connect-part:闇からの甘言【次回予告】
――それは、大騎士の叙勲を受けた日だった。
「若様!」
ロマニア王宮の謁見室を後にしたリチャード・エッドフォードは、年若い男の縋るような声に迎えられた。
実際、リチャードのもとへ駆けてくる男の顔は悲壮感に満ちている。まるで親に助けを求める子のようだ、とリチャードは嘆息した。仮にも貴族が浮かべる表情ではない。
黒髪の青年はリチャードの前で、踵を合わせて敬礼。掌をこちらに見せる綺麗な騎士式だ。
そんな彼を訝しみながら、リチャードは身体を青年の方へ向ける。
エッドフォード家、家臣団の末席に座し、同世代故に幼い頃は共に過ごすこともあった男。
名前はそう――
「――アンドレ・エスタンマーク」
「我が名を覚えて頂き光栄であります!」
名を呼ばれた男はますます恐縮し、王宮の廊下でいきなり膝をついて臣下の礼をとった。
半ば呆れながら、リチャードは「やめよ、傅かれるのは好かん」と手を振る。
リチャードは『力』の信徒である。『力』こそが貴族が貴族たる証だと信じていた。
故に、力で屈服させたわけでもないのに傅かれると『こうしておけば満足なんだろ?』と舐められている気がするのだ。
不興を買ったと、慌てて立ち上がったアンドレという男は、それでも深く頭を下げる。
「此度は過分なお心遣い、痛み入ります!」
「何の事か分からんな」
嘘だ。
この男――アンドレ・エスタンマークが言っているのは査問会での事だろう。
彼は『無断で所属騎士団の任務を放棄した』として追及を受けていたのだ。そこへ証人として呼ばれたのがリチャードであり、その言葉がきっかけとなってアンドレは無罪放免となったのである。
だが、リチャードからしてみれば事実を述べただけであるし――加えて、査問会を開いたシャルル七世陛下は最初からこの結果を望んでいたようにも思える。リチャードは王が望んだ筋書きに乗ったに過ぎない。感謝される謂われは無いとリチャードは考えていた。
その意図をとぼける事で遠回しに伝えたつもりだったのだが――しかし、アンドレという男の意見は異なるらしい。
「若様のお口添えが無ければ、自分のみならずエスタンマーク家そのものが取り潰しになっていたやもしれません。このアンドレ・エスタンマーク、助けて頂いたご恩は決して――――」
「何を言っている」
リチャードは勘違いを質すべく、アンドレの言葉を遮った。
「助かったのは俺の方だ」
事実だ。
そもそも、アンドレ・エスタンマークという男が所属騎士団の任務を放棄せざるを得なかったのは、リチャードを助ける為だったのだ。
つい二日前の事である。
正式に騎士となったばかりのリチャードは、ワルサウ方面の警備を担当する緑陽騎士団と合流せよとの命を受け、単身ビアリストクへと向かっていた。本来であれば騎士団への配属は王政府の見届け人と共に行うものであり、単独で騎士団へ出向く事などあり得ない。しかし緑陽騎士団が早急に補充騎士を求めた為、ひとまず儀礼的なことは後回しにする事になったのだ。
しかし、リチャードを出迎えたのは騎士団ではなく――アルフへイム連邦の魔導兵だった。
嵌められた――そう気づくのに時間はかからなかった。内外に政敵の多いエッドフォード家である。兄のジェフリーを跡継ぎにしたい派閥か、それとも同じく十三騎士の末裔であるカスティージャ家か。はたまたエッドフォード家に恨みを持つ別の何者か、か。いずれにしてもリチャードを害したい何者かに仕組まれた事だけは確かだった。
長命人種たちは大規模な〔亜空境界式〕を組み上げ、町ごとリチャードを高位次元へ吹き飛ばそうとしていた。そうして出来た更地に精霊樹を植えるつもりなのだ。そうなればビアリストクという町は、アルフへイム連邦の前哨基地へと堕する。それだけは避けねばならない。
しかし、その時リチャードが帯剣していたのは『数打ち』と揶揄される複製・遺産剣のみ。
魔導干渉域を貫くほどの高位魔導式が嵐のように吹き荒れ、固有式すら長命人種が組んだ対抗魔導式に分解される。念話は妨害され援軍も望めない。神童と呼ばれていたリチャードですら、生き延びるだけで精一杯の状況。
――もはやここまでか。
そう覚悟を決めた時に現れたのが、アンドレ・エスタンマークという男だったのだ。
「貴様が居なければ、俺は長命人種どもに存在ごと抹消されていただろう。――感謝する」
リチャードの感謝の言葉に、アンドレは「いえ、そんな」と恐縮する。
「家臣として若様をお守りするのは当然であります。それにきっと若様なら自分など居なくとも――」
「アンドレ・エスタンマーク」
リチャードはアンドレの謙遜に、自身の言葉を覆い被せた。
「それ以上は俺への侮辱と知れ。過ぎた謙遜は他者への愚弄に等しい」
「……申し訳ありません」
強い言葉を浴びて、アンドレは謝罪と共に押し黙る。
「あまり自分を卑下するな。それにな――」
リチャードはビアリストクで長命人種を次々と屠っていったアンドレの戦いぶりを思い出し、僅かに口角を上げた。
強い男は嫌いではない。
「貴様は充分に強い。隣でその戦いぶりを見守った男の言葉だ。信用しろ」
「――はッ!」
再び敬礼をしたアンドレへ簡単に答礼し、リチャードは「ついてこい」と歩き出した。
アンドレが自身の斜め後ろについた事を確かめ、語り始める。
「お前に話がある」
「はい」
「俺はまもなく騎士団を作る」
「一介の騎士が、でありますか?」
アンドレの疑問はもっともだ。騎士団の創設権は貴族の中でも領主格か、もしくは大騎士以上の騎士に与えられている。ただの騎士のままでは自己の騎士団など持ちようがない。
だが、
「話はつけてきた」
言って、リチャードは振り返らずに背後へ置いてきた謁見室を親指で指す。
そこにはシャルル七世が居るはずだった。
「明後日、俺は正式に大騎士となる。口止め料代わりだ」
「……陛下は首謀者を罪に問わないと?」
アンドレの返しに「理解が早いな」とリチャードは笑う。
「お前の考えている通りだ。首魁に目星はついているが、その者を吊し上げると国が割れかねないそうだ。国を守った英雄として俺を祭りあげて、話を終わりにしたいんだろうさ」
「なるほど」アンドレは得心がいったとばかりに頷く。「だからこそ若様は騎士団を創設なさるのですね?」
「そうだ。――他人の下にいては、いずれ同じ様な目に遭う。俺は自身の悲劇を嘆くよりも、困難を粉砕する方を選びたい。王国の領土を売り渡す阿呆どもを誅するには、独立した力が必要だ」
つまりだ――と、リチャードは背後のアンドレを振り見やる。
「エッドフォード家の為にも、王国の為にも――何より俺の為に必要な事なのだ」
「――」
静かに、アンドレは態度だけで同意を示す。
と、同時に周囲へ気を配っているようでもあった。
なるほど、確かに今の話は他の貴族に聞かれると面倒かもしれない。もはやリチャード自身の家族すら信用できない状況で、迂闊な行動だった。そう反省すると共に、リチャードは改めてアンドレという男へ好感を覚える。
こちらの意図を汲んだ上で必要な行動をとれる。優秀な男だ。
――やはりコイツだな。
リチャードは自身の確信を深めると、その歩みを止めた。
「その為に、信頼できる男が欲しい」
振り返り、リチャードはアンドレと正対する。
「だからなアンドレ、俺と来てくれないか?」
「自分が……で、ありますか?」
「そうだ。――貴様の実力は見た。修練によって身につけた堅実な戦い方、戦場全体を俯瞰できる視野の広さ、どんな状況でも折れない鋼の心。どれも俺が欲するものだ」
「――、」
アンドレが何かを言いかけ、その言葉を呑み込んだ。過度の謙遜を窘められたのを思い出したのだろう。それに苦笑しつつ、リチャードは問いかける。
「アンドレ、俺は強制したくない。エッドフォード家次男の傍につくとなれば、政治的な厄介ごとにも巻き込まれよう。命の恩人をそのような場所に置くのは忍びない。だがな――」
リチャードは言葉を切るとアンドレを見据え、その肩に手を置いた。
「貴様がいると助かる。俺の隣に立って欲しい」
躊躇いは、ほとんど見てとれなかった。
「勿体なきお言葉です。これよりアンドレ・エスタンマークは、若様だけの騎士であります」
「ありがとう」
こんなにも他人に礼を言ったのは久しぶりだな。
そうリチャードは独りごち、踵を返した。
「ならばついてこい。陛下が今回の功績を讃えて炎剣を下賜して下さるそうだ。久しぶりにあの旧界竜に会ってみようじゃないか」
「はッ! お供致します、若様」
ふと、リチャードはその言葉に引っかかりを覚えて足を止めた。
そういえば幼い頃に「若様、若様」と俺の後をついてきていた子供がいた。家臣団の子息は大抵兄のジェフリーにベッタリだったのに、黒髪の少年だけがリチャードの傍にいたのだ。
あの頃のリチャードは人付き合いを煩わしく思っていたので捨て置いていたが、まさか今になってかつての少年に助けられるとは。
その忠義にどう応えるべきなのか、リチャードには分からない。
家臣など強い力に群がる寄生虫のようにしか思えなかったし、だからこそ何ごとも自身の力だけで切り抜けてきた。利用する事はあっても、誰かを信頼するなどこれまでに一度も無かったのだ。
だから、この場に相応しい態度などリチャードは知らない。
故に――
「それとなアンドレ――」
リチャードは振り向きざまにアンドレの胸元へ指を突きつける。
「"若様"はよせ。俺のことは名前で呼ぶことだ。俺の隣に立つ者には、相応の態度というものがある。お前はこのリチャード・エッドフォードの友となるのだからな」
「――は! リチャード様」
アンドレの破顔に、リチャード自身も思わず笑顔になるのを感じ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――コンコン、
◆ ◆ ◆ ◆
――コンコン、と。
全身を鈍く包むようなノックに、リチャード・エッドフォードは夢から醒めた。
途端、右肩と右眼に炙られるような痛みを覚えた。
リチャードは朦朧としながら右眼を押さえようとして――身体が動かない事に気づく。全身が何かに抑えつけられているのだ。いや、そもそも右肩から先の感覚も無ければ、右眼も開かない。ジリジリと持続する痛みは、傷口に火でも点けられているかのようだ。
その燃え上がる痛みが、炎の向こうに見た記憶を蘇らせた。
そうだ。バラスタインの小娘とそのメイドが使う妙な魔導武具で、右腕と右眼を奪われたのだ。
いや、奪われたのは肉体だけではない。
我が友――アンドレ・エスタンマークを、奴らは奪った。
あれから一体どうなったのだ……?
リチャードは無事な左眼で自身が置かれている状況を把握しようとするが、周囲には闇だけが広がっている。吐いた息がすぐに跳ね返ってくる事から、狭い箱か何かに詰め込まれているのは判った。加えて全身の関節に冷たい感触。つまり箱の底板に金属で身体を固定されているのだ。助けを呼ぼうにも、口には猿轡を噛まされているせいで思うように声を上げられない。
ふと、リチャードを包む闇に一筋の光が差した。
眼前の板が左右に開いたのだ。
ガラスが填め込まれた窓の向こうに石造りの地下蔵が広がる。
そこにひょっこりと、リチャードがよく知る顔が現れた。
「おはよう、リチャード。よく眠れたかい?」
ジェフリー・エッドフォード。
リチャードの2つ上の兄だった。
「――」
何故、兄が。
状況が飲み込めず唖然としていると、ジェフリーは眉をひそめた。「なんだい、まだ寝ぼけているのか?」と言って、リチャードが押し込められている箱を軽く叩く。先ほどのノックは兄のものだったらしい。
「――あ、そうか。猿轡してるから話せないのか。よしよし分かった、お兄さんに任せなさぁい」
途端、ピリリと後頭部が痺れる。
念話を繋げられたのだ。
『これなら話せるだろう?』
窓の向こうでニッコリと笑った兄を訝しみながら、リチャードは問う。
色々と気になることはあるが、今は状況の把握が先だ。
『ジェフリー兄、説明してくれないか? ここは何処だ? 俺はどうなった?』
『ああ、そうか。説明が必要だよね、うんうん。――では、優しいお兄さんが哀れな弟に順を追って教えてあげよう』
芝居がかった態度で頷くと、ジェフリーは『まず』と人差し指を立てた。
『お前がバラスタインの公女に倒されてから一週間が経っている。その間に査問会が開かれ、全ては「アルフへイム連邦の陰謀にエッドフォード家が騙された」という事で決着した。勿論、戦争なんて影も形も無い。僕らエッドフォード家の企みは崩れ、今や借金まみれの貧乏貴族に成り果てた。だが――』
言葉を切り、ジェフリーは指をくるくると回しながら、
『僕らエッドフォード家はただ座して死を待つつもりはない。借金だってすぐに返す必要があるわけでなし、むしろ定期的に金を返すのなら良い投資先として優遇される。ならば、多少のまとまったお金が定期的に入る手段を講じれば良い。何も無理に戦争を起こす必要は無いんだ。そうだろう?』
同意を求めるように片目をつむる兄に、リチャードは念話を返せずにいた。
今、兄が語った方針は過去にリチャードが提案したものだったからだ。
と同時に、一族内で検討の末に却下されたものでもある。エッドフォード家にとって大きな問題を抱えていたからだ。――派閥内での立場が悪くなるのである。
リチャードが提案したのはこうだ。
他の領地との交易における関税を段階的に上げ、エッドフォード領内の産業を保護し生産量を向上させる。大量生産する事であらゆる費用を抑えて、安く他の領地へ売り込むというもの。軍備増強にばかりかまけていたエッドフォード家は、領地の広さに反して農作物の収穫量も蓄魔石の採掘量も少ない。逆に言えば、伸びしろは充分にある。
だが、そんな事をすれば『エッドフォード家は経済的に危機に瀕している』と喧伝するようなもの。国内の二大派閥の一つを率いているエッドフォード家が、そんな無様を晒すわけにいかない。そう言って、父ヘンリーは戦争の再開を望んだのだ。
という事は、まさか――
『エッドフォード家の立場はそこまで悪くなったのか……?』
でなければ、こんな方針転換はしないだろう。
もはや気にするような体面も立場も無いのかもしれない。
だが、ジェフリーは『ああ、違う違う』と笑った。
『今でもエッドフォード家は、主戦派――ひいては拡大派の筆頭だよ。だってリチャードが頑張ってくれているからね』
『くれている――?』
引っかかる言い方だった。
まるで、今現在こうして拘束されている事こそがエッドフォード家の為である――とでも言っているように聞こえる。
その疑念が、念話で漏れ伝わったのだろう。
ジェフリーは『そうだよ』と大きく頷いた。
『今こうして、リチャードが個魔力を分けてくれているお陰さ』
『――な、に?』
個魔力を分ける――その言葉に思い当たるものがあった。
かつてバラスタイン家に潜り込ませていた後見人代理から魂魄人形の話を聞いた時に、リチャードはある物を用意させていた。魂魄人形を拘束、その魂を構成する魔力を少しずつ削り取って抽出して蓄魔石へと移し替える装置だ。
抽出した膨大な魔力を売れば、エッドフォード家の財政を助ける事になる。
そう考えて用意したものだったが――
『遅くなったけど、リチャードの質問に答えよう』
窓の向こうで、ジェフリーは芝居がかった態度で両手を大きく広げてみせた。
『ここはエッドフォード伯爵領ワルサウ城の地下。そしてお前が横たわっているのは魔力抽出装置が組み込まれた棺だ。流石は【断罪の劫火】……抽出した個魔力だけで町一つの消費魔力を賄って余りある! ありがとうリチャード――お前のお陰でエッドフォード家は窮地を切り抜けられるだろうさ!!』
『……なるほど、な』
つまり魂魄人形の代わりに、このリチャード・エッドフォードを魔力炉としたのだ。
確かに騎士の個魔力生成量は尋常ではない。リチャードの生成量は更にその十倍以上だ。魂魄そのものを削り取るよりも一回の魔力抽出量は減るが、数年に渡って抽出し続けるならば総量は騎士の個魔力の方が多くなる。エッドフォード家は魔力及び蓄魔石の輸出による利益をもってして、危機を脱しようというのだ。
その生贄にリチャードが選ばれたのは『責任を取らせる』という以上に『見せしめ』であろう。主戦派にとっての希望を潰したのは、他ならぬリチャードだ。エッドフォード家当主ヘンリー・ワルサウ・エッドフォードは、自身の息子を差し出す事で同派閥の貴族の文句を抑え込み、と同時に『下手な事をすれば誰であろうと容赦しない』と示したのだ。
まあ、親父達ならそれくらいやるだろうな。
そうリチャードは苦笑して、自身が置かれた状況を呑み込んだ。
理解も納得もしないが、事実そうなのだから致し方ない。
――だが。
今はそんな事よりも他に、気になる事がある。
『それで? 貴様は誰だ』
リチャードの言葉に、兄ジェフリーの顔をした何者かは笑顔を曇らせた。
『兄に誰だとは、随分な言い草じゃないか』
『しらばっくれるなよ』
リチャードは念話に嘲りを乗せて告げる。
『貴様は知らないかもしれんが、我が兄は念話など使えない』
『は、……何を馬鹿な、』
『知らないのなら教えてやろう。我が兄、ジェフリー・エッドフォードは騎士としての才覚はそこそこだが、こと個魔力の扱い方に関しては誰よりも劣る。念話など、魔導具を利用したところで飛ばせはしない』
『――まいったな』
窓の向こうの何者かは、観念したかのように髪をボリボリと掻き――その口元を歪ませる。
『どうりで簡単に魂魄を繋げたわけだ。とんだ欠陥騎士だったのね』
そう嗤う口元は、まるで三日月のように耳まで裂けていた。
もはや人類種の笑みではない。
加えて『魂魄を繋げた』という言葉がハッタリでなければ、この何者でもない“何か”の正体は一つしか無いだろう。
『貴様――復体幻魔か』
『セイカイです』
ニタリと嗤った顔が紅茶に溶けるミルクのようにぐにゃりと歪み、やがてリチャードと同じ顔に変化した。
――復体幻魔。
かつて人魔大戦の折に存在したとされる魔人種の一種だ。
元々はうっかり地上に残ってしまった死霊の集合体である。それが何らかのきっかけで生者の魂魄と経路を結んでしまい、その意識や精神構造を複製する事で自我を得たものが復体幻魔となるのだ。
復体幻魔は生者の魂魄を食べ続ける事で存在を維持する。
当然、復体幻魔に経路を繋がれてしまった生者は魂魄を吸い尽くされて死に至る。すると復体幻魔は死者の容姿を複製し、その人物に成り代わってしまうのだ。そうして人間社会に溶け込みつつ、生者の魂魄を貪り喰らうのである。
なかでも高位の復体幻魔は、これまで複製した魂魄の中から自由に姿を変えられるという。
――つまり、こいつもそうなのだろう。
『我が兄は死んだか?』
『いえいえ、まだ生きてますよ。大切な献上品ですからね』
『献上品?』
『あなた方が、《深大陸》と呼ぶ場所への、です』
『……ふん。魔人種どもめ、まだ生きているのか』
かつて人魔大戦で魔人種たちを閉じ込めた大陸を、人類種側は『深大陸』と呼んでいた。
魔人種や魔獣の魂魄は欠損し、崩壊し続けている。その崩壊を止めて存在を維持するには生者の魂魄を摂取し続けなくてはならない。故に人類未到の大地へ追いやれば、やがて魔人たちは飢え死ぬだろうと考えられていた。
だが、実際にはこの千年を生き延びていたわけだ。
恐らく、大昔から影で人間を攫って食料としていたのだろう。兄は運悪くその標的になってしまったのだ。
リチャードは復体幻魔へ問いかける。
『……それで? 俺も献上品になるのか?』
『いえいえ、そんな勿体ない』
いつの間にか父ヘンリーの顔になっていた復体幻魔は、ヘラヘラした態度で否定する。
『かの【断罪の劫火】と縁を結ばせて頂いたんです。是非、良いお付き合いをさせて頂きたいじゃないですか。家畜にするなんて勿体ない』
なるほど、兄に待っている未来はなかなか壮絶だな。
そうリチャードは独りごちながら、『ならばどんな付き合いをしたいというのだ?』と返す。
復体幻魔は『そうですねぇ』と勿体ぶった態度で顎をさすりながら、
『まあ、それは追い追い。耳長どもは上手くやってるみたいですし。リチャード殿とは急がず焦らず、ゆっくりと仲良くなれればと思っていまして』
『仲良く、か』
鼻で笑ったリチャードを復体幻魔は『ええ』と軽く流す。
『ですからまずは、お近づきのしるしにこちらを――』
言って復体幻魔はトプリと、自身の身体の中に手を沈み込ませた。
沼に沈んだ物をすくい上げるように、体内から棒状のものを取り出す。
そうして復体幻魔が掲げて見せたのは、妖しく銀色に輝く右腕だった。
『片腕では何かと不自由でしょうし、こちらを差し上げますよ』
『……貴様、それを何処で』
『ああ、別に大した由来は無いですよ。持ち主から譲って頂いたんです』
そんなわけはない。
復体幻魔が掲げているのは、魔導武具の一つ『王腕:アーガト・ラウ』だ。
複製した『数打ち』などではなく、人魔大戦の時に実際に使われたオリジナルの魔導武具。本来は騎士甲冑の代わりとして右腕に纏うものだが、義手としても使えると聞く。今はダヴリン伯が所有していたはずだ。
それをこの復体幻魔が持っているという事は、既にダヴリン伯の領土にも深大陸の魔人が忍び込んでいるのだろう。
いや、それだけならまだ良い。
なにしろ、こうして兄ジェフリーと復体幻魔が入れ替わっているのだ。
既にダヴリン伯は討ち果たされており、今居るのは伯爵に化けた魔人種という事もあり得る。
果たしてブリタリカ貴族の内、どれだけが汎人種のままなのか。
それとも既にこの国は、汎人種が治める国家では無くなっているのか――?
戦慄するリチャードに、復体幻魔の笑みが近づく。
『さあリチャード殿。私どもと、お友達になりましょう?』
◆ ◆ ◆ ◆
~これまでのあらすじ~
炎槌騎士団を撃退したエリザとマリナのもとに現れたのは、シュラクシアーナ家の幼き当主、リーゼ・ヘルメシア・マイトナーだった。
王命を受けていたリーゼに連れられ、エリザとマリナは王都ロマニアへと向かう。
そこで待ち受けていたのは、炎槌騎士団との一連の騒動について質す査問会だった。
なんとか査問会を無事に乗り越えたエリザは、国王シャルル七世から停戦協定――ひいては終戦交渉の為にルシャワール帝国皇帝、ヒロト・ラキシア・ルシャワールを王都まで護衛する任を授かる。
一週間後、温泉街ガルメンにて皇帝と合流を果たしたエリザだったが、何者かが町に放った動く死体にエリザと皇帝一行は囲まれてしまう。
一行は完全復活を遂げたマリナと共に動く死体の包囲をくぐり抜け、王都へと続く秘密通路『アイホルト回廊』へと飛び込んだ。
だが、門をくぐり抜ける事が出来たのはエリザと皇帝ヒロトのみだった――
~次回予告~
従者たちは敵の姿を求めて争い、
ようやく得た一縷の望みは、崩れゆく時間が奪い去る。
そして遂に牙を剥く回廊の魔獣。
奔走する二人に刻限が迫る。
だがそれでも、と。エリザとマリナは不敵に笑った。
わたしは/オレは――知っている、と。
次回、メイドin異世界
――第5話『誰がためにメイドは走る』――
※次回更新はカクヨムで第5話更新後に致します。