王女リマ・ヴォルクス
野宿をしながら山脈を越えて移動すること四日。カサルは南北に延びる街道にぶつかった。ここはまだオークの軍勢ヤルカンが侵攻せず、ヴォルクス王国の支配地域にある。
「やっと街道に出たか。……あてのない旅もいいけど、程度があるだろ」
アーマインの街から東に進んで来たのは、少しでもオークの支配地域から逃れようという理由からだ。目的地は狩猟に適した森林地帯。ついでに言うなら、買い手がいるのが理想的だ。
「さて、どうしたものか。我ながら呆れるな」
やることが決まっているのなら、地図を用意して目的地を決めるべきだった。些細な手間を惜しんで、無頼な旅を気取ったからこういう目に合う。
結果、木立に囲まれた街道に座り込んで、これから進む方向を思案する。
「たぶんこの街道を北へ進めば王都、南は山岳地帯」
休憩しても妙案は出ない。とりあえず南に進んで街を探してみようと腰を上げたとき、遠くから物音が聞こえた。
(木を打ち付ける音、馬のいななき……となると)
オークは馬を使わない。いるのは人間か。カサルは音のする方向を注視した。街道は緩いカーブを描いて延び、倒木が数本で道を塞いでいる。音はさらにその先から聞こえてくる。
「街道ってのは、こんなに倒木で塞がれているものなのか?」
今何気なく腰かけているのも倒木だ。根元には人為的に工作された跡がある。
カサルは念のために弓を手にして、身を隠しながら音の方向へ進んで行った。進むにつれ、木を打ち付けるような高いに音に、男達の叫びが入り混じり、騒乱の様相を呈していく。
(あれは、オークと人間か?)
およそ100メトル先、街道を塞いだ倒木の向こうで人間とオークの闘いが起こっていた。
一方は臙脂色の外套と革脚絆という旅装姿の騎士四人と真紅の小柄な騎士一人。もう一方は丸太のように巨大な棍棒を持った上半身裸のオークが三人。馬はすでに倒され、動く気配を見せない。
カサルは木の陰で傍観を決め込んだ。人間とオークどちらに加勢する気もない。
オークは数は少ないが、強さは人間を凌駕していた。圧倒的な膂力で棍棒を小枝のように軽々と振るっていく。騎士の剣を弾き飛ばし、頭を跳ね上げ、地面に叩きつけ、三人の騎士が無力化された。
2対3という不利な状況に陥った人間。小柄な騎士を庇うようにして、四人目の騎士も丸太に吹飛ばされた。
(強いな……騎士を子ども扱いだ。対等に戦えていたのは今の男くらいか)
人間とオークの戦いをカサルが目にするのは初めてだ。
そして、オークの圧倒的な勝利で終わろうとしていた戦いは、意外な方向へと進んでいく。
最後に残った小柄な騎士は腰が引けたように剣を構え、とても人を切れるような状態では無い。オークは明らかに相手にならない騎士に攻撃を加えず、仲間内でなにやら話を始めた。
(何をしてるんだ、あいつらは?)
小柄な騎士を見ながら下卑た笑い声を上げ、棍棒を振って容易く騎士の剣を弾き飛ばす。
「アッ!」
剣を失った騎士は、悲鳴にも似た高い声を上げた。
「まさか」
カサルは我が耳を疑って騎士を見た。真紅の外套がオークに引き剥がされ、中から長い銀髪と華奢な体が現れる。
「あいつ、やっぱり女か!」
遠目からでも分かる華奢な体は、とても騎士と言えるものではない。オーク達は歓声を上げ、棍棒から手を離した。
オークは女を犯す気だ。
冷めていたカサルの脳と体を、激しい怒りが駆け巡る。激情というカンフルが一瞬で全身にいき渡り、刹那の動作で背中の矢筒から三本の赤羽の矢を取り1本番える。
「一射絶命」
小さく呟き、一本の矢に全神経を注ぐ。赤羽の矢は三本しかない。しかしそれで十分だ。一本も外さず、一射で一人を仕留める。
カサルの視界が急速に狭まり、灰色にぼやけた視界の中央にオークの背中が浮かぶ。指が開き、弓に蓄えられた力を弦が押し出し、強弓ユニコーンはツバメの鳴き声のような発射音を上げ矢を放った。
赤い1本の線がオークと弓を結んだ。矢はオークの胸から大量の血飛沫を上げて貫通し、前方の木に甲高い音を立てて突き刺さる。
心臓を打ち抜かれたオークは硬直した。何が起きたか分からないといった体で、己の胸に手をあて鮮血を確認する。そして、ようやく己の心臓を背後から射抜かれたことに気付き、後ろを振り向きざまに仰向けに倒れる。
その瞬間、2本目の矢が別のオークの胸を貫通していく。
何が起きたのか理解できないオークは、仲間が倒れるまで茫然と立ち尽くしていた。自らの胸から吹き上がる血飛沫を目撃するオークと、それを隣で見ていたオーク。
二人のオークは自分たちが何かで狙撃されていることに理解が及んだ様子だ。
だが反撃する暇はない。残る一人が捨てた棍棒に手を伸ばそうとした時、3ん本目の矢が心臓を破壊した。
「やっちまった・・・」
カサルは自分の愚かしさに呆れて、額に手をあて頭を振る。
人間に味方したわけでも、女を助けたかったわけでもない。ただ、犯す行為そのものが許せなかった。そういう男達の欲望の果てにカサルの母は妊娠し、望まれぬ自分が生まれた。
「義憤だっていうのかよ、俺が」
自分にあんな激情が残っていたことに驚き、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐いて全身の力を抜く。
「矢を拾わないとな」
気持ちを切り替え矢を回収しに向かう。ユニコーンで満足に使える矢は三本しか無い。使い捨てることなど出来ない。戦闘行為に弓を使う気などなかったので、それでも用は足りる。
倒木を乗り越え、人間、馬、オークが倒れる場所に着く。
(一応加減はしたつもりだったけど、カッと来てたから怪しいぜ)
赤羽の矢を使う時は加減する用心がけていた。以前、全力で引き絞った矢が、オオツノジカのぶ厚い胴体を貫通して飛び去り、探すのに難儀させられた教訓だ。
木に突き刺さった矢を引き抜き。なんとか2本までは回収することが出来た。しかし、どうしても三本目が見つからない。
(チクショー、何処にいっちまった)
「あの……」
血溜りとオークの死体が転がる周囲を見回すと、銀色に反射する物体を見つけカサルは近づいて行く。
(なんだ、剣か。さっきの女が弾き飛ばされたやつか。それにしても上等な拵えをしているな)
手に取った剣は握りが真紅のエナメル、鍔には微細な彫金が施されている。
「あの!」
後ろから女の声が掛かった。その瞬間までカサルはこの場所に生存者がいることをすっかり忘れていた。
(そういや、マスクで口元を隠していなかった。いや、別に構いやしない、ハーフ・オークと知られて騒がれたところで、どうにもなりゃしない)
カサルが剣を杖のようにして地面に立てて振り向くと、少女がまっすぐな視線をこちらに向けていた。
両側で編み込んだ銀色の長い髪に、白い肌、琥珀色の瞳、目鼻の通った美しい顔立ち。タイツの上から、膝まである真紅のワンピースを着ている。まだ幼さが残る少女の顔、歳は16~17だろうか。凄惨な戦場が似合わないのは、その美しさのせいだろう。
「あ……えのおう」
少女はカサルの姿を見て目を見開くと、小さな声で何か呟いた。そしてハッと我に返ったように、慌てて自己紹介を始める。
「危ない所を助けて頂きありがとうございました。私、ヴォルクス王国王女リマ・ヴォルクスと申します」
少女は、片足をもう一方の足の後ろに引いて膝を折り、笑顔で手を差し出した。
「は?」
屈託のない笑顔で見つめ続けてくる少女。カサルは混乱し、しばらくの間無言で見返し続ける。
(歳は俺と同じくらいか。俺が知る女と随分ちがうな、若い女はみんなこんなに細いのか?飯を食ってないのか?王女?王女がこんな所に?なぜしゃがんだ?その手は何の意味があるんだ?)
一瞬のうちに様々な謎が押し寄せた。未知の生物に出会ったような衝撃だ。ドルフをして激烈田舎者と言わしめたカサルには、残念ながらどれ一つとして明確な答えは出せない。
「あ、やだ。私、一方的に話しかけちゃったけれど、ハーフ・オークさんに人間の言葉って通じるのかしら」
まったく反応を示さずに立ちすくんでいると、リマが自ら手を取り握手する。柔らかな、吸い付くような肌の感触と温もりが伝わる。
「ハッ!」
カサルはようやく我に返ってリマの手を握り返す。
(柔らかくて、暖かい手だな。ハーフ・オークであることを気にしないのか……)
少女から伝わる温もりに、混乱していた心が落ち着いて行く。
「え、と。言葉は通じるかしら。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「あ、ああ。カサル・ラモだ」
「まあ!言葉が通じるのですね!カサル様ですか。助けて頂いたのはあなたですね。狩人なのですか?」
カサルが人間の言葉で返すと、リマの顔に華やいだような笑顔が咲く。意志の疎通が図れることに気をよくしたのか、矢継ぎ早に続けた。
(狩人?)
改めて、自分が何者なのかを考えたことはなかったが、言われてみれば確かに狩りをして生計を立ている。
「ああ?そうだな、そういうことになるか」
「そうでしたか……。しばし、失礼いたします。お礼はまた後ほど」
リマは顔を引き締めると、先ほどの戦闘で倒れた騎士達の安否を見て回る。
絶望的な様相だった。およそ人間の可動範囲を超えて捻じれた首。頭から赤黒い血を地面に広げる者。遠目に見ても彼らがすでに死んでいることは分かる。
「ありがとうございました、あなたの勇気と献身を……」
リマは一人ひとりの無事を確かめては、悲痛な面持ちで手を合わせ祈りを捧げていく。最後に、木の下で倒れている騎士を確認すると、小さな呻きを漏らした。リマの顔に安堵の色が浮かぶ。
「無理に動かないで、シーガル」
リマを庇い丸太で吹飛ばされていた騎士だ。運がいいのか、それとも体術の技量が高いのか、目立った外傷は無い。リマは男を横たえさて休ませると、カサルの元へ戻って来た。
「あなたのお陰で、私とあの者は命を取り留めることが出来ました。あの者に代わり、私からもお礼を述べさせていただきます」
リマはカサルの手を両手で包み込み、祈るように頭を垂れた。
「よせよ。俺はあのオークがむかついただけだ。あんた達を助けようと思ったわけじゃない」
カサルはしっかりと握られたリマの指を一本一本解いていき、ぶっきらぼうに払った。オークの本能をむき出しにした、下劣な行為が許せなかっただけだ。己の激情に駆られただけで、感謝されるような謂れは無い。
「それでも、私は感謝していますよ?」
リマは微笑みカサルの顔を伺うように首を横に傾げた。
「チッ、好きにしてくれ」
少女から向けられる純粋な笑顔と感謝。
ハーフ・オークを忌み嫌う人間。しかし、リマにはそんな素振りが微塵も無い。出会った瞬間からペースに飲み込まれたようで、なんとなくむず痒い。こんな感覚は初めてだ。
「剣を置いてリマ様から離れろ、ハーフ・オーク!」
男の怒声が木立に響いた。