父と母、人間とオークから生まれ
「気が早いんだよ、まんまと嵌りやがって!幾ら怪我してたってな、負けるわけにいかねーんだよ」
カサルは不敵に笑い返した。短剣は腹に添えた右のギプスで受け止められていた。刃はギプスの添え木を貫き、腕まで達して止まっている。
短剣が突き刺さった右手を振り払い、シンに頭突きを入れて間合いを開け、腹に蹴りを入れて地面に転がし馬乗りになる。
「くっ!」
「これで詰みだ。逃げられるものならやってみな」
必死に抵抗を試みるシンの顔面に、数十発の鉄槌を顔面に浴びせた。ぐったり虚脱する。
カサルは大きく息を吐いて呼吸を整えると、ギプスに刺さった短剣を引き抜いてシンの顔前に掲げた。
「ク……クク、いいだろう……殺せ、殺せよ。だがもう遅い奴らは止められない」
シンは恐れを見せず、なおも憎しみの籠った顔で勝ち誇るように笑っている。
「ああ、そうさせてもらおう」
カサルは顔前に掲げた短剣を振り下ろした。
その短剣はシンのピアスを耳たぶごと切り落とし、地面に深々と突き刺さった。カサルが立ち上がり目顔で促すと、シーガルと騎士が両脇からシンを抱え上げて拘束する。
その姿を目にした周囲の人々は驚きの声を上げてシンの顔を凝視する。認識阻害の術が解け、ハーフ・オークとしての素顔が人前に晒されたのだ。
「こ、これはどういうことだ。あれは、あれはシンなのか?何故奴がハーフ・オークに……」
舞台のメルツは副官の正体を目にして信じられないと言った様子で声を漏らす。
「ほう、知らなかったと?」
「あ、あたり前だ!副官にハーフ・オークなど置くものか!」
ゴンドルフがギラリと目を光らせると、メルツは色を失い慌てて否定した。
舞台の下のカサルは怒りを忍びながらシンに尋ねる。
「全部お前の仕業だったんだな?エルフの谷での兇状も、母を人質に取って浚ったのも、……そしてリマに毒を盛ったのも!」
「ああ、そうだ。俺がやった、全部俺がな」
認識阻害が解け正体を晒されたシンは、観念したのか薄笑いを浮かべたまま答えた。
「どうしてそんなことをした」
「どうして?決まってるだろうが!母を苦しめ、俺の人生を弄んだ人間とオークに復讐してやるためだよ!」
「復讐……」
何度も耳にしてきたその言葉。その抗いがたい欲望に、このハーフ・オークもやられていた。シンは堰を切ったように、己の生い立ちを話し始める。
「俺の母親はな、オークに犯されて身籠った俺を産んだ。
そんな母と俺を人間は受け入れようとしなかった。
母は体を売りながら必死に俺を育て、遂には病に罹って死んだ。
残された俺は豚のように残飯をあさり、生きるためになんでもした」
「……」
カサルは押し黙った。
オークの子を孕んだ人間の女に許される選択肢は多く無い。
多くの女と子供が、周囲の差別に苦しみながら不幸な人生を歩んでゆく。人間とオークから向けられる蔑みと理不尽は、彼らを憎むには十分過ぎた。
「だから俺は復讐をしてやると決めた。母を犯し欲望を貪るオークに!
俺と母を蔑んだ人間に!互いを戦わせ、殺し合わせてやると決めた!」
「俺の母を人質に取り、ヴォルクスに連れ去ることで後に起こる戦の火種を広げる。
王女を暗殺することで和平の芽を潰し、国を混乱させあわよくば内戦に導く。
全てはヤルカンとヴォルクスを戦わせ、殺し合いを続けさせるための行動か」
「くくく、その通りさ。馬鹿者どもはよく踊ってくれたよ。
ちょっと手を加えてやれば、互いに憎しみと欲望を掻き立てて戦い合う。
愚かな生き物だ!」
シンは挑発するように首を突き出す。
「さあ、俺を殺すんだろ?そのためにお前は来たんだろ?
だが、よく覚えておけ、俺もお前も所詮は忌み子。
誰からも望まれずに生まれ、求めらず、
そして孤独うちに死んでいくのさ、ゲハハハハ!」
シンはいつまでも大声で笑い続けた。
歪みきったその笑いは一体誰に向けているのか。忌み子、その言葉をカサルは今まで何度も聞かされ、それを認め己の存在を否定していた。
「違います!」
リマの声だった。彼女は真っ直ぐにカサルを見つめている。
「不幸な出来事があったかもしれません。でも、あなたを見ていれば、父上と母上がどれだけ貴方を望み、愛していたか分かります。私にはあなたが必要ですよ、カサル」
リマは笑った。花が開いた様に明るく、慈愛に満ちた笑顔だった。
「そうです、君とこの男は同じじゃない」
シーガルが力強い声を上げる。
「この男は憎しみに心を染め、多くの人を殺し、弱い立場の者を生み出させた。だけど、君は人を救い、戦を止め、弱い者達を守るために戦った。同じなわけがないじゃないか」
シーガルは誇らしげに笑っていた。
そうだ。カサルも今は知っている。侮蔑を向ける人間の中にも、ドルフやエルビイ、シーガルにゴンドルフ、自分に対し友情と信頼を向けてくれる人間が大勢いて、愛を向けてくれる女性がいることも。
「お前の身柄はヤルカンへ引き渡す」
「な、なにを、お前はまさか奴らと!」
「そうだ。お前の身をもって俺の母の屈辱は晴らされる。ヤルカンに戦う理由は無くなる」
「戦が終わるだと! 殺し合いが終わるだと!」
「いつまでもお前に踊らされると思ったか?ルゼンの裁きを受けるんだな。慈悲は期待するなよ」
「クソッ!クソッ!クソーッ!」
「煩い喚くな見苦しい。連れて行け」
シンは騎士達に拘束され、怨嗟の言葉を吐き続けながら連行されて行った。
(終わったのかこれで?)
憎しみと復讐の連鎖。あの哀れな男を必要としてくれる人は、母以外にいなかったのだろうか。達成感は湧いてこなかった。
カサルは舞台に居るリマへ、全てが終わったことを告げるためにゆっくりと頷いた。リマは頷き返した。
「メルツ大臣、その書状は不要になりました。ご返却下さい」
「い、一体何が起きたというのです。それにあのもう一人のハーフ・オークは?」
後ろで茫然と見つめたいたメルツは、しぶしぶながら書状をリマに差し出した。
「理由は今からお話しましょう。カサル」
「やっぱりやらないとダメか?わざわざ見せなくても」
「だーめーです!みなさんにちゃんとお披露目しないと。ゴンドルフお願いね」
「心得ました。さあ、殿下」
カサルは大袈裟に顔をしかめてみせたが聞き入れてもらえなかった。ゴンドルフは半ば無理やりカサルを舞台に引っ張り上げ、何やら準備を始める。
一方のリマは演壇へと上がり、広場に集まった市民を見渡して明るく笑ってみせた。王女の元気そうな姿と声に歓声が上がる。
「国民のみなさん。私のことで心配と不安を与えてしまいました。ごめんなさい。大臣が言ったように、今我が国はヤルカンの侵攻という困難な状況にあります。
ですが、ご安心下さい。長らく続いたヤルカンとの戦はもう終わるのです」
広場から、舞台横の貴族から、人々の戸惑いの声が上がった。その様子を見たリマはカサルへ顔を向ける。
「ほら、みなさん戦が終わる理由を知りたがっていますよ」
「分かったって」
カサルは肩に真紅のマントを掛け、腰にはレガリアの剣を下げていた。確かに、説明するにはこの姿を見せた方が手っ取り早い。
「何故だ!あの男、ハーフ・オークにレガリアなど、冗談にも程があるぞ!」
「黙っておれ、不敬だぞ大臣」
事態が飲み込めず、避難の声を上げるメルツ。ゴンドルフはそれを一蹴し、大声で近衛騎士を招集し舞台の前に整列させる。
「さすがカサル!よく似合ってる」
カサルが傍まで近づくと、リマは演壇からその姿を眺め回して満足そうに笑った。
「茶化すな」
「あら、ホントですよ。そのマントが似合う人ってそうはいないと思います」
王の権威を表す仰々しいマントを、逞しい体が着こなしていた。カサルはリマに招かれて、入れ替わり演壇に上がった。
広場の最前列から小さなざわめきが起こった。人々は現れたハーフ・オークの男を驚き、訝しみ、困惑が波のように全体へと広がって行く。
ざわめく聴衆を前にして、カサルは構わずに話始める。
「あー、なんだ。俺はこういうのは初めてで、何て言やいいのか……」
「ちょっとカサル!何話すか決めてなかったんですか!」
「そんなこと言ったて、お前と違って人前で話すのなんて初めてなんだぞ!」
「もう、いいから思ったこと喋ってください!」
上手い口上が見つからずに言い淀んでいると、リマが堪り兼ねた様に舞台から囁く風に声を掛けた。
本人は声を潜めているつもりかもしれないが、舞台の前で見守るシーガルまで聞こえている。彼は苦笑を漏らしていた。
なんとも締まらない話だ。ここまできたら腹を括るしかない。カサルは覚悟を決めて大きく息を吸い込む。
「俺の名はカサル・ラモ・ヴォルクス!ゾンダルテを父に持ち、ヤルカンを祖父に持つハーフ・オークだ」
大きな声で名乗った。
本来ならタチの悪い冗談としか取られない話だったろう。
しかし、カサルは王女に手を取られるようにして演壇に上がり、舞台下の近衛騎士がこの行為を咎め立てる様子もない。
これが冗談でないことは聴衆にも明らかだ。
「俺は先王より王位を託され、このレガリアを授かった」
剣を引き抜き、血溝に彫られた文字が見えるように頭上に高々と掲げた。
この日何度も驚きを見聞きしてきた市民も、これだけの驚きは予想していなかっただろう。あまりの事態に呆気にとられたのか壇上を凝視している。
「もちろん、あんた達がハーフ・オークである俺を王として認められないのは分かっている」
カサルは舞台に立つリマに手を向ける。
「王位にはリマ王女が相応しい。コイツはいつだってあんた等のことを考え、弱い奴等のために動き、自分が傷つくことも構わず、小さい体で闘ってきた」
リマの美しい琥珀色の瞳が真っ直ぐにカサルを見つめていた。
「見てらんねー。あまりに健気で愛しくて放っておけねー。だから、俺はリマを守る!リマが守るこの国と、愛する者を守っていく!」
「カサル……」
ぶっきらぼうに、淡々と話していたカサルが言い放った。力強く決意に満ちた声だった。リマは顔を覆い隠し、小さく肩を震わせた。広場にざわめきが起こる。
「戦はすぐに終わる。ヤルカンの族長とは俺が話を付ける。後は任せろ」
カサルは話を終えた。演壇を見つめている市民の顔には、驚き、期待、不安、困惑、安堵、様々な顔が浮かんでいる。
「皆さん。彼を見てください!」
舞台からリマが演壇に駆け上がった。目には涙が浮かんでいる。
「彼と私達一何が違うでしょうか。父が、母が、顔が違うのでしょうか?同じです、彼は私たちと同じです。父と母、人間とオークから生まれ、愛されて育ち、愛することを知る人の子です」
リマが手を伸ばし、カサルの手を強く握った。
「王子は戦を終わらせるために一人でヤルカンに赴き、愛する者のために戦ってくれました。命がけで私と、この国と、弱い者達を救ってくれました!戦いはもう終わります。私に信頼を向けてくださる皆さん、私を信じ、彼を信じてください!」
リマは涙を流し、声を震わせ、人々の心に訴えた。迷いのない、美しい声だった。
広場の聴衆はただ静かに聞き入っていた。
やがて疎らな拍手が沸き始め、大きな喝采へと変わっていく。
人々は笑いながら、泣きながら手を叩いていた。
明るい希望に満ちた歓声と拍手が、王都に立ち込めていた暗い雲を吹飛ばす。
この歓声の殆どはリマに向けられたものだということをカサルは分かっている。彼女が今まで見せてきた慈愛と献身を市民は知っている。それがあったから受け入れられた。
「ん?なんだか不満そうじゃないか?」
これだけの歓声を浴びながら、リマは口をへの字に曲げている。
「だって、みんな本当に分かってくれたのかなって。カサルは本当に強くて、格好よくて、優しい私の王子様なのに」
「なっ!」
間近で見つめられながら言われ、カサルは顔を赤くした。
「あれー?カサル君なんだか顔赤いねー?」
リマは上目使いに悪戯顔で笑っている。してやられた。こうなるとめっぽう分が悪い。
しかし、思いは口にして伝える必要があることをカサルはもう学んでいた。
「ありがとうな。お前がいてくれたから、俺は自分を許してやることがきた。もう、自分を忌み子と呪うことも、母さんを救えなかったことを罪と考えることも止めだ」
自分にも少しは価値があり、守るものと、救えるものがあることをリマは教えてくれた。カサルはリマの瞳を間近で見つめた。
「ふにゃっ!」
今度、顔を赤らめるのはリマの番だった。咄嗟に顔を手で隠し、指の間から瞳を覗かせた。そんな姿がたまらなく愛しい。
「まだ不満か、お姫様?」
カサルはリマの手を取り尋ねた。
「もっ!反則です、そん近くで。……うん、これでいいんだね。だって、みんなカサルの良さにはすぐ気付くはずだから」
彼女はが見せたのは自慢気で、どこまでも明るい笑顔だった。
「そうだな、それで十分だ」
自分を認めてくれる人がいることをもう知っている。
カサルはリマの頭に手を置くと、美しい銀髪をクシャクシャにして撫でた。




