三話
「彼女と同じものを、二つ」
席に着くなり言い付けて、給仕を追い払う。
「相席なんて認めてないけど。特にそこの臭いガキ」
「ノー。あなたの許可を必要とはしていません。それと私はもう成人しています」
「はい、ストップ。喧嘩はなしな? 真面目な話をしに来たんだから」
と、言ったものの。
結局、給仕が俺とヨルクの分の紅茶を運んでくるまで、二人の子供じみた言い争いは続いた。その内容? いや、あまりに内容がなさすぎて、記憶するのも勿体ないくらいだ。
「……で、なんだ、用件は済んだんじゃないのか?」
「済んだよ、助かった」
「なら帰れ。あと私は貴様の頼みを聞いたつもりはないぞ、何か勘違いしてるんじゃないか?」
「素直じゃねえな、ほんと。俺にはリースの好みが分からん」
伝家の宝刀、リース・アディ。
彼の剣技は見る者を虜にするほど美麗なものであると同時に、レイ・ジ・ドグの群れ長を決闘で下すほどの威力を誇る。しかしそれ以上に、アリアンに対する鋭さが天下一品だ。
リースの名を出しただけで、大抵の軽口はねじ伏せられる。便利なことこの上ない。
「まぁ、だから、これは頼みじゃない。単に年長者のお節介だと思ってくれればいいんだが……、まずは聞いてくれるか?」
用済みになった馬を売りに行ってくれたヨルクも合流し、今は探偵事務所から見下ろせた町の一角にある喫茶店に来ている。とはいえ三人で示し合わせたわけでもなく、一人で去ったアリアンを俺が追い、道中で偶然ヨルクと会っただけだ。
ゆえにアリアンが素直に話を聞いてくれる保証はなかったし、なんなら俺たちが同じテーブルに着いた途端に腰を上げる可能性まであったのだが、仕切り直しの言葉は意外なほどあっさり受け入れられた。
「俺たちが帝都まで行く理由、君なら分かるだろう?」
冷めてしまう前に紅茶を一口飲んでから、改めて口を開く。
「ふむ……、その口振りから察するに、クラウディオの晩餐会?」
「やっぱり知ってたか」
「ある程度以上に耳聡い連中なら誰でも知ってることだし、このタイミングで蛇女が出てくるんなら他にないでしょ?」
かつて好きだった女に蛇女呼ばわりされるアドリィには同情したいが、自業自得すぎて何も言えない。
「それで、老獅子の誕生日会がどうかしたの?」
一方の獅子とは、言わずもがなクラウディオである。
軍時代には『飢えたる獅子』と敵味方双方から畏怖され、軍を引退し政界に進んだ後は老獪さや老練さから『老獅子』と呼ばれてきた。
加えて仇敵の狸爺ことブルーノ・ドーフラインとは何十年にも及ぶ醜き争いを続けており、獅子に近付けば狸を敵に、狸に近付けば獅子を敵に回すことになると、第三勢力からは徹底的に警戒されている要注意人物の筆頭でもある。
「その誕生日会に俺も呼ばれてるんだよ」
「あぁ、なるほど、ご愁傷様」
けろりとした顔で言い捨てるアリアンだったが、その言葉は冗談にもならない。
話の発端は、一人の男の訪問だった。
レイモン・トマ。
かつて王帯鉄火場を根城としていたチンピラで、当時は不沈の門番ことロンの手下だった。そのロンが足を洗ったらしく、代わりにレイモンが俺への連絡として派遣されたのだ。
そもそもリースからの手紙も、彼が運んできたものである。
花嫁の誘拐という犯罪計画の打診を、全ての手紙が検閲される教国から正規の手段で送れるはずがない。そこでリースは帝国暗部、アドリィを頼るに至った。
ただ、リースとアドリィは縁故があるとも言えぬ間柄だ。むしろ両者はアリアンを挟んでの関係性であり、どうやっても味方にはなれない。今回はあくまで俺への手紙だったからこそ妥協できたに過ぎないだろう。
違法な手紙を送るために、リースは文字通り法外の報酬を支払ったはずだ。
しかし、それはあくまで手紙の送るための、言わば運賃でしかない。
手紙に書かれていた依頼――花嫁、エリノアの誘拐――を果たすには俺とリースだけの力では到底足りず、それくらいのことはアドリィら帝国側も当然見抜いていた。
ゆえに手紙の配達役にレイモンが選ばれたのだ。
彼は手紙を持ち込むと同時に、ある商談を持ちかけてきた。
まぁ、彼らの名目を借りれば『商談』ではなく『招待』になるのだろうが。
アドリィが仕えるクラウディオ・デーニッツは今年で八十歳になる。その祝いの席を設けるから参列してほしい、というのが彼らの建前だ。
とはいえ六王の一人、それも年がら年中仇敵との政争に明け暮れる傑物が、たかだか八十回目の誕生日ごときを祝うとは思えない。仮に席を設けるとしても、十四年前に部下が『世話になった』程度の一傭兵を呼ぶはずがないのだ。
それらを加味すれば、結論など明々白々。
何かしらの厄介事が彼らのもとに降りかかり、俺は生贄役として選ばれたというわけだ。
そして、ちょうどいいことに恩を売る機会まで舞い込んできた。俺が教国へ行き、エリノアとベアトリーチェを連れて蜻蛉返りできたのは、ひとえにアドリィらクラウディオ派の働きがあってこそ。
アリアンが『ご愁傷様』と口にしたのも、それが理由だ。
「だからまぁ、できれば君にも来てほしかったんだけどな、正直なところ」
言うやいなや、ヨルクが不服そうに鼻を鳴らす。
どうやら彼よりアリアンを頼りにしていることが気に入らないらしいのだが、こればかりは仕方ない。ヨルクにアリアンの役を担えと言うのは、ルークにビショップの動きを真似ろと言うに等しいのだ。適材適所どころの話じゃない。
「私が行けば、少なくとも即刻逮捕はなくなるって? 残念だけど、私にそこまでの効力はないから」
一方のアリアンも不満げに答えてきた。
「有り体に言えば、精神的な盾として機能する。既に令状が出てるなら別だが、アドリィの裁量に任されているなら効果はあるだろう。少なくとも部下を逃がす猶予は作れる」
アリアンからすれば、アドリィは疑いようのない敵だ。
アドリィはアリアンを権力と武力でもって支配下に置こうとした非道な人間であり、アリアンはそのアドリィのもとから逃げ出した過去を持つ。今なお禍根が残っているのは明白だ。
ただ俺には、十四年前の恐怖に囚われたままにも見える。
アドリィとて十四年を無為に過ごしてきたわけではない。あの一件以来、彼女は仕事に邁進してきた。公表できる範囲では勿論、表沙汰にできない地位と権力も向上し続けている。
今の彼女は王帯鉄火場の実質的な支配者であると同時に、クラウディオの側近中の側近だ。武力や政治的立場から右腕になる道は途絶えているが、懐刀の一振りであることは間違いない。
そんなアドリィが、未だにアリアンに執着しているとは思えなかった。
この点においては、十四年前の彼女しか知らぬアリアンより、十四年間の彼女を知る俺の方が正確に捉えている自信がある。
「ただ繰り返すが、これは頼みじゃない。できれば来てほしかったってのが本音でも、それとは切り離して話してると思ってほしい。……ここまでは理解してくれるか?」
乞い願うような思いで待つも、返されるのは沈黙ばかりだった。
それから数分も無言が続けば、俺としても腹を括るしかない。彼女の無言を肯定だと都合よく受け取り、再び口を開く。
「いつまで怯えているつもりだ?」
その一言で、アリアンの綺麗な顔が歪んだ。
「もう十四年になる。君は、もう立派な大人だ。どうしてあれほど躍起になって金を稼いだのか、今も飽きずに探偵事務所なんてやってるのか、俺だって知らないわけじゃない。だからこそ、言わせてもらうが」
彼女の瞳を見据え――いや、睨んで、答えなど待たずに言い放つ。
「君は帝都に戻るべきだ。キャロル、君は王帯鉄火場にいた、そうだろ? なら、戻るしかない。噂が風に運ばれてくるのを待つより、確かな手掛かりを掴みに行くべきだ」
アリアンに親はいない。
勿論、生物学上の父と母はいるだろう。人間である以上、両親がいなければ生を受けられない。
しかし、物心つく頃には、彼女は一人だった。
アリアンは、記憶にもない親を、未だに探しているのだ。
そのために金が必要で、危ない橋を渡った。結果として帝都にいられなくなり、こんな辺鄙な町の丘上に追いやられたのに、それでもなお探偵だなんて言い訳して情報を集めている。
ただ、それで見つかるとは思えない。
彼女の親は王帯鉄火場の人間だったはずだ。客か、従業員か、商品だったかは分からない。どうあれ帝都にいたはずの人物を探すのだから、探偵事務所を開くのなら帝都にすべきだ。
それを不可能にしたのが他ならぬ俺で、だからこそ蛇蝎のごとく嫌われているのだが、今は忘れておこう。
「今が好機じゃないのか? アドリィが執着してるなら、君が今ここで紅茶なんて飲んでいられるはずがない」
焦がれた恋心も、失恋の悲しみも、理不尽な欲望も、時は風化させる。
だが、全てを風化させてくれるわけじゃない。
時が経てば経つほど凝り固まっていく思いもある。俺にとっての怒りで、彼女にとっての恐怖だ。
「君はいつまでここにいるつもりだ? 今の君は、十四年前に逃げ出した少女のままだ」
頑固にこびりついた恐怖心は、彼女の足を今というここに縛り付ける。
いつか、なんて来ない。
縛り付けられたまま、いつまでも前に進めない。
「それでいいのか?」
俺に言えたことではないのかもしれない。
風化させたくないからと、怒りに薪を焼べ続けてきた俺には。
「あんたは――」
今にも泣き出しそうなほど歪んだ表情で、けれどもアリアンは力強く言葉を紡ぐ。
「あんたは、運が良かったんだよ」
ただの一言。
俺が彼女の心を抉ったように、彼女の言葉も俺の胸を突き刺してくる。
「あんたはさ、自分が不運だと思ってるでしょ? もしかしたらそんな風に責任転嫁はしないで、自分が弱かったからだって思ってるかもしれないけど。でも、どっちも同じ」
運などと、そんな言葉で片付けられるわけがないし、片付けたくもない。
だがしかし、運が悪かったと言えばそれまでだ。大半の傭兵にとって噂でしか耳にしない竜と遭遇してしまった。最も竜に肉薄していた俺だけが奇しくも生き残り、あとの三人は……リクとアイラとイザベルは、炎に焼かれ、そして食われたのだ。
運が悪かった。
そう諦めてしまえれば、どれほどよかったことか。
「何が言いたい?」
それでも自らの不運を言い訳にしたことはない。
にもかかわらず、アリアンの言葉が痛いほどに響く。
「あんたは不運なんかじゃなかった」
彼女が何を言おうとしているのか、理屈ではなく直感で理解できてしまった。
「あんたは、幸運だったんだよ」
瞳は泣きそうなのに口元は微笑に歪んだ、奇妙な表情。
射抜くかのように真正面から向けられた鋭利な眼差しと言葉に反発しかけ、はっと我に返る。テーブルの下で、俺自身の拳が握り締められていた。横にいるヨルクから気遣わしげな視線を向けられ、無言で首を振る。
大丈夫だ。
まだ、大丈夫。
「始まりがいつだったのかは知らないけど、あんたは十四年前には帝国の重鎮の政争に巻き込まれた。毒蛇に絡まれて、私には恨まれた。その少し後、王国は大変だったでしょ? アザル・ルーとの戦争があって、地獄が生まれた。あんたも戦場に立って、地獄を見た。そうでしょ? ……でも、あんたはまだ生きてる。望もうが望むまいが、死線は人を強くする。あんたはアザル・ルーとの戦場を生き抜いた、竜に襲われても生き残った、ウドゥリルとの戦争にも参加した。そして、まだ生きている」
自分がどれほどの形相をしていたのか、見えずとも分かる。
ヨルクは顔を背けた。
だがアリアンは、未だ俺を見据えている。
「竜に襲われたのが不運だって言いたい? 仲間を殺されて食われたのは不運だって?」
「……言い訳するつもりはない」
唸るが、相手はからからと笑った。
「当たり前だね」
一蹴と言っていいだろう。子供の駄々を笑って無視するかのような、冷淡さ。
「あんたの仲間が不運だって泣くなら分かるけどね、あんた自身は違うでしょ? 不幸中の幸いって言えば、まぁ不幸だったのかもしれないけど。でもあんたは、その幸いも手にした」
だから不運ではない、と。
仲間を亡くしても自身が生き残ったのだから幸運だ、と。
アリアンの言葉は、理解の埒外にあった。
不運か、より大きな不運かの二択ですらない。
不運か、幸運か。相対的な価値観でしか、両者を見ていない。
「あんたにはリースがいて、アルターがいた。リクがいて、アイラがいて、イザベルがいた。今はそこのヨルクがいる。新しい部下もできたんでしょ? あんたは幸運だよ。ずっと幸運だったんだよ」
「君にもアベルがいる」
アベルは、天涯孤独の子だ。
行商人だった親は旅の最中に隣人との『事故』で命を落とし、親を失った彼を顔見知りだった大人たちは見放した。
そんな彼を拾ったのがアリアンだ。助手として顎で使っている面もあるが、衣食住は平均以上に整っているし、曲がりなりにも探偵業の手伝いならば得るものは多い。
「そう、だからだよ」
仲間がいれば幸運だと言うのなら、アリアンとて例外ではない。
てっきり否定されるかと思った言葉に首肯で返され、まとまりかけた思考が霧と散る。
「何が言いたいんだ、アリアン」
繰り返し問うて、答えを待つ。
アリアンは、それでも理性的な人物だ。世間を知っているし、独学といえども広範な知識や知恵を持っている。しかし今の彼女の話は、どうにも要領を得ない。
何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか、今一つ掴めない。
「……あんたには、多分、分からないよ」
返された答えは、やはり要領を得なかった。
分からない、と言われてしまえば、どうしようもない。説明されれば、まだ努力もできよう。最終的には無理だとしても、歩み寄ろうと……理解しようと尽くせる。
彼女は、それさえ否定した。
歩み寄りさえ拒絶し、分からないと言い捨てる。
「……そうか、悪かったよ」
だからこそ、嫌でも分かってしまう。
「あんたは幸運すぎた。あんたには、仲間を竜に殺された者の気持ちは分かっても、竜に殺された者の気持ちは分からない。どれほどの恐怖か、どれほどの絶望か、あんたは知らない」
アリアンは生きている。
彼らとは違い、彼女は竜に殺されてなどいない。
これは、だから別の話だ。
「あんたの……セオの言う通りかもしれない。アドリアーノと会って、水には流せなくても、禍根は断てるかもしれない。帝都に事務所を構えて、堂々と探せるようになるかもしれない」
彼女に言わせれば、俺は知らないのだ。
権力と暴力を盾に尊厳を、あるいは命を奪われかけた女の気持ちなど。
「でも、今はアベルがいる。帝都に行かなくても、この町に事務所がある。たとえ見つけるのは無理だったとしても、探すことならできる。それを捨ててまでアドリアーノに会うなんて……、自分が幸運に恵まれることを信じるなんて、私にはできない」
要領を得なかった彼女の言葉は、俺に対する答えだった。
今のこの状況を過去の呪縛を断ち切る好機と捉えるのは幸運に恵まれてきた者の考えであって、不運に溺れてきた者には悲劇の予兆にしか見えない。
言われてみれば、なるほど、筋は通る。
それに俺と彼女は知り合い程度の関係性でしかないのだ。嫌がる理由を知ってなお説得する必要性などないし、無理強いするなど以ての外だろう。
「あの娘たちを預かれって言われたら、報酬次第で考えるけど?」
「それは俺の決めることじゃないな。君から確かめてもらっていいか?」
「じゃあ、この紅茶はあんたの奢りってことで」
話はまとまった。
できれば明日にでも出発したいところだが、エリノアとベアトリーチェが同行するなら明後日になるか。どうあれ、少なくとも半日はゆっくり休めるわけだ。
これまで働いてくれた馬の後始末はヨルクがしてくれたし、帝都行きの馬車の手配は俺たちが王国を出る前に済んでいる。
あとは二人の判断を待つのみ、――なのだが。
「アリアン」
一言で言えば、意地だ。
あるいは、執着と言ってもいいのかもしれない。
「君は探すと言ったな? 見つけるのは無理でも探すと」
不運だろうが幸運だろうが、どっちでもいい。
そもそも俺は、運に頼ったつもりなどないのだ。言い訳にもしてこなかった。
あるのは目的と、そこに辿り着くための道だけだ。
「俺も探しているさ。そしてな、君とは違う。必ず見つけ、必ず果たす。君が自らを不運だと言うのは勝手だし、俺のことを幸運な野郎だと思ってくれても構わない。だがな――」
ただこれだけは、言っておかなければならない。
他でもない、俺自身に向けて。
「見つかると信じてるわけじゃない、見つけると信じてるんだ」
俺とアリアンはよく似ている。
もう取り戻せない過去にすがって、無様にすがる気持ちだけを糧に現在という足場に立っているようなものだ。その過去を忘れてしまったら、捨て置いてしまったら、何も残らない。
もしかしたら俺たちがそう思い込んでいるだけで、実際には別の何かを既に手にしているのかもしれないが。
彼女にはアベルが、俺にはヨルクや部下がいる。
過去ではなく現在を見据えれば、未来にはまた違う光景が広がることだろう。
だが、今はまだ。
「やっぱり、私はあんたが嫌い」
「そりゃご丁寧にどうも」
自分の欠点は目に付かずとも、自分によく似た他人の欠点には嫌でも目がいく。
だからこそ、なのだろう。
「俺も君は苦手だね」
俺とアリアンは反目し合い、同時に理解し合えている。
「あんたと仲良くしないで済むならそれに越したことはないけど、でも仕方ないか。あの優男が原因で困ってるっていうなら、せめて女の子くらいはどうにかしなくちゃね」
一件落着、というほどのことでもない。
まぁでも、少しは肩の荷が下りた。リースからはエリノアとベアトリーチェの今後について何も依頼されていないが、それは言うまでもないことだったからだ。
これで二人の少女を見捨てたのでは立つ瀬がないし、かといって帝都にまで連れていくわけにもいくまい。俺たちの用事が済むまでアリアンが面倒を見てくれるなら、不安材料が一つ減ることになる。
大丈夫だ。
そもそもアドリィと――、その上のクラウディオと致命的に敵対すると決まったわけでもない。
「まぁ、ここは素直に礼を言うよ」
笑い、席を立つ。
そして給仕を呼んで会計を済ませようとしたら、気を遣って沈黙を貫いてくれていたヨルクが先手を打った。さっさとカウンターに向かって、自身の財布から三人分を支払ってしまう。
これもまた、立つ瀬がないと言うべきか。
俺はしばし悩んで、八つ当たりの一言を口にする。
「くどいようだが、リースにも手紙くらい出してやったらどうなんだ?」
揶揄の笑みを浮かべていたアリアンが、一転、目を泳がせた。
「……ほら、今はあいつには触れない方がいいでしょ。自分から火の粉に飛び込んでく馬鹿はいないし」
「そうかい。ま、そういうことにしといてやるよ」
あれから十四年が過ぎた。
また同じだけの時が流れてしまうと、ドレスを着ての挙式は些か難しくなりそうだ。
「セオ様、まだ何か?」
さて、人の世話ばかり焼いているわけにもいくまい。
「いや、行くよ。今晩の宿を探さないと」
「ノー。もう一部屋押さえてあります」
「…………さいですか」
早速向けられた嘲笑には背を向けて返し、先んじて歩くヨルクの後を追う。
なんで大人の男二人を一部屋に押し込もうとしたのか、その意図は聞くべきではないだろう。