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十話

 少女の斧は、その姿と似て歪だった。

 いや、形状はそこまで奇妙ではない。大きく湾曲した刃は満月が少し欠けた形で、三日月にも見える。とはいえ美術品のように形ばかりを意識した造りというわけでもなく、武器の姿としては不足なかった。

 俺が言っているのは、剣でいうところの太刀筋、つまりは斧の使い方である。

 少女の斧は、その多くが下段から放たれていた。

 本来であれば大上段からの振り下ろしが最も重く、決定的な一撃となるのだが、彼女の場合は真逆だ。大上段に構えた時は、ほとんど無視してしまっていい。斧を目眩ましとした蹴りや回避にこそ注意を払う必要がある。

 それは、はっきり言って異様だった。

 まともな知性を持たない獣でさえ、下から上に振り上げるような攻撃はしない。

 当然だろう。重力に逆らう上向きの攻撃より、重力を味方にできる下向きの攻撃の方が重くなるのだから。より効率的に致命傷を与えるには、あるいは直接的な打撃でなくともより圧力をかけるには、上から下に振り下ろす方がいい。

 無論、鎧の継ぎ目や心臓という点を狙うために突きやそれに類した攻撃に特化する場合もあるが、大抵『必殺』といえば振り下ろしになる。

 そして、だからこそ盾使いにとっての基礎とは、上からの力を受け流すことだ。

 だが少女の放つ斬撃を受ける時は、身に染み込んだ基礎が邪魔になる。

 先ほどヨルクが飛ばされたのも、同じ理由だろう。常ならば抑え込む方向に向かうはずの力が反対に向き、むしろ推進力となってしまった。

 とはいえ、あの一回に限って見れば幸運だったか。

 抑え込もうと下手に正面から受けては、そのまま潰される。

 どこにそんな力を秘めているのか、メイと名乗る少女の剛力は文字通り異常だ。ヨルク以下の体格であれほどの力を出すには、それこそ火事場の馬鹿力と呼ばれる類いの瞬間的な爆発力でもなければ納得できない。

 しかし現に、彼女は瞬間的ではない、けれども爆発的な力を見せている。

「ヤクか?」

 常軌を逸した斧使いや態度から裏社会の闇を連想するも、それにしても尋常ではない。肉体を守るためのストッパーが外れているというより、これは――。

「よそみするひま、まだあるのっ? さっすがぁ!」

 からからとした甲高い笑い声とともに放たれたのは、下段に構えた大斧を斜めに振り抜く、威力も速度もピカイチの大技。

 ただ、言ってしまえば、それだけだ。

 威力も速度もピカイチ? そんなもの、評価するまでもなく当たり前のことだ。

 リースのような剣の才に恵まれず、アルターのような戦術、戦略眼も持たなかった俺がA級にまで上り詰めたのは、ただただ愚直に剣と盾を扱い続けてきたからに他ならない。

 剛力? そんなものはリースの剣捌きに比べれば子供みたいなものだ。

 意外性? 意図的に相手の裏をかき続けるアルターの方がよほど恐ろしい。

「本能的直感と、野性的合理性。それが貴様の武器で、行き着く果てか?」

 笑わせるな。

 種は、見切った。

 なるほど、研究されている。斧が描く軌跡は、とことん嫌な形だった。だが、それだけ。嫌がらせにはなっても、決定力には欠ける。

 何故か?

「時間がなさすぎたな。二十年戦い続けてきた俺に、たかだか十数年の命で勝てると思うな」

 眼前の少女は、究極的には少女でしかない。

「ヒヒヒッ、わかった? わかったっ? なら、いいよねっ!」

 瞬間、メイの目の色が一変する。

 と同時に、斧の苛烈さが増した。

 上段に跳ね上がった斧が翻り、脳天を目指す勢いで叩き付けられる。対する俺は一歩下がって刃を盾で受け止める……わけではなく、その反対、一歩前に出て盾を押し込んだ。

 刃ではなく柄を押さえられた斧は不自然に硬直し、直後に真後ろへと引かれた。

 メイが後ろへ跳んだのだ。

 無論、そのまま膠着状態に陥ってくれるはずなどない。

 着地と同時に再び跳躍し、弾丸のごとく突っ込んでくるメイに対し、今度こそ身を引いた。限りなく水平に近い放物線を描く斧が下降を始めたところで受け止め、強引に横へと流す。

 前衛に最も重要なのは膂力と体幹だが、盾使いにとって次に重要となるのが見極める目だ。

 刃を受け止め、受け流す盾といえど、衝撃そのものを帳消しにできるわけではない。受ける度に角度や位置を調節し、最も衝撃が少なくなる状況を作り上げる必要がある。

 常人であれば腕どころか全身が粉砕されるほどの威力を誇る竜の一撃とて、Aプラスの盾使いであれば真正面から受け流せるという。

 俺には、まだそれほどの技術はない。

 だが悲しいかな、眼前の少女は、竜ではなかった。

 常人離れした膂力があっても、あるいは人間離れしていたとしても、竜に比肩するほどではない。

 右から左へ、左下から右上へ、大上段から真下へ。

 すらすらと紡がれる歌のように淀みなく続く斧の軌跡は、しかし盾のこちら側に踏み込めない。

 前後左右、時には上下にも大きく揺れ、動くメイとは対照的に、俺の足は半径一メートル以内を行ったり来たりしている。

 これが差だ。

 そもそも、盾に決定力はない。

 あくまで防具の延長線にあるのが盾だ。ゆえに盾使いは、本来なら組織戦でこそ真価を発揮する。ウズザルの群れ相手にヨルクが即興でやってみせたのが理想形と言ってもいい。

 盾で受け、剣で斬る。

 その剣がなければ、盾使いはどうなるか。

 ジリ貧だ。

 いくら完璧に受け流し続けても、残るのは盾の傷ばかり。いずれ持ち主以前に盾が力尽き、盾を失った盾使いに為す術などない。

 ただ、それとて実力が拮抗して初めて成り立つ話だ。

 縦横無尽に跳び回るメイの姿は、傍目には戦況を支配しているように見えるのかもしれない。

「……っ」

 けれど少女の目にあるのは、紛れもない焦燥だった。

 目眩ましにもならない牽制の上段斬りが放たれ、その終点で刃先が翻る。必殺だったはずの斬り上げが盾の上を滑り、天井を向いた。

 もういいだろう。

 十中八九、次も上から振り落とされる。

 その次は下からの斬り上げ。斜めに飛ぶかもしれないが、だとすれば次はより力が伝わりにくい斜め斬りに移行するか、あるいは仕切り直しに後退するしかない。

 だから、もういい。

 上から下へと翻る一瞬だけ、斧はメイの膂力ではなく、自然界の重力に委ねられる。

 最も合理的で、ゆえに最も読みやすい決定的な瞬間。

 ずっと補助にしか使ってこなかった右手の剣を、その時初めて、俺は武器として振るった。

 なんてことはない、柄を横に滑るだけの斬撃。

 ほとんど威力はなく、斧の一撃を止めるには至らない衝撃だ。

 しかし、それだけで十分だった。

 メイが斧の柄を握り直した時には、もう遅い。ほんの一センチ、いや数ミリずらしただけで、軌道は大きく横に逸れる。ずっと身体の前に立ててきた盾を脇に寄せれば、道が空いた。

 剣の進むべき道が。

「ィ――ッ!?」

 横薙ぎに振るった剣が硬い触感に阻まれ、代わりに盾を襲うはずだった衝撃がいつになっても訪れない。

 よくもまぁ反応してみせた、と褒めるべきだろうか。動物的本能は恐ろしい。あと五年もあれば、正真正銘の化物に化けていたのだろうが。

 だが今はまだ、届かない。

 斧を防御に向けてしまったメイは、もう攻撃に転じられなかった。

 受け流すだけなら剣の方がよほど楽なのに、どうして盾を使うのか。当然のことだが面積があり、より広範な対処が可能だからだ。剣では、受け流せる幅が少ない。

 そんな剣より重く、また長い柄のせいで取り回しが悪い斧で受けようとすればどうなるか。

 必然、無理な体勢や動きを強いられる。

 左脇腹から心臓を狙った一撃は柄に弾かれたが、そのまま直上から脳天を狙う一撃には相手の対処が間に合わない。それでもメイは柄を蹴り、無理やり斧を回転させて受け止めた。

 柄の半ばを両手で支える、本来は有り得ない体勢。

 その状態から心臓や脳、目など急所を守るのは難しい。

 しかし、眼前の少女ならばやってみせるという確信があった。

 両の目が瞬時に俺と周囲を見定め、薄い筋肉に司令が飛ばされるのが見て取れる。命令は即座に遂行された。上向きになった斧は刃で頭と目を守り、柄では守りきれない心臓には左腕が回される。

 リースならまだしも、俺にはその守りを一手で貫くには至らない。

 まぁ、そんな気は元々なかったのだが。

 俺が放ったのは、剣ではなく盾での一撃だった。防御姿勢を無視しての、正面からの突撃。

 急所への一突きを確信していたであろうメイは咄嗟に対処できず、盾の重みをそのまま受けてしまう。

「へっ?」

 そして続くのも、彼女の予想を裏切っていたはずだ。

 がら空きだった横っ腹を剣の腹で殴り付け、衝撃を殺そうと横に跳んだメイに足払いをかける。それでも踏み留まってみせたのは天晴というべきか、愚かというべきか。

 先んじて振り上げていた右足が再び彼女の横腹を叩き、小さな口から苦悶の声と唾液が零れる。

 だが、まだ終わらせない。これで終わらせていいほど、メイという名の少女は弱くない。

 盾を斧に叩き付け、少女の手から強引に奪い取る。直後、守るものを失った鳩尾に剣の柄頭が突き刺さった。それでも立っていられてしまう少女が、今は憐れだ。

 足を振り上げ、顎を貫いた。

 脳震盪ゆえか単なる衝撃のせいか揺らいだ彼女の胸を、同じ足で蹴飛ばす。

 そこまでやってようやく、少女の身が床に横たわった。虚ろになった瞳が天井を見上げ、口が言葉にならない声を漏らす。

「セオさ――」

「立て」

 終わったと思ったのだろう。

 駆け寄りかけたヨルクを無視して、横たわる少女に言い捨てる。

「立て」

 あれほどの斧を握っていたとは思えぬほどに細い指がピクリと動き、瞳に意思が戻る。

 そこに宿った光は、なんだろう。

 恐怖か、憎悪か、また別の何かか。

「立て」

 三度目の呼びかけ――否、命令でメイが床に手の平を付ける。

 ほとんど片腕の力で上半身を持ち上げ、次いで足腰に力が入った。だらりと下がった腕が転がっていた斧の柄を握り、瞳が戦意の輝きを宿す。

「まだ、まだ――っ!」

 そして一直線に走り出した少女の腹に、今度は拳が突き刺さった。

 その時、斧は、構えられてすらいなかったはずだ。それだけの力も残っていないし、残せるような仕打ちでもなかっただろう。

「立て」

 堪える力もなくうずくまってしまった少女に、なおも繰り返す。

「立て。……それとも、もう立てないのか? はじめの威勢はどこにやった? その斧はなんだ? 貴様はなんのために俺の前に立った?」

 兵士が一人殺された。

 少年兵たちが殺し、殺される覚悟で剣を手にしていた。

 なんのために――?

 なんのために、こんな茶番が演じられた?

「立て。でなければ、二度と立てなくしてやる」

「フゥ――ッ!」

 下を向いたままだったメイが強く息を吐き、顔を上げる。

 瞳には、未だ戦意があった。

「おい、なぁ、セオ――」

「来るなよ? ヨルク、君もだ。これは決闘だ、そうだろう?」

 疑念を帯びた声を投げてきたエミールに言い捨て、最後の問いだけを少女に向ける。

「ケットウ…………そう、決闘。メイは、セオと、たたかう。そういう、掟」

 反吐が出る。

 兵士の命を奪い、少年少女を無理やり戦わせ、結局はそれだ。

 連中にとっては自分たちの命でさえ同程度の価値すらないのだろう。戦い、捧げ、願う。ただ願うためだけに、命を散らす畜生ども。

 何が隣人だと、吐き捨てたくもなる。

「ならば、戦え」

 そうと分かっていて犬歯を覗かせる俺も、だから畜生の仲間だ。

 なるほど、隣人とはよく言ったものである。

 奴らを亜人――、似ているだけで決定的には劣る人間もどきと言い捨てる教国の方がマシに見えてしまうほどだ。

「レイ・ジ・メイ。それが貴様か」

「始祖様に、決闘、捧げる。メイと、セオのっ!」

 少女は、それから五度も意識を手放しかけた。

 走っては蹴られ、倒れては起き上がり、また斧を手に走り出す。

 だが六度目には、意識を握っていられなくなった。数秒間も眠り続け、蹴られて起きて、再び蹴られて沈んだ。八度目には、とうとう起きなくなった。


 レイ・ジ・ドグは竜の末裔であると自負している。

 しかし彼らは、贔屓目に見ても『蜥蜴人間』が関の山だ。大空を飛ぶ翼はなく、炎を作って吐き出す器官も持たず、あるのは竜に劣る鱗と目と尾だけ。二足歩行な分、蜥蜴の方がまだしも竜に近い。

 目に見える現実を受け入れずにいられるほど、彼らは強くなかった。あるいは愚かではなかった。

 ゆえに、彼らは考えたのだ。

 竜と自らを隔てる何かが、幾星霜の中にはあったのだと。

 レイ・ジ・ドグ――、竜の末裔。

 彼らは竜になりたいわけではない。

 むしろ、それは目的とは程遠いものだ。

 彼らにとっての竜とは、言わば神のようなものであるらしい。竜を祖先と信じる彼らにとって、それは母であり、祖母であり、自分たちを産み落とした創造主だ。

 ゆえに、竜になりたいとは思わない。

 ただ言葉を持たぬ赤子が大声で泣くように、彼らは竜との対話を望んでいる。

 長い長い時の中で失ってしまった竜の言葉を取り戻し、再び話をしたい。それは母親を失った幼子のような発想で、そこだけを切り取れば応援をしてやりたくもなる。

 だが、彼らの選んだ手段は、親を探して探偵になろうとした馬鹿な少女とは違い、あまりに人間の理解を離れたものだった。

 レイ・ジ・メイ――、竜の巫女。

 竜とは違う、けれど竜に通ずる超常の力を持つ者。

 それが彼らの選んだ『手段』である。

 魔法なる眉唾物の秘術を使えるとか、あるいは竜の言葉を話せるとか、そういうわけではない。ただ少し通常より優れた力を持っている、その程度のものだ。

 メイと名乗った少女の尋常ではない膂力を目の当たりにした時、俺が最も先に疑ったのも同じ存在だった。

 病気、と言ってしまっていいのかは分からない。

 同じことを教えられても覚えの良い子供と悪い子供がいて、運動ができる子供とできない子供がいて、もっと端的には背の高い人間から背の低い人間までいるのは当たり前のことで、どれも『個性』の一言で片付けられてしまう差異だ。

 しかし、時に『個性』の一言では片付けられないほどの差が生まれることがある。

 少女のように人間離れした能力を持つ子供が生まれることが、過去にもあった。

 原因は分かっていない。

 竜の肉を食べた者の子供だと言われたり、異種族と交わった母親から生まれると言われたり、かつて人間が人間ではなかった頃にまで遡った先祖返りを起こした結果だと主張する者も中にはいる。

 なんにせよ、原因が分からない以上は病気とも断定できない。

 各地方や政府、機関や分野によって呼び名が異なるそれを、レイ・ジ・ドグはレイ・ジ・メイ――、竜の巫女と呼ぶ。

 そして、それは人間以外にも見られる『症状』だ。

 当のレイ・ジ・ドグの中にも身体に異常な発達が見られる個体がいた例があるし、まさに竜と見紛う姿をした個体も過去には目撃されたという。

 レイ・ジ・ドグにとって、種族など些事に過ぎない。

 そもそも全く異なる生物であるはずの竜を自分たちの祖先だと言い張る彼らだ。竜の巫女が人間だろうが隣人だろうが獣だろうが、あるいは男だろうが女だろうが雄だろうが雌だろうが関係ない。

 大事なのは、それが竜の巫女であると認められること。

 判断基準は、症状の原因同様、明らかにはなっていない。

 ただ、どうあれ、目に見える現実が何より雄弁に真実を語る。

「貴様らは取引したのか、隣人と。赤の隣人、レイ・ジ・ドグと」

 隣人との取引は、原則としてご法度だ。

 最低でも政府機関による合法的な決定、現実的には複数国による同意が必要なほどに、隣人との付き合いは人間側の足並みを揃える必要がある。でなければ九年前や六年前同様、避けられたはずの戦争で悪夢を呼び起こしかねない。

「無論」

 にもかかわらず、その男、クラウディオ・デーニッツは平然と頷いてみせた。

「なに、簡単なことだ。連中は貴様を――、竜に選ばれた者を欲していた。私には拉致された子供たちを取り返し、かつ不穏な動きを見せるサヅチを黙らせる義務があった。そこに正義があるのならば、隣人とでも手を結ぼうとも」

 何が正義だと吐き捨てたいが、そんな時間は既にない。

「貴様の言う正義が、あの少年兵たちか。あの兵士の死か」

「いやはや、私も全知全能ではない。飼い犬に手を噛まれることもあろう。亜人どもと会話できた気になって信用したのが悪かったな。勇敢なる殉死者の遺族には、どれほどの言葉を尽くしてもなお足りない」

 隣人と言ったその口で、次の瞬間には犬だ亜人だと言い放てる男の内臓は、さぞ真っ黒なのだろう。

「つまり、貴様は貴様自身の失態を認めると? これは貴様が引き金を引いた結果だと?」

 柄にもなく糾弾してみるが、結末など火を見るより明らかだ。

「つまり、貴様は教国への密入国及び密出国を認め、その上で教国国民二名の誘拐まで自供すると? はっは、大した正義感じゃないか」

 最初から分かっていたことだ。

 いかなる不法行為を目にしようとも、全てリースの一件で手打ちにするしかない。

 この会談自体、公のものではないのだ。

 場所は大広間から、元々エミールたちがいた控室に移っていた。レイ・ジ・メイの少女も運び込まれ、今はクラウディオ側が用意した人員の監視下ですやすやと寝息を立てている。

 晩餐会に招待されていた客たちにも、事態の収束が伝えられている頃だろう。

 どんな『真実』が伝えられるのかは分からないが、総合的に見てクラウディオの立場が悪くなることはない。精々、政治家たちが事件に巻き込まれたと恨む程度だ。

 むしろ被害を兵士一人に抑え、招待客は皆無傷であり、少年兵を一人残らず確保した、という手柄だけが残る。

 その口振りを考慮すれば、いずれサヅチの大移動という世間を賑わせている騒動の収束もクラウディオ・デーニッツの手柄の一つに数えられることになるだろう。

 俺たちは彼の指で動かされる駒に過ぎなかったというわけだ。

 まぁ、六王殺害の濡れ衣を着せられるなんていう最悪の想定に比べれば幾分もマシだが。

「くそったれ。……これで終わり、なんてわけもないんだろ? あんたが直々に顔出したんだ。まだ一つや二つ、厄介事が残ってるに決まってる」

 予定通り、互いの不法行為には目を瞑る。

 クラウディオは満足げに頷き、それからアドリィに目配せした。

「あとは私が引き取りましょう」

 相変わらず思い切り左足を露出した格好のアドリィが一歩踏み出し、代わりにクラウディオが身を引く。そのまま幾人かの護衛を引き連れ、彼は部屋を後にした。

「セオ、あなたが真っ先に知りたいこと、それは彼女の処遇ですね?」

 ちらと見やった先には、あれだけ蹴ってやったのに幸せそうな顔でむにゃむにゃと寝言を言っている少女がいる。

「レイ・ジ・ドグの民に連れ去られ、レイ・ジ・メイとしての教育――いえ、洗脳を受けた彼女を一般の施設に委ねることは不可能です。しかし一方で、真相を明らかにしない以上は隣人絡みの被害者として専門機関に預けるのも容易ではありません」

 実際には、六王の権限を使えば一人や二人を押し込むことくらいは容易いだろう。

 しかし、そんなことをすれば他の六王、特に古狸のブルーノ・ドーフラインに弱みを握られる。軍時代からの政敵に弱みを見せてまで少女を救うほど、クラウディオは善人ではない。

「また、今回取引したレイ・ジ・ドグの部族との間にも、そうした処置の合意はありません。レイ・ジ・ドグの要求は二者択一です。一つはレイ・ジ・メイの返還、一つはレイ・ジ・メイの処遇を竜に選ばれた者に委ねること。……この場合の『処遇』とは、『所有』と置き換えてもらう方が適切に理解してもらえるかと思います」

 そして無論、クラウディオの側近たるアドリィも善人ではない。

 こんな堂々と相対しているが、結局は俺たちを罠にはめたクラウディオの味方だ。俺たちが傭兵団ではなくどこぞの裏組織であれば、報復として彼女を帝国北部の海に沈めている。

「それを俺が拒否したら、あんたらはどうする?」

 事情はどうあれ、レイ・ジ・ドグに人間の少女を引き渡すような真似はすまい。仮にその選択肢があるのなら、そもそも俺に話を持ちかけはしなかっただろう。

 俺のことは利用するだけして、用済みになったら王国行きの馬車に乗せてさようなら、だ。

「いいえ、あなたは拒否などしないでしょう。たとえ私たちが万全の体制で保護すると言ったところで、あなたはあなた自身の意思で、彼女を引き取ると申し出るはずです」

 俺の心中を推察するくらい容易いだろうが、仮にそうだったとしても首を傾げたくなるほどに強く断言するアドリィ。

「何故だ? なんでそこまで言い切れる?」

 ほとんど確信と言っていい、まるで嘘偽りの見られない語調に、俺は思わず訊ねてしまっていた。

 それが彼女の求めていた言葉だと、露ほども思わずに。

「何故ですって?」

 その笑みが、見慣れた毒蛇のものではないと気が付いた直後。

 俺は、俺自身の失態を思い知らされることとなる。

「彼女があなたの――いえ、あなたと私の娘だからですよ、セオ」

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