avant-title:錬金術士《シュラクシアーナ》
チェルノートの上空に現れた巨鳥は、エリザとマリナの真上で動きを止めた。
エリザが「シュラコシア」と呼んだ人工の巨鳥は、朝陽を受けて白く煌めいている。その姿は首の細さも相まって、かつて北海道戦線で見たタンチョウをマリナに思い起こさせた。――だが、その大きさは鶴の数百倍はある。
これが――航天船。
エリザの胸に抱かれながら、マリナは戦慄する。
全長300メートルはあるだろう。こんな巨大な飛行機械は米軍だって持っていない。あのB-52爆撃機が、そのまま巨鳥の腹に収まりそうだった。
そうこうしている内に、空中で静止している航天船の腹から鉄杭が放たれた。
金属縄がくくりつけられた鉄杭が地面に突き刺さり、頭上の航天船を地上に繋ぎ止める。船のように係留したらしい。そして間を置かず、今度は航天船の尾羽の辺りから幾つもの黒い影が放たれる。降り注ぐ黒い影は、トスっと軽い音を立ててチェルノートの大地へと着地。立ち上がったその姿は、球体関節に繋がれた等身大の木偶人形だった。恐らくは自動人形というやつだろう。
その数十体の自動人形が、マリナを抱くエリザを取り囲む。
まるで『決して逃がさない』と宣言するかのように。
――こいつは、不味いな。
マリナはエリザの胸の中で、奥歯を噛みしめる。
今のオレには、周囲を取り囲む自動人形をどうにかする力は無い。メイド服を失う前に、せめてエリザの護身用の武器を用意していれば――。
だが、
「大丈夫、マリナさん」
マリナの不安をよそに、対するエリザの顔は穏やかだった。
念話から伝達されるマリナの感情を読み取ったのだろう。エリザは優しくマリナの髪を梳かす。
「――あの子がなにか酷いことするはずないわ」
「あの子?」
マリナが眉をひそめるのと同時、上空から『ガコン』という音が響いた。
航天船の腹の一部が割れ、金属縄に吊られ降りてくる。恐らく昇降台なのだろう。見れば昇降台には、朝陽の逆光の中に立つ多くの人影が見える。
それは、異様な姿をした集団だった。
十数人居る全員が同じ白衣を纏い、その顔を金色の仮面で隠していた。彼らは昇降台が地面に着くと、素早く左右に分かれて直立不動の姿勢を取る。素顔を隠し整然と並ぶその姿は、マリナに母国の秘密警察を思い出させた。
そして、
「ふわあーはっはっはっはっはっはっはっはぐッ――ぐぇ、おぐ、げほッげほッ……やば、むせた。ごめん、もっかい! もっかいやる。スゥ――――ふわあーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
聞こえてきたのは、何とも力の抜ける高笑いだった。
居並ぶ仮面の男たちの間を、ちんまりとした人影が歩み寄ってくる。
仮面も、着ている服も他の男たちと同じ――だが、ややサイズが大きいのか袖が余っていた。高笑いの声からして女の子なのだろうが、身長も随分低い。10歳――小学生くらいか、とマリナは推測する。もっともマリナ自身は小学校に通ったことが無いので、喩えが合っているか分からないが。
そうしてエリザの目の前までやって来た女の子は、仮面から唯一覗く口元をニヤリと歪ませた。
「やあ、バラスタイン嬢。久方ぶりだな」
聞こえたのは、やはり舌足らずな女の子の声。
それを聞いたエリザは「なあに、その話し方」とクスクス笑い、
「まあいいけど。――久しぶり、リーゼちゃん」
「ちゃんではないッ!!」
リーゼと呼ばれた女の子は突如として怒りだす。
「子爵! リゼの事は『子爵』って呼んでっていつも言ってるでしょ! リゼはシュラクシアーナの当主なんだからッ!」
「ごめんねリーゼちゃん、つい癖で……」
「あ、また! ちゃんって呼んだ! エリザ姉だからって『ちゃん』付けはダメ!!」
「はいはい。シュラクシアーナ子爵、リーゼ・ヘルメシア・マイトナー様」
「……うん、それでいい」
ようやく、エリザに「子爵」と呼ばれた子供は落ち着きを取り戻した。
どうやらあのチンチクリンは子爵――つまり貴族らしい。しかも『当主』と名乗っているという事は、周りにいる十数人の大人は家臣団か何かか。
『貴族はあんなのばっかりなのか……?』
『そんな事ないよ――たぶん』
念話で問うも、否定するエリザの声には力がない。
ともかく知り合いならひと安心か、とマリナは安堵する。
内面がどうであれ、戦闘機並みの破壊力を持つ貴族とやり合わなくて済むのは良いことだ。
リーゼという名の娘は落ち着いた途端、「それで?」と周囲をキョロキョロと見回した。
「リゼの魂魄人形はどこ?」
「え?」
「だ、か、ら、魂魄人形! リゼの魂魄人形を起動させたのは知ってるんだぞ。報知器が鳴ったからね。だから飛んで来たんだし」
「もしかして、リーゼちゃ――子爵がお父様に魂魄人形を?」
「そうっ!」
えっへん、と声が聞こえそうなほどリゼは胸を張り、
「リゼは三重偉業の再現者だからな。失われた秘術の復活だってデキるのだ。むしろ昔のものより高性能なはずだぞ。素体に使った精霊樹もリゼが厳選したし蓄魔石だって第五触媒を一滴ずつ集めて固形化させた純度99,999パーセルト以上の最高品質! まあ、うちの蓄え全部溶けちゃった上に王政府にかなり借金する羽目になったけど」
「え、お金――そんなにかかったの?」
「俗な言い方は嫌いだけど――少なくともシュラコシアが10隻は作れるほど金がかかったぞ!!」
「……へ、へえ。すごいね」
「そうだ。すごいのだ。――――それで、今どこにいるんだ?」
早く見せろ、と急かされてエリザが胸元へ視線を落とす。
つられて見るリーゼ。
二人から見つめられ、マリナは仕方なく唯一動く首だけをリーゼに向けた。
「よう、オレになんか用か?」
「――――――――――――――――――――え、もしかして」
「魂魄人形ってなら、オレしか居ないな」
「壊れた自動人形じゃなくて?」
「壊れた魂魄人形だな」
目を丸くして固まるリゼ。
しばらく誰も言葉を発さなかった。
そして、
「はああああああああああああああああああああああッ!?」
絶叫と共に一瞬でエリザに駆け寄ったかと思うと、リーゼはマリナをひったくる。
「ど、どどどどどどどどどどうしてそんな事になってるんだ!? ぼ、ボロボロじゃないか! というか身体! 身体が無い! アルフヘイムから大枚はたいた精霊樹で作った素体だぞ!? どれだけ特許権利売り飛ばしたと思って――なんだってこんな、」
「リーゼ様」
いつの間にか隣にやって来ていた仮面の一人が、リゼに耳打ちする。
「恐らく炎槌騎士団では? 王からもそのような話があったかと」
「そ、それか! ああ、もうッ――」
リーゼは頭を掻きむしり苦悶の声を漏らす。まるで癇癪を起こした子供だった。――いや、事実子供なのだろう。そう、マリナは半ば呆れながらリーゼという少女を見つめていたが、続く言葉には“呆れ”で済ませられるものではなかった。
「エリザ姉、なんだってそんな馬鹿なことを……領民なんか幾ら死んじゃってもいいじゃんか。あんなの捨てて逃げれば――」
あんなの捨てて――だって?
リーゼに抱きしめられたまま、マリナは柳眉を逆立てる。
エリザの知り合いだろうと、流石にそれは聞き捨てならない。
「――おい」
「え?」
マリナは唯一動く首を大きく振り上げ――
――わめき散らすリーゼへと頭突きをかました。
「痛ったあ!!」
頭を押さえてリーゼは後ろに尻もちをつき、マリナも地面に放り出される。「マリナさん!」と慌てるエリザに再び抱きかかえられてから、マリナはリーゼという貴族へ叫んだ。
「オレの主人を馬鹿にすんじゃねえ、このチビッ!」
「チビ!? チビって言ったの、この魂魄人形! リゼのことチビって!?」
「何度でも言ってやるよ、背も小さけりゃ心も狭えクソチビだってな!」
「なんだと!? この三重偉業の再現者にしてシュラクシアーナ家現当主であるリーゼ・ヘルメシア・マイトナー・シュラクシアーナを、言うに事欠いて『クソチビ』って言ったのか!?」
叫びすぎたのか、リーゼは涙声になりつつあった。
それに気づいた家臣たちが、慌てたようにリーゼのもとへ集まってくる。「落ち着いてくださいご当主」「リーゼ様は威厳に満ちあふれたお方です」「それに成長速度は人それぞれ。リーゼ様にはこれからがございます」「そうです、異世界の人間の言葉に惑わされてはいけません」「まあ正直、今のままの方が小さくて可愛いですけど」
「おいちょっとリゼを可愛いなんて見下したのは誰だ? あ、ロジャーか? またロジャーなのか? お前はいつもいつも!!」
「――ちょっと待て、」
聞き捨てならない言葉があった。
「なんで、オレが異世界の人間だと知って……」
「そんなの当たり前だ」
尻もちをついていたリーゼは立ち上がり、改めて胸を張った。
「異世界の魂を呼び寄せるように、リゼが作ったんだからなっ」
「なに――」
「証拠を見せてやる。――個人旗を掲げよ!!」
「「「「は!」」」」
リーゼの号令と共に家臣達は整列し直し、どこからか取り出した旗を掲げた。
身の丈以上ある旗棒に吊られ掲揚された旗は、見るからに手のかかった刺繍が施され、その中央には日本語が記されている。
『すごくえらい』――と。
「どぅおおおおだ!!
君たちの言葉で『高貴で麗しく威厳に満ちている』という意味だろう? ふふ、リゼの英知に恐れおののくがいいッ!!」
「いや……」
マリナは少し逡巡してから答える。
「威厳っていうより、背伸びした子供みたいな感じだな」
「……え」
胸を張り、高笑いしようとしていたリーゼが固まる。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「え、ちょっとどんな感じで書いてあるのか翻訳してくれない? 言い換えるイメージで話せばこっちの言葉で発音出来るから」
「そうだな……」言われた通りにイメージする。「『すごいえらい』って書いてある」
「………………ああぁぁぁ、やっちゃったあ」
マリナの言葉を聞いたリーゼは膝から崩れ落ち、頭を抱えてしまう。
途端、家臣達が「リーゼ様!」と心配そうにリーゼの下へ駆け寄った。「大丈夫ですよリーゼ様、次がんばりましょう」「そうです、リーゼ様はがんばれる子です!」「異世界の言葉が少し難しかっただけですよ」「リーゼ様なら必ず異世界語を使いこなせるようになります」。聞こえてくる声は、落ち込む子供をあやす親のようだ。
そんな主人と家臣たちを見て、マリナは思う。
あれは秘密警察なんかじゃねえ。
――アイドルと、その親衛隊だ。
見慣れているのだろう。マリナを抱きかかえるエリザはクスクスと笑っている。
「――これじゃあ、ここに来た理由は訊けそうにないわね」
「それは私から説明いたします」
答えたのは、いつの間にかエリザの隣に来ていた家臣の一人だった。
仮面のせいで区別が付きにくいが、確か『ロジャー』と呼ばれていた男のはず。
ロジャーはエリザへ一礼してから、説明する。
「当家はこのたび、炎槌騎士団と竜翼騎士団との間に起きた紛争の仲裁を命じられました」
「仲裁……? まさか、」
「はい、ブリタリカ王――シャルル七世陛下より仰せつかっております」
ロジャーはエリザの思考を肯定する。
それから周囲を見回し、
「ところで、炎槌騎士団は……? 既に戦闘状態にあると考え、自動人形を連れてきたのですが」
「炎槌騎士団はその――」
「コイツが倒した」
言いかけたエリザの機先を制して、マリナはエリザを視線で指した。聞いたロジャーは「なんと、」と呟く。仮面で表情は分からないが、声には驚嘆の色が含まれていた。
途端、念話で抗議の声があがる。
『ちょっと、マリナさん!?』
『間違ってねえだろ?』
『でも、ほとんどマリナさんが……』
『オレがやったと言うより、エリザがやったと言っておく方が牽制になる。コイツらはともかく、他にも貴族ってのは居るんだろ?』
『そうかもしれないけど、』
『どうせ罪に問われるなら、力を示しておいた方がマシだ。どうでもいい存在になるよりは生存確立が上がる』
『――――、』
まだエリザは何かを言いたげだったが、ロジャーの「では、全員戦死されたのですか?」という言葉に遮られ、仕方なく抗議を打ち切った。
「――いえ、騎士団長のリチャード・ラウンディアは生きています。今は地下牢に」
「なるほど。身柄を引き渡して頂いても?」
「はい、もちろん」
エリザの承諾を得て、ロジャーは家臣団の一部に指示を飛ばす。それを受けた家臣たちは数体の自動人形を連れてチェルノート城へと向かった。
それを見送り、ロジャーはエリザへと向き直る。
「それとバラスタイン嬢――貴女の身柄も預からせて頂きたい」
「わたしも、ですか?」
「はい」
頷くと、ロジャーは胸元から封書を取り出しエリザへ渡した。
その封書に描かれた紋章を見たエリザは「戦乙女と竜の盾――ブリタリカ王家の、」と声を震わせる。エリザが封書を開いて中身を広げると、ロジャーは内容を補足するように告げた。
「我々が王より受けた命は二つ。一つは炎槌騎士団と竜翼騎士団との戦闘を止めること。
そしてもう一つは、両騎士団の責任者を王都ロマニアへ召喚せよというものです」
「召喚命令――」
エリザの呟きに「はい」と、ロジャーは頷いた。
「シャルル七世陛下は、査問会を招集されました」