なら絶対に聞き逃しはしない類いの話があった気がするが、流石に今はそれどころではない。傭兵とは、大抵の国で最後に頼られるべき暴力装置だ。

 王国においては軍と騎士団に次ぐ三番目、帝国においても圧倒的な軍事力を前にすれば傭兵の仕事など限られている。もし大きな問題になったなら、まずは軍が派遣されるだろう。

 詰まるところ、俺は馬車という名の檻に入れられたまま晩餐会という名の罠にかかりに行く他ないのだ。

「ほんと、嫌になるなぁ」

「大丈夫です。セオ様の傍には、常に私がおりますゆえ」

 ……その答えは、どうなんだろうか。

「…………ありがとよ」

「ノー。沈黙の意味を訊ねてもよろしいでしょうか?」

「傷付く勇気があるなら、ご自由に」

 それきり馬車は無言に包まれた。

 やがてエリノアが目を覚まし、直後に俺と目が合って頬を赤く染め、それからベアトリーチェの寝顔を見つけて破顔し、……まぁ、これ以上は胃が重くなるからやめるとしよう。

 どうあれ、結論は変わらない。

 馬車が止まり、去年の暮れにも見た男に出迎えられ、俺たちは老獅子の顎門に歩み出る。

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