scene:05 力なき理想
ミシェエラという老婆との夕食を終えて城に戻ると、マリナはエリザから地下蔵へワインを運ぶように頼まれた。
地下蔵には樽だって並べられるような立派なワインセラーがあり、マリナはそこへ木箱に入ったワインボトルをそのまま運び込む。閑散としたワインセラーに用意されたこぢんまりとした棚は、まるでエリザベートという少女のかつての栄華と、現在の困窮具合を象徴するようだった。
「マリナさん?」
マリナが棚へワインボトルへ移していると、指示を出したきり姿を消していたエリザが戻ってきていた。手にはなぜか便箋を持っており、それをマリナへ「はい」と差し出してくる。
思わず手に取った白い便箋には、赤い封蝋に竜の印章が押されていた。
「これは?」
「家政婦派遣協会への紹介状よ。わたしのサインと、うちの印璽を押してあるから効果は抜群だと思うわ。きっと上客へ派遣してもらえるはず」
「そうなのか?」
「そりゃもう。これでもわたし、貴族ですからっ」
「“これでも”って自分で言うのかよ……」
えっへん、という音が聞こえそうなほど得意げに胸を張るエリザに、マリナは苦笑しながら「あんがとよ」と礼を言った。
言いながら思う。
――これで良いのだろうか、と。
確かに『武装戦闘メイドになりたい』と願ってこの世界へ来た。こうして家政婦派遣協会とやらに紹介して貰えば、メイドにはなれるのだろう。
けれど本当にそれで良いのか。
オレが『武装戦闘メイド』になりたいと願ったのは、仕えるべき主を見つけて尽くす彼女らの信念が美しかったからではないのか。オレが本当に欲しいものは主人であって、メイドという立場では無いのではないか。そんな葛藤がマリナの中には生まれていた。
だが、同時にマリナの中にいる冷徹な声が忠告する。
仕えるべき主など見つかるわけがない、と。
ならば家政婦派遣協会とやらに所属して、求めていた主とは違ってもそれなりに納得できる主人を探す方が賢明。
オレが仕えたい、支えたい、守りたいと思えるような主人。
言葉にするならそれは、
社会思想や政治思想に囚われず、
正義や常識を振りかざさず、
それでいてその行動だけはたしかに正しく、
自身の言動に責任を持ち、
自分自身には嘘を吐かない『人間』。
――ということになる。
誰だそれは。神様か?
なるほど神様ならアリ得るだろう。異世界ならば、神や天使も存在するかもしれない。――だが、オレが尽くしたいのは『人間』だ。
そして『人間』にそんな奴がいるわけがない。
異世界だからといって、そんな奇跡は存在しないだろう。
「? どうしたの、マリナさん。難しい顔してるわよ」
「あ? ……あ、いやなんでもねえよ。ずいぶんと親切にしてくれたと思ってな」
「ええ。だってエッジリアさんの件では本当に助かったもの。それに今日一日、色々と手伝ってくれたし。むしろこれだけしか出来ないのが申し訳ないわ」
「いいよ、貧乏人にたかるような趣味はねえ」
「……あなた、優しいけど口が悪いのね。協会ではちゃんと猫をかぶって――」
と、
その時、地下蔵に呼び鈴の音が響いた。
正門のそれを誰かが鳴らしたのだ。
思わず、マリナとエリザは顔を見合わせる。
「誰だ? もう夜だろう」
「……エッジリアさんかも。あの人、貴族に迷惑をかけるのを生き甲斐にしてるから」
「可哀想な男だな。じゃあ、オレが相手してくるわ」
「いいの?」
「当然。今日一日は、あんたのメイドなんだからな」
マリナが肩をすくめてみせると、エリザは「じゃあお願い」と笑みを溢す。
「わたしはワインの在庫みてるから。もし必要なら呼びに来て」
「あいよ」
マリナは振り返らず手を振って、正門へと向かった。
地下蔵から正門まではかなりの距離がある。そもそも地下蔵へ行く階段は二階にしか無く、一階の正門へは階段を上ってから降りなくてはならない。それから正面エントランスへ続く長い廊下を抜けて、ようやく正門へと至る。この古城、チェルノートは何百年も前の城を改築したものだというから、敵の侵入を防ぐための工夫なのだろう。しかし面倒なことこの上ない。
そして正面エントランスの扉を開いたマリナは――
――瞬間、反射的に脇の壁へと身を隠した。
なんだ今のは。
マリナはゆっくりと、扉の脇から顔をのぞかせる。
正面エントランスから伸びる石畳の道。
その先には古城を囲む高い塀に埋め込まれた、高さ5メートルほどの分厚い正門がある。
――それが跡形もなく破壊されていた。
木を金属で補強した分厚い正門の扉。今やそれは障子紙のようにビリビリと破かれ、成人男性の背丈ほどもある蝶番ごと吹き飛ばされていたのだ。
それだけではない。傍に停めてあった馬車も粉々になっており、幻獣の首が切り落とされて辺りに鮮血をばら撒いていた。地面はあちこち抉れてクレーターのような跡を残している。ここが異世界でなければ、迫撃砲を何発も撃ち込まれたかと判断するような惨状。
何者かによる襲撃だ。
マリナのゲリラ兵としての経験と直感がそう結論づける。
マリナは思わず腰に手をやるが、丸腰であることを思い出して舌打ちをする。
けれども丸腰であろうと対処せねばならない。襲撃者の目的も規模も分からないが、まずエリザを逃すべきだろうとマリナは判断。狙われるとしたらエリザしかいないのだから。
マリナは音を立てないよう、ゆっくりと正面エントランスを後にする。
そうして敵地への破壊工作のために忍び込む時のような慎重さと迅速をもって城の中を移動しながら、マリナは考えていた。
そもそも、何故この事態に気づけなかったのか。
あれだけ巨大なものが破壊されれば、それだけ大きな音が出るし地下へ振動も伝わるだろう。それが一切無かったのは一体何なのか。あれは明らかに巨大な力で無理やり破壊したもの。それならその力は、空気や地面へと伝達され拡散されなくてはならない。それが一切無いなんてことはあり得ないはず――そこまで考え、マリナはようやく気づく。
ここはニッポンじゃない。
――異世界だ。
エリザも言っていたじゃないか。魔導式という名の魔法のような存在を。どこまでの事が出来るのかは分からないが、音も振動も消せるとしたらソレしか考えられない。襲撃者は音もなく正門を破壊し、逃げ足を潰すために幻獣を殺したのだ。そして今も、どこかに潜んでいる。
そう思考を巡らせながらもマリナは周囲を警戒。神経を尖らせて城の中を進む。そのうちに地下蔵へと続く階段へと辿り着いた。
だが、未だ襲撃者の影も形もなかった。
これまで通った城の廊下や壁には足跡や物に触れた跡もなく、窓ガラスも割られていない。本当に襲撃者はいるのか。それとも魔導式はあらゆる痕跡を消せるのか。
なら、もしかして既にエリザは襲撃者の手に……。
そう考えながら階段を下りたマリナは、ワインセラーの入り口にエリザの姿を認めて、思わず安堵のため息をついた。
「おい、あんた無事か」
「あ、マリナさん。やっぱりエッジリアさ――」
声をかけたマリナの、その背後を見たエリザの目が大きく見開かれた。
その意を察して、マリナは背後を振り返る。
2tトラック並みの体格を誇る、鎧を着込んだ獅子が牙を剥いていた。
そこでマリナは全てを悟った。
自分は道案内をさせられていたのだ、と。
そもそも破壊行為に気づかせないように音を消した人物が、呼び鈴を鳴らすわけがない。
もし鳴らしたのだとしたら、それは中にいる人間を誘き寄せたかったから。複雑に入り組んだ城内を無闇に探索するよりも、誰かに案内させた方が効率が良いからだ。そして案内役自身にも自覚のないまま、目的地へ誘導するよう仕向けられるなら完璧。――生前、マリナも使った手だ。
獅子が、右脚を振りかぶる。
死ぬのか、また。
結局、オレは――
そう死を覚悟したマリナの視界が、横へとブレた。
何者かに突き飛ばされたのだと気付いたのは、その一瞬あと。
突き飛ばしたのがエリザだと分かった時にはもう、獅子の爪は彼女の背中へと食い込んでいた。
振り下ろされた右脚の角度が悪かったのか、エリザの身体は突き刺さった爪に引き裂かれるのではなく地下蔵の奥へと吹き飛ばされる。ろくに物のない地下蔵の石畳を何度もバウンドしながら転がって、エリザの身体はワインセラーの入り口でようやく止まった。
あまりのことに、マリナの思考は凝固してしまう。
助けられた?
何故?
何故、オレを助けた?
あんたは世間知らずで夢見がちな公女様じゃなかったのか?
そう問いかける視線に促されたかのように、エリザの身体がヨロヨロと持ち上がる。生きている。エリザは顔をなんとか顔を上げ、マリナを見た。
思わずマリナは手を伸ばし、じっとしてろ、と声をかけようとして、
「マリナさんっ! 走って!!」
そのエリザの声で、マリナは弾かれたように駆け出した。
途端、背後に再び獅子のような生物の足が振り下ろされる。間一髪、命を拾ったマリナは振り返りもせずに地下蔵の奥へとひた走った。
その先は行き止まりでしかないが、一瞬でも長く生きて戦うことをマリナは叩き込まれている。たとえいずれ死ぬと分かっていても、一瞬でも長く生き延びて敵に抵抗する。それがゲリラの戦い方だったからだ。
だが、それでも走るのは四つ足の動物の方が速い。
マリナはすぐ後ろに獅子が迫ってきていることを感じた。次の瞬間には飛びかかられ、喉に噛みつかれ、首と胴体を切り離されるだろう。この魂魄人形の身体は血は流さないだろうが、首が落ちても生きているのだろうか。
マリナは前方で横たわるエリザを見た。
自分でも理由は分からない。
ただ、見たかったのだ。
だが、エリザの方はこちらを見ていなかった。
その視線はマリナの頭上、魔導灯と呼んでいたシャンデリアに向けられている。そして彼女の手は、手首に嵌められた腕輪を握りこんでいた。
その腕輪から光が発せられる。
――マリナは知る由もなかったが、それはこの世界の人間が『魔導干渉光』と呼ぶ魔導式発動の兆候だった。
途端、頭上の何かが動く気配。
マリナはその方向を見ずに、走り続ける。
エリザの意図を察したからだ。
次の瞬間――天井から勢いをつけて落下してきたシャンデリアが、巨大な獅子を押し潰した。
マリナは背後を振り返り、自身の直感が正しかったことを確かめる。
この世界は魔導式とやらのお陰で、マリナの常識では計り知れないことが可能になっている。だがそれは結局、理屈をすっ飛ばして結果を導き出しているだけなのだ。つまり原理を理解できないなら、『何をやろうとしいているのか』だけを予測すればいい。
今回で言えば、エリザの視線からシャンデリアを落とす気なのだと察しただけのことだ。
「おい。大丈夫か、あんた」
マリナが駆け寄ると、エリザは歯を食いしばりながら身体を起こした。
「応急手当てをする。横になってろ」
「……だめ、早、く逃げない、と」
「何を言って、」
ガシャンという金属音が、背後から聞こえた。
振り返れば、シャンデリアの下にいる獅子がその拘束から抜け出そうともがいた。元々こういった事を想定していたのか、シャンデリアは落ちた衝撃で金具の一部が石畳の床へ杭のように突き刺さり、鎧を着込んだ獅子を拘束している。
だが、当の獅子は無傷だった。
「なんなんだ……。なんで、アレが直撃して平気なんだアイツ」
「あれは、魔獣よ。……帝国、の」
息も絶え絶えに、エリザはそう説明した。
エリザが立ち上がろうとするので、マリナは慌ててその肩を支える。
「あの魔獣が着ているのは、『騎士甲冑』なの。あの程度じゃビクともしない、わ」
「なんだその『サーク』って」
「騎士が、着る鎧よ。魔導式を無効化して、身につけた者の身体能力を向上させ、騎士以外には何者も貫けない……騎士の、」
「わかった。ありがとよ。もう喋らなくていい。先に逃げるぞ」
フラフラと揺らめくエリザの肩を支え、マリナは魔獣の横をすり抜けて、唯一の出口である階段をのぼる。そうして地下蔵から二階へ至っても獅子の――魔獣の恨めしそうな唸り声が届いてきていた。あの拘束もそう長くは保たないだろう。一旦、どこかへ隠れなければ。
◆ ◆ ◆ ◆
そうしてマリナは、エリザを抱えて彼女の私室へとたどり着いた。
他に隠れる場所も思いつかず、もし武器があるとしたらこの部屋しかないと考えたのだ。なにしろ他の部屋には物自体が一切置いていない。
マリナはエリザをベッドへとうつ伏せ横たえ、服を破りその背中の傷を看る。魔獣の爪痕と思しき、生々しい穴が2つ空いている。しかし思ったより出血は少ない。驚くマリナにエリザは「大丈夫、治癒式で血を止めてるから」と言った。
「これでも貴族だから、個魔力を使って血の流れを制御するくらいはできる、の」
「そうか。だが、血止めはくらいはしといた方が良いだろ」
「慣れてる……のね」
「言ってなかったか? オレは兵隊だったんだよ。――まあ、勝手に兵隊名乗ってたっていう方が正しいけどな」
そう伝えると、エリザは「ふふ、なるほど」と納得する。出会いが出会いだった。何となく察していたのだろう。
それよりもマリナには訊きたいことがあった。メイド服を破り、包帯代わりエリザの身体に巻きながらエリザへと問う。
「なあ。あんた、どうしてあんなことしたんだ?」
「あんな、こと?」
「オレを庇っただろ。だからこのザマなんじゃないか」
「だから、言ってるじゃない」
うつ伏せのまま、呻くように苦笑してエリザは答えた。
「これでもわたしは貴族なの。……貴族が民草を守るのは、当たり前でしょう?」
「あんた……それ、本気で言ってるのか?」
コクリ、とエリザは頷く。むしろ何故そんな当たり前のことを聞くのかとでも言いたげだった。
マリナは愕然とする。
そうだ。確かにコイツは言っていた。『貴族とは、民草の幸せのために戦えるから貴いのだ』と。マリナはそれを、親からの言いつけを守ることしか出来ない公女様の綺麗事だと思っていた。つまり間違うことが怖いだけの臆病者だと。臆病者ならば、命の危険に晒された途端アッサリ手の平を返す。その程度の女だと。
だが、違ったのだ。
コイツはどこまでも言動一致。本人の能力不足でところどころ抜けていても、どこまでも大真面目に貴族の在り方とやらを信じ行動している。
自分に嘘をつかず、
自身の言動に責任を持ち、
その行動はどこまでも正しい。
まるで機械のように矛盾なく動作しながら、
まっとうな人間として振る舞える矛盾。
きっとこの少女は、誰かを裏切るときでも「仕方がない」だのと言い訳をしない。そんな矛盾のある行動を許容できないからだ。
つまり、もしコイツがオレを裏切るとしても、そこには一切の矛盾はない。嘘もない。ただ単に、裏切る必要があるから裏切るのだろう。
――そうだ。
コイツになら万が一裏切られても……納得して死ねる。
「――及第点、だな」
「……え?」
マリナの呟きに、エリザが不思議そうな声を返す。唐突に笑みを浮かべたマリナを不審そうに見つめていた。
それに「なんでもねえよ」と笑いながら、マリナは「いくつか確認したいことがある」と切り出した。
「この部屋に、武器かなんかはあるのか?」
「……無いわ。売ってしまったもの。だから、表の馬車に乗って――」
「言い忘れてたが、馬車はもう壊されてる。あんなライオンもどきに徒歩で逃げられるとも思えねえ。それは却下だ」
「じゃあ――」
「そうだ。戦うしかねえ」
脂汗の浮く顔で、エリザはマリナを見つめる。
その表情にはハッキリと「正気なのか?」と書かれていた。
まったくその通りだとマリナも思う。ただでさえ巨大な猛獣と素手で戦うなんて馬鹿げた話だ。北海道で狙撃任務中にヒグマに襲われた時があったが、あの時は50口径を何発も撃ちこんでようやく殺したのだ。ヒグマよりも大きく、半端な攻撃を寄せ付けない鎧を着込んだ獅子。それが間もなく襲ってくる。ここに拳銃があるのなら、まず自身の頭を撃ち抜くことを考えるべきだろう。
だが、まったく希望が無いわけでもない。
「なあ、魂魄人形の主従契約ってやつ。――アレって確か、願いは何でも叶うんだよな?」
「え? なんでいまそんなこと……」
「いいから。で、どうなんだ」
「……ええ。魔力が足りる範囲でならできるはずよ。でも、あなたの願いはメイドになることでしょう? 主従契約はどちらかが死ぬまで解除できない、世界の法則に刻み込む絶対遵守の契約よ。メイドになる程度で主従契約に頼らなくても――」
「いや、違う。違えんだよ」
「……?」
マリナは自嘲するように小さく笑う。
馬鹿げた夢で、阿呆らしい憧れだった。
少なくともニッポンに居た頃は叶うことのない望みだった。
だが、異世界ならば。
死者の魂を召喚して、魂魄人形に変えちまうような世界なら。
マリナは自身の夢を告げた。
「オレがなりたいのは、ただのメイドじゃねえ。
――武装戦闘メイド、だ」